ボンノー・エブリディ
目の前で紅茶が注がれている風景はそういわれてみればまだ見た事がなかった。
朝比奈さんはコンロの横でお茶を淹れて来るし、そもそも日常の給仕となっているから観衆にお茶汲みを披露するエンタテイメント性はSOS団には必要ではない。 ……筈だったが、そうでもない場合もあったらしい。たとえば目の前のこの同級生。
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話は放課直後に遡る。
そりゃハルヒが「キョン、あんた今日はちょっとだけ遅れてきなさい。コンビニでお菓子、そうねえ、出来れば焼き菓子を買ってくるといいわ。あたしはフッツーのまぁるいビスケットでいいから!」と教室を飛び出ていけば、そこから始まる物語と言っても過言じゃない。
ちょっとだけ遅れてきなさい、ってお使いじゃないか。しかも俺強制オゴリの買出しだ。意図を汲めば、ともかくビスケットやクッキー、マドレーヌ? そうした焼き菓子、洋菓子を必要とするようなので俺は素直に自分の食べたいバタークッキーなどもほいほいと買って来ておいた。
何故焼き菓子限定なんだ。まさかとは思うが今日は闇カナッペです!ってなつもりでクラッカーを欲していたのかもしれない。しかしビスケットに具材を載せようとは、ハルヒがそんなミスマッチな選択を自分に課するわけもないしな、と愚考廻らせ部室の扉を叩いた。
「はい、ただいま」
ここはSOS団のスウィートエンジェル朝比奈さんが舌ったらずに「はぁ〜い、ただいま〜」と台詞を入れるところだ。それが何故今日に限って古泉、古泉のビターに甘ったるくも落ち着いたイケメンボイスなのか俺は問いたい。
俺の遅れはハルヒのお使いのせいであり、普段なら朝比奈さんの準備も着替えもとっくに済んでいる時間帯だ。多少疲れ気味で帰ってきた俺の出迎えに古泉を充てるとはどういう理屈か。たまたま古泉が近くに居たんだろう。
開いたドアの先、俺が目にしたのはまず執事服だった。
部屋の奥には団長殿が妙に礼儀正しく団長椅子に座ってにんまり笑っている。
しかしその気品溢れる仕草は俺が来た事で長続きせず、とどのつまり、抑えが効かなくなったようで音を立てて傾れ崩れた。この表現、決して間違いではない。一つ違うとすれば、それは"崩れた"のではなく"正面を狙って移動したために状態を保てなかった"。
「ふふん、驚いたァ!?」
走りこんでくるな古泉に後ろから飛びつくなそのまま押してくるな古泉困って、いや笑ってるけどとにかく押して来るな。既に見たくても見られない状況になってんだぞ、俺の顔がどこにあるのかわかるだろハルヒ? お前の顔しか見えない、顔が近いどころか奇しくも古泉の肩口にアゴが乗っかってしまっていて例え万が一見たいと思ったところで見えやしません! 待て古泉お前背中に手をまわしてくるな、一人で立てる、これぐらい普通に一人で支えられるつもりだぞ。
ああ、苦しい。
ハルヒがようやく古泉の両腕を持って一歩退かせて立たせ、ぴょこんと古泉の右肩から頭を出した。
「見た事か、計画通りよ! 古泉くんには執事服ってナイスアイディアじゃない? マヌケ面のあんたとは一味二味…… 全世界のグルメ料理を食べ比べて最初から最後まで並べた両端同士ぐらいは違うかもね!」
古泉を軸にくるりと回って「どうだ!」と片手をさっと上げるハルヒ。実に自慢げだ。「見た事か」と言われても、俺はその計画について一言も聞かされちゃいなかったし反論する暇もなかったぞと。
俺はさぞかし嫌そうに見えるであろう表情で古泉の顔を見た。首周りぐらいは見えるし、それだけでも古泉の服が普段の制服と全く違うのは把握できる。
胸元に目をやると、控えめなタイと律儀な袖留め、更に視線を下ろしてそれはそれは嫌味に長い足も確認、革靴までもが丁寧に光っている。改めて顔を視認すると、今現在は少々困り気味な顔のハンサムだった。男の目から見ても有り得なさすぎて逆に違和感がないほど似合っている。
現代社会に存在しないだろ、こんな若くて綺麗な『執事』は。第一執事自体が15,6の若者にはない職だからな。どこまでが現実だか。
「どおーよ? 似合ってるでしょでしょ? もう格好良くってあたしびっくりしちゃった。うんうん、メイドのみくるちゃんと執事の古泉くん、SOS団は萌えの双璧を完備したのよ」
執事やメイドだけが萌えじゃないぞ。というのはここで冷静に語ってはならないネタである。
「お褒めに預かり、恐縮…いいえ、まことに光栄な事です」
古泉は俺に向き直って少し笑顔で固まった。少しの間だけだ。
「坊ちゃま?」
呼び方がキモイ。さっきの間はどうやら俺の呼び方を考えていたらしい。
「お荷物をお持ちします、どうぞ中へ」
「坊ちゃまはやめてくれ」
「はい、かしこまりました」
鞄まで預かってくれようとする古泉にコンビニのレジ袋だけ預かってもらい、俺はようやくまともに入室した。
テキパキと荷物を整理……いや、それぞれを相応しい場所へ置いた古泉執事は俺が席に到達する一歩手前で椅子を引いてまでくれ、こりゃどうもとありがたく座ったところでティーセットを机に運んできた、というのが今の状況である。
「マリービスケットね。これは合格。あとは?」
「バタークッキーと、チョコチップと……わぁ、わたしこれ大好きなんです!」
ハルヒが朝比奈さんと一緒に俺が買い出してきた茶菓子を漁っている。朝比奈さんがお皿お皿と呟きながら棚へ向かった様子を見るとどうやら小分けにして紅茶に添えてくれるつもりのようだ。
目の前ではまず白い陶器のピッチャーにミルクが用意された。並べたカップにはキャンディのように透き通った色の紅茶が注がれていく。
「本日は少々急ごしらえで、残念ながらレモンは用意出来ませんでした。アッサムを淹れてありますから、ミルクティーにすると美味しいでしょう。ミルクは少し温めてありますので、そのままお使い下さい」
音もなくカップとティースプーン、ミルクピッチャーが俺の前に出てきた。
朝比奈さんもしずしずとバタークッキーを盛った小皿を手前に置いてくれる。気づくと古泉執事以外は誰も喋っていない。その古泉執事ですらいつもの知恵袋トーク(本日はおそらく紅茶トリビア)を展開するのだろうと思っていたら、場の静かな雰囲気を守ったのか特にそうした事もなかった。
「主の意向に沿わない勝手なお喋りをする執事は好ましくないと考えます。旦那様がご希望でしたら何らかお話しをさせていただこうと思います」
「特に期待もしないけどな。それから旦那様はやめろ」
「では、なんとお呼び致しましょうか」
古泉執事はハルヒと長門に紅茶を運んで、俺のところへ戻ってくる。
「呼ばなくていい」
「しかし」
何故残念そうな顔をするか? こいつはこいつで急なコスプレを楽しんでいる模様である。
作品名:ボンノー・エブリディ 作家名:オミ[再公開]