ボンノー・エブリディ
「坊ちゃまがダメ、旦那様がダメ、あんたは一体なんて呼んでほしいのよ?」
「だからそういう呼び方はいいんだよ、気持ち悪い」
「気持ち悪いですか? 今日だけなんですよ?」
俺は今日だけなどと堅い事言わずに今すぐに着替えていただきたいし、今後も古泉の執事姿を望んだりしないぞ。変な呼び方を考えられるぐらいなら、そうだ冗談じゃなく今すぐに着替えてきなさい。
古泉執事も困った顔をしているじゃないか。見た目笑ってるけどな。
「ま……希少価値なんて言葉もあるしね。発動をもったいぶって置いておく萌え属性も必要かしら。隠し技ってとこよね」
「どこが萌えか」
「あんたはこの世間のどこを見て生きてんの、大衆意識でもてはやされているような文化には興味がないとでも言いたいわけ? 流行になるのだってただ騒がれてるだけでそうなったわけじゃないわよ、ちゃんとその文化には万人が受け入れる重要な着眼点が存在して、それを発見した人がその事を理解されるようプレゼンを行い、認められた結果が『流行』という形に変化しているのよ。流行ってるから自分はいいや、みたいな天邪鬼を貫いてちゃそのうち世間から孤立しちゃうわ。流行はイヤだからマイノリティに走るという考えはとっても短絡的なものよ。いーい、キョン? 世間が流行という名の毒に個性を冒されているのだと主張するなれば、あんたはマイノリティという毒に冒されてんのよ」
俺はまだマイナー趣味ですとは言ってないし、そういう趣向も今後持つ予定はないぞ。演説するだけして満足しているようだからかまわんが、趣味のマイナーっぷりに関しては俺よりも古泉に言ってほしいものだ。古泉はメジャーが嫌だからマイナーに、という考えではないだろうがね。
ついでに言わせてもらうと、世の流行の殆どは着眼点とプレゼンよりもマスコミの功績が何より大きい。
ともかく、この我侭なハルヒお嬢様は「世の中には執事カフェがあるじゃない!」という事を言いたかったらしい。
「ふー」
「これはまことに理知的なご意見を拝聴致しました。本日特に感銘を抱いたお話ですよ」
うん。矢張り喋るだけ喋って満足したようだ。紅茶を口に含み、わりと上品に味わうような仕草を見せる。横でよいしょしている古泉執事はいつもの事だ、かまわん。
「さておき、ご主人様でいいんじゃない?」
「彼の事ですか」
「坊ちゃまでも旦那様でもないんでしょ。じゃあ残ってるのは『ご主人様』じゃない? キョンがご主人様とか呼ばれるのは納得いかないけど、あたしも今日は『お嬢様』で面白いし」
見てみればハルヒの今日の腕章はマジックでお嬢様と書いてある。どんなお嬢様だ……いやいや俺が突っ込むべきはそれ以前の会話か?
「だそうです。本日は『ご主人様』との事で」
「との事で、じゃねえ!」
呼び方騒動ですっかりミルクの分量を間違え、ロイヤルミルクのようになった紅茶をふき出しかねない。
「団、長、命、令!」
「だそうです、ご主人様」
早く帰りたい。が、古泉執事が俺を「ご主人様」と呼ぶのならメイド朝比奈も今日は俺を
「そーだ! ねえねえみくるちゃん。今日はあたしの事、ご主人様って呼んでみてよ」
俺の夢・瞬間粉砕。
「ご、ご主人様ですかぁ? それはちょっと恥ずかしいかも……」
「いいのいいのぉ、恥ずかしくてもいいからご主人様って呼びなさい! ちょっと顔を赤らめながら!」
「ご、ご主人様」
「もー一回!」
「ご主人様っ」
「語尾を伸ばして!上げて!」
「ご主人様ぁ」
これはこれでいいか。横でご主人様ぁと呟いている古泉執事が気にかかるが、聴かなかった事にしたい。
「先に言う、やめとけ」
男に猫なで声でご主人様と呼ばれて、嬉しいかと聞く前に気持ち悪いと思わないのか。それもそうですね、と笑いながら古泉執事は普段座っている椅子を少し引いた位置で座り、ティーカップを口に運んだ。
「座るのはかまわんが、執事が足を組むのはオッケーなのか?」
「これは、失礼致しました。日常の癖はなかなか抜けないものですね、ご指摘ありがとうございます」
なんだかんだで俺も順応能力が高い。古泉のなりきりごっこに付き合ってるヒマはない。
「古泉。そこじゃなくて、机の前まで来い」
「はい、かしこまりました。 なんでしょう?」
椅子を持ち上げて移動し、普段の位置につく古泉執事。
「ゲーム、やらないのか?」
「あなたからゲームに誘ってくれるのは珍しいですね」
えらく嬉しそうに言うが、俺から言い出すのはそんなに珍しい事だっただろうか。思い返せば、いつも古泉が出してくるゲームに付き合う形でゲームを始めていた、ような。
「古泉くん。ご・しゅ・じ・ん・さ・ま、は?」
「おっと。これは失礼致しました」
「そんなところにつっこまなくてもいい!」
「ではご主人様。どのようなゲームをご所望でしょうか?」
「お前ものらなくていい!」
早く帰りたい。
「あの、あの、ご主人様にそのような」
「いいのよ、楽しいから」
後ろでハルヒに髪を結われ始めた朝比奈さんもなりきり開始している。うむ……これはこれで良いものだ。
「簡単にトランプでもしますか。ご主人様」
「いちいちご主人様と言わなくてもいい」
誰がお前のご主人様だ、心底気色悪い。古泉執事がシャッフルするトランプから視線を外し、溜息をつけばふと自分に刺さる視線があるのを感じる。見上げればそれは長門のものだったらしい。長門は俺と目が合うとフイと読書に戻ったが、「ユニーク」と呟いたのを俺は聞き逃さなかった。どうも長門の笑いのツボはわからん。
この日はまともに古泉を見られなかった。朝比奈さんがお湯を沸かし古泉が紅茶を淹れるという執事・メイドタッグのおかげでゲームも遅々としてなかなか終わらず、俺は皿に盛られたバタークッキーやスイートポテトを夕飯に差し支えないように気をつけながら食ってばかりだった。いや、食ってばかりなので当然夕飯には少々差し支えるだろうな。
結局、ほんの一ゲームで下校時刻となり、朝比奈さんが「私が着替えで最後まで残りますから、お片づけしておきます」と健気に申し出た。俺とハルヒ、長門はそのまま退室。
古泉は「僕の着替えはコンピ研の部室を少しお借りする事にしますか」と制服と鞄を持って隣の部室に入っていった。まぁあちらは男子部員ばかりだしな。
しかしハルヒと長門にだけでなく古泉にまで使われるようになったコンピ研、それでいいのか。
作品名:ボンノー・エブリディ 作家名:オミ[再公開]