心音。
世間では休日である日曜の、うららかな陽気の昼下がり。
いつもより人で溢れた池袋の街の雑踏の中にあって、一際目立つ人影が一つ。
四肢がすらりと長い、細身の長身。大人しげで華やかさはないものの、すっきりと整った眉目。無造作に撫で付けられた金髪。それだけ見れば、モデルと称しても違和感のない風貌の、二十歳過ぎの男。
これだけでも人目を集めるのには十分。しかし、男が身に纏ったものは、そんな特徴すらも霞ませる勢いで目立っていた。
端整な風貌を隠す薄い色眼鏡は、日除けか、ファッションか、もしくは変装か――大人しげな風貌には似合っているとは言いがたいながらも、これはまあ、それほど悪目立ちする要素ではない。
しかし、真昼間、しかも近くに酒場があるでもないのに、その長身に纏った“バーテン服”は、街中で異様な存在感を放っていた。
その目立つ男は、人待ちする様子でもなく、ぼんやりと街角に設置された喫煙コーナーで紫煙を燻らせている。
そんな男を見る人々の目は、大きく二種類に分けられた。
一つは、奇妙ないでだちに対する好奇の視線。
そして――あからさまな畏怖の眼差し。
割合として、前者より後者の方が圧倒的に大きく、彼らは男の姿を視界に入れることそのものが不吉かのように目を逸らし、足早に彼から遠ざかる。
そんな過半数のリアクションから、男が関わってはならない類の人種だと察し、前者の人々も自然と男を遠巻きにする。
しかし、中には回りのリアクションなど気にせず、もしくは気付かず、無謀な行動に出る者もいた。
「ねーねー、お兄さん、暇なの?」
男は、かけられたその声に、何のリアクションも返さなかった。
無視したというわけではなく、その声が自身に向けられたものだと思わなかったらしい。ぼんやりと、自身が吐いた紫煙を追うように顔を仰向けていた男の視界に、目の前に立つ小柄な声の主が入らなかったのだろう。
「ちょっとー、お兄さんってば」
背伸びして、男の視界に入るようにしつつ、声の主は再び呼びかけた。
「……あ?」
今度は流石に気付いたらしく、男は訝しげな声を上げつつ、視線を下ろして、声の主を視界に収める。
そこにいたのは、十代後半と思しき、小柄な少女。雑誌で見かけるメイクとファッションをそのままなぞったような服飾。いかにも“イマドキ”という感じの少女だ。
彼女の後ろには連れらしい、彼女と似た様な印象の少女が数人。
それらを視界に収め、彼女達をまじまじと見つめた男は、形のいい眉で困惑の色を浮かべる。
次いで、背後を確認するように振り返った男に、少女達は軽やかに吹き出した。
「いやいや、あたしら声かけてるの、お兄さんだから!」
「やだー、お兄さんカワイー!」
黄色い声を上げる少女達に、男はますます困惑した様子だった。
「え、何? 俺に、何の用? ……どっかで会ったこと、あったっけ?」
「ないない! お兄さんカッコイイから、声かけたんだよー!」
ようは逆ナンというわけなのだが、男は自身の容姿に自覚がないのか、困惑の色を濃くするだけだった。
「カッコイイ? ……俺が?」
からかわれてると思ったのか、困惑の中に不快そうな色を滲ませた男へ、少女達は怯むことなく――というより気づく様子もなく、自分達で勝手に盛り上がる。
「うわ、無自覚!? やっぱカワイー!」
「ケンキョー! いかにも『オレ、イケてるべ』って感じの勘違いヤローどもに見習わせたーい!」
きゃいきゃいとはしゃぐ少女達にどう対応すべきかわからないのか、男は眉を寄せたままに沈黙を保っていたのだが――その男に、最初に声をかけた少女が、再び話しかける。
「あたしら、いつもはシブヤで、ブクロ初めてなんですよー! 暇だったら、案内してくれません? って話で」
満面の笑みで言われて、男から困惑の色が消えた。また、不快の表情も。
次いで、端整な顔に浮かんだのは、得心の色を僅かに滲ませた、静かな無表情だった。
「あー……そういうことか。お前ら、池袋に詳しくねぇのか。なるほどな。平気で俺に声掛けてくるわけだ」
独り言のように呟かれた男の言葉に、今度は少女達が困惑した。
男の言葉の意味を図りかねて、互いに顔を見合わせ――
そこに、彼女たち以上に空気の読めない、馬鹿野郎共が現れた。
「ねぇねぇ、カノジョたちー」
へらへらと笑みを浮かべた、二十歳前後の若者数人。やはりどこかで見たことがあるような、流行のファッションに身を包んでいる。
しかし、服装だけなら及第点でも、着込んだ当人はお世辞にも『イケてる』とは言い難い若者達だった。小太りだったり、顔の造作ががっかりだったり――人間、外見ではないとはいえ、第一印象は残念な感じである。
しかも、更に残念なのは、彼らはそのことに自覚がなく――何より空気が読めなかった。
「逆ナン中? だったら、俺たちと一緒に遊ばない? 人数も釣り合うしさー」
「はあ? 何言っちゃってんの? こっちのお兄さんより自分たちの方がイケてるとか勘違いしちゃってる?」
若者達が告げた誘い文句は、少女達によって一蹴される。
少女の断り文句も大概酷いが、それに対する若者達のリアクションも酷かった。
「んだと……ざっけんな、クソアマ!」
いきり立った一人が、手近にいた少女の手首を無理矢理引っ掴む。
「――いったいっ! 放してよ!」
少女が、力任せに掴まれた手首の痛みに、顔を歪めた、次の瞬間。
「――おい」
一言。――たった、一言。
とりわけ大きいわけでも、低いわけでもない、静かな声。
しかし、その声は、場の喧騒を貫いて、一同の耳に届く。
若者達は、その声が誰のものであるかわからなかった。
少女達は、声の主に気付いて、驚きに目を見開いた。
「放してやれよ、嫌がってんだろ」
威嚇する風でもなく、説教がましいでもなく、ただ、当たり前のことを告げる調子で。
淡々とした表情のまま、男は若者に告げた。
しかし、その至極真っ当な言葉は、真っ当ではない相手には正しく受け止められなかった。
「……ぁあ? なに、オッサン。なんか言った?」