【標的287】雌伏の炎を絶やすな
アーデルハイトはバイオレットの炎を身に秘めていた。妖しく艶めかしい色で、そのくせふわふわと優しい。
凍てついているようでもあり、燃えたぎっているようでもあり、触れれば切れそうな鋭さと厳しささえ備えている。
(アーデルハイトの命の色)
たやすく底を見せない雲の炎だ。透き通った鮮やかな色合いはいつ見ても不思議と清々しい気持ちになる。
清めを行う女だからか。
本当のことを言えば、アーデルハイトの清浄な空気にはある種の恐れのようなものを抱いていた。
傷と災いを一身に受けるがゆえに、己が不浄な存在に思えて仕方がない。
人と関われば相手にまでよくないものを与えてしまう。そんなバカらしい思いが消えずに胸を焼いている。
独りを望み、けれど望みきれずに仲間たちと生きてきた。中途半端なのだと自分でも思う。
「手当て……終わり?」
「ええ。行きなさい。後で集まって話し合いをする」
言われてやっとボンゴレの一件を思い出した。同時に、ボンゴレのボスとなる少年の顔も脳裏に蘇る。
彼へ安易に逃げを勧めたのは炎真だ。だけど、おそらく彼も逃げられずに終わるだろう。
炎真のことを見下さない心優しい素朴な少年だった。沢田綱吉。いつかは彼も――笑わなくなってしまうのだろうか。
「……嫌だな……」
ぽつりとこぼしたささやきに、アーデルハイトの柳眉が訝しげに持ち上がる。何でもないとつぶやいて、緩慢な動きで身を起こした。
手当ては終わりだ。彼女が笑わないので炎真も表情を変えることはしない。
日常は非日常を垣間見せながらつつがなく進んで、今日もどこかで同じことの繰り返しをしている。
世界の秩序というやつは憎らしいほど普段通りだった。
瞳に映る光景も変わらないものだから、まったく、余計に諦めたくなってくる。
そこまで考えて、思わずため息が出た。いまだ変化を望む自分がいたことに少しだけ驚いた。
「じゃあ……手当てありがとう、アーデルハイト」
礼を告げて部屋を辞す。その前にふと彼女へ振り向き――――
あでやかに咲く炎が、視えた。
人気のない廊下は薄暗く、夜に沈んで今なお静かだ。吐き出した息さえ夜の闇に吸い込まれていくような気がしてめまいがする。
どうしてこんなにやるせない気分になるのだろう。自分で自分がよくわからない。彼女のこともわからない。今見たものは忘れたい。……忘れられそうにない。
疲れる。軽く頭を振り、重い足を引きずってのろのろと歩き出した。
(アーデルハイトの炎は熱すぎる)
いつか炎真を燃やす炎があるというなら、それは彼女の炎かもしれない。
彼女の笑みを思い出せるなら――彼女が笑みを思い出すなら、焼かれて灰になってもきっと構わないだろう。
シモンの十字架を背負って炎の中へ身をくべる。
そんなちっぽけな覚悟を本当はずっと探している。
アーデルハイトがどうして炎真に口づけるのか、その答えもまだ見つからない。
----------2010/05/21
作品名:【標的287】雌伏の炎を絶やすな 作家名:kgn