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遠く轟く雷鳴のように~この翼、もがれども~

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「……返してくれ」

手を伸ばし、哀願する。もう形振り構うことなどできはしなかった。叶うはずのない希望だとしても、願うことしかできないのだとしても。真珠のように艶やかな光を放つ影は漣の中で漂うようにうっすらと泡のような笑みを浮かべた。

「何を返せというのか。愚かなことを言う。私は何も君からは奪ったりはしない。その命さえも、な。どれほどの憎しみを滾らせたとしても」

どんどんと手の届かない深海へと落ちていく真珠のようだった。追い求めて潜ったとしてもきっと届かない。サガは干乾びた唇からもはや呻き声さえ発することができずにいた。

「サガ……君の罪はあの男を生んだことではなく、むしろあの存在を甘んじて受け止め、許していることにある。そう――君は傍観者であろうとしたのだ。そのことに私は憤りを感じる」

遠ざかろうとする影に縋るようにサガは激しく咆えた。

「ならば…っ!どうすればよかったというのか!?崩壊し、片隅へと追いやられた私が、なんら為す術もないまま、ただ、目の前で行なわれる残酷な所業を漫然と見過ごすことしかできなかった私が……なんの苦痛も受けずにいたとでも思うのか!?」

ザッと薄いカーテンをなぎ払うようにして、その手を伸ばし、露となったシャカの肩を掴み掛けた。が、その手は金縛りにあったようにまったく動くことが出来なくなっていた。鋭い刃が喉元に突きつけられ、貫かれたかのように。

「……君は君だけを想うアフロディーテの尊い心さえ踏み躙っておきながら、我が身だけを案じるのか?何が大切なものなのか、気づきもしない愚か者。本当に悲しいものだ」

怒りと憎しみの燐気に身を包んだシャカに気圧されながら、何よりもサガの行動を制止させた原因、「哀しみ」の元に視線が外せないでいた。
 伏せられた長い睫毛から溢れた滴は静かに頬を滑り、光を放ちながら落ちていく。そしてまた同様に繰り返す。

「わかっているつもりだ、これでも。だが、私はアフロディーテに応えてやることはできない。大切だからこそ、なおのこと。アイツにとってアフロディーテは特別だ。だがそれは諸刃の剣のようなもの。いつ何時、災厄と化すかわからない危ういものだ。少なくとも私は彼の位置を脅かすような存在であってはならない。だから私はアフロディーテとは距離を置いて接するしかない」

「アフロディーテはそのようなことを望んではいないだろう。むしろ喜んで懐に飛び込むことができる剛毅さも持ち合わせているのに」

凍るような言葉を吐き出しながらも、止め処なく流れる涙を拭き取ることもせず、シャカはただ静かに言葉を紡ぐばかりだった。
シャカが涙する理由が、アフロディーテを思いやってのことだとしても、ただ息を呑むほどに、心が吸い込まれるほどに、サガは伝い落ちる滴の美しさに心奪われるばかりだった。どのように立ち居振舞えばいいのか、かける言葉さえ失くしてしまっていた。
ただ、そっと手を伸ばし、華奢すぎる細身を引き寄せた。身を捩り、抵抗すると思っていたが、シャカは大人しくそのままサガの手の中にあった。

「アフロディーテは愛しい者だ。私は守り続けたいと思う。あの闇の手から。でも彼は私のそばにありすぎた。近すぎたのだろう……私が寄り添いたいと願い、触れたいと願うのは―――そう、おまえだ」

呆れるほど単純な答えに辿りついたサガは澄み切った空のように穏やかな気持ちになれた。険しかった表情すら柔和に変化していた。腕の中でただ息を殺すようにしていたシャカも変化を感じたのか、サガにそっと身を預けるように傾いて、囁くように告げた。

「なぜ……此処に来たのが君なのか。あの男であれば返り討ちにしてくれたものを。この怒りの矛先をどうすればよい?この渦巻く感情をどうすればよいのか?アフロディーテの想いを知っておきながら私は……君の心に惹かれるのか。我が身を刺し貫く痛み……なぜこのような痛みを……感じるのか……なぜ?」

 なぜと繰り返すシャカを宥めすかすようにサガは口づけた。甘やかに濡れたシャカの唇に侵入しながら、何度も、何度もひび割れ渇ききった心に慈雨を降らすが如く、サガは深く口づけを交わすのだった。