大丈夫
「時間がないからお前のタクシーに便乗させてもらうつもりだった」
「そうでしたか。それなら僕の事は気にせずに車を使っていただいてよかったのですが」
「おいおい、それでいいのか?」
「はい。僕の知り合いだと伝えていただければ最優先で走ってくれますよ」
「そりゃよく出来たタクシーだな」
「個人契約のようなものですから」
『機関』の専用車だろが。
「では、行きますか」
「お。送ってくれるのか?」
「勿論です」
古泉は、首をかしげてまた微笑んだ。薄く開いた目が、一度だけゆっくり瞬きをする。
「大丈夫か?」
「大丈夫です」
間髪入れずに返答されたが、……早く休ませた方がいいんだろう。体育の後に数学なんかの授業があるとこんな風にぼーっとなるよな。古泉は理数クラスだから数学はそれほど退屈ではないだろうが、ものの例えというものである。
早く乗りやがれとばかりに古泉をシートに押し込み、俺もちゃっかり便乗して乗り込んだ。
一言も発しないうちにタクシーは車道を走り始める。俺を先に家へ送り届けるのだという事もお見通しなんだろうね。俺はこのタクシーについては知っている事が殆どないのに、このタクシーの運転手はどこまで俺を知っているのか。そりゃまぁ、これが古泉タクシーだと思い返せば何も不思議ではなくなってしまうのが、また奇妙だと言えば奇妙な感覚でもある。
隣で古泉が「ふう」と短く息をついたのが聴こえた。見てみれば古泉がまさかの居眠りに落ちたところだ。珍しい情景を見れば思わず覗き込んでしまうのも人の常だよな? 俺とは反対側に首を少しかしげていて、目を閉じている。気が抜けたのか、今回は俺に解説する事が何もなかったのか、何もかも忘れる程に疲れているのか。それは特に安らかだとも言えない表情、居眠りにしても気に掛かる程にアンニュイで端整な寝顔だった。
車体の揺れで、横髪が頬にかかっている。後頭部にも毛束が跳ねているのが見えた。会った時はまるで気分を隠すように笑っていたのにと思うと、今の古泉の否応なく疲れきって取り繕う余裕もない様子が可哀想に見え、ついつい後ろの不自然に飛び出た毛束に指をかけてひょいと梳かしてしまった。
当然起きるよな。寝かせておこうとしていたのに、俺は不意の行動が多すぎる。
「疲れてんだろ。寝てていいぞ」
覚醒しきっていない古泉に声をかけると、矢張りというべきか一気に覚醒されてしまい、「すみません」だとか疲れた笑顔で言われて、そんなつもりじゃないのに姿勢を正された。
「寝てていいって言ってるだろ」
「いえ、寝てませんよ?」
「そうか。お疲れ様だな」
とんちんかんな事を言う古泉は「いえ」と笑顔の視線を足元に向けると、また車体の揺れに倣ってこくりこくりと眠りに落ちていった。いくらなんでも寝つくの早すぎる。これが天然ボケな女の子だったなら、写メでも撮っておいて後々にからかってやれるぐらいにいいシチュエーションだ。
残念ながら古泉は俺が望まぬ男子高校生だった。
ハルヒが居ない時ぐらい気を抜いてもいいだろ。一息つかなきゃ疲労溜め込むぞ、と胸の底で語りかけた。
- end -