夢をみたあと
嫌だ。怖い、こんなのない。涼宮ハルヒとは何なんだ? 僕らはそれを守らなきゃいけないのか? この変な世界も、この変な動悸も、全部『涼宮ハルヒ』がやったのか?
嫌だ。怖い、こんなのない。だけど、知っている。僕は『涼宮ハルヒ』の為に生まれ変わった。
空間に呼応して力が揺れ動く。あの巨人を倒すまで、僕の身体は解放を求める力に蝕まれ続ける。それでも嫌だ。この力を使ったら、僕は戻れなくなる。この異常な力と異常な世界から。両腕で自分を抱きしめて、ただ疼く力に耐える時間。嫌だよ、他の人たちは何故そんなに割り切って戦えるんだ?
巨人の周りを飛び回る光の球が一つ、空から流れ落ちた。それが人の形をしているもので、まっ逆さまに地面に落ちていく情景なのが僕にも判る。落ちる光を掬いに飛ぶ光が一つ二つ。
あんな高さから落ちたら、きっと死んでしまう。だから人手を減らしても助けに行くんだろうね。
嫌だ。怖い。きっと痛い。きっと辛い。きっと……
「私は、ここにいる」
強烈な思念が叫んだ。何時、何処から。そんな事はどうでもいいんだ。哀しみを含んだ葛藤を持て余す普通の女の子、"それ"……違う。あれ、と言った方がいい、今は。
あれが『涼宮ハルヒ』。どうすればいいのかは解らなかったけれど、僕は彼女に助力すべきなのだと悟る。
「私は、ここにいる」。「私は、ここにいる」。「私は、ここにいる」。
それは慟哭か。彼女を察する事が出来ても僕は怖くて行きたくなくて、痛い思いをしたくなくて戦いたくなくて、あとであざになりそうなぐらい強く堅く自分の両肩を握り締めて、泣いた。悔恨の響きを、知らず仮想空間に刻み続けるキミは、僕の目から見ても儚くて守られるべき子だ。
けれど、何故何故何故その役割を僕に渡したんだろう?
――こわい。だけど、それよりも……
#
ひっ、と自分がしゃくり上げた僅かな苦しさで目が覚めた。布を束ねたような固い枕に片手を添えてうつぶせで寝ていた。授業中の保健室のベッドの上。上体を起こし、肘をついて腕を重ねた。それから、自分で吐き出しておきながらもなんて大きな溜息だろう。
うっかり眠ってしまう前につついていた携帯を探す。報告メールは本文を打ち終えたのは覚えているが、送信していただろうかと。
「お目覚めか」
驚いて声のした方を見た。今まで気づかなかったのが不思議なほど判り易い方角に彼は居た。体操着で丸椅子に座って遠巻きに此方を見ている。体育の授業で、負傷でも? 手に包帯が巻かれているのを見ると、球技でひねったか突き指をしたかと推測される。保健教諭の姿はない、彼の手当てを終えてから外出でもしたか。
僕がここに居る理由は……彼相手ならば誤魔化さなくてもよさそうだ。
「授業中に何してんだ、お前は」
「見ての通り、自主休講です。サボタージュ、俗にサボりと言いますね。ん、少々『機関』に早急な報告がありまして、授業中に携帯を触るわけにもいかず、でして」
「仮病は余計悪いだろう。普段から優等生ってだけで堂々昼寝がまかり通るのは問題だな」
「本当ですね。あなたには変なところばかり見られます、不甲斐無い事この上ありません」
「ちっとも不甲斐なさそうに見えん。お前、たまに無用心だよな」
「ベッドの上でまどろむのは無用心ですか」
「ベッドの上ったって、保健室だと公衆の場だぞ」
「それは仰るとおりです。一本取られました」
「笑って誤魔化すな」
彼は立ち上がり、此方へ歩み寄ってこようとしている。なんとなし、彼の次の行動は予想がつく。避けるべきか否か。僕の普段のスタンスを思えば、ここで動じてはいけない。起き上がって薄く笑顔を保ったまま、彼がベッドの横に辿り着くのを待つ。
彼はベッド脇に立つと近場の丸椅子に腰を下ろして視線を合わせた。
「寝言でハルヒを呼んでた」
それが……何か。
「お前がハルヒを名前で呼ぶのは意外だ。『機関』の話でしか聞いた事がなかった」
やはり『機関』が優先事項なのかと彼は問う。
「僕があなたの考えを肯定すれば、あなたはどう思われますか」
そう聞いてみたところで、歓心を見せる彼など想像できなかった。
詰問されるとも思えないが、少なくとも反省を覚える。たとえ睡眠の上でコントロールできない事象であったとしても、失態を把握する人格で居なければならないのが僕だ。
「それも仕方ないんだろうがな。何も知らん人間が理屈抜きで考えると、ハルヒを怖がっているように見られるぞ」
侮れない答え。当てに来たわけでもない故に鋭い、そこが妙に彼らしくない答えだった。
「我々に『機関』にとって、果たして涼宮さんは畏怖すべきだけの存在でしょうか? 個人的には大変好ましい人格者だと思っていますよ」
「そりゃお前を見れば嫌いじゃない事も解るが。俺の発言を遠ざけて答えたな」
「おや。無視したわけではありませんが」
僕にとっての涼宮さんは恐怖の対象ではないし、彼も現状を把握していれば早々考え及ばない筈。
僕はタクシーの中で『機関』の人間――僕達が彼女に定義している重要性について喋り倒したものの、日常においては彼女を「好ましい常識人」だと賞賛している。
どちらが本音かを問われた、そうでなければ悟られた。まどろっこしい事は言わない彼に勘ぐられるのは少々気分が落ち着かない。
「俺が突っかかるのはそれだけじゃなくてな。お前」
彼の包帯を巻いた手が僅かに伸びて、ささやかに僕を指差そうとしていた。
「酷い顔だぞ」
自分でこう言うのも難儀だが、彼は僕の顔立ちに関して悪く言った事は一度もない。むしろその逆で、男が男に言うもんかと疑問に思うほど褒めてくれる。
男から見た『ハンサム』というのがどういう感覚なのかは僕には解らない。女性が『ハンサム』だと思う顔立ちを推測してそう表現しているのだろうという仮定に留まる。
「気づいてないわけじゃないだろ?」
僕を指差しかけた手は諦めをつけたように引っ込み、僕に残された判断材料は彼の呆れた様な、はたまた心配そうにも見える曖昧な表情だけだ。
「言うべきかどうか迷うが、泣いた跡がある」
それは忘れていたでも気づかなかったでもなく、どうしようもなかった。僕が目覚めた時には既に彼が居た。僕は涙の跡を拭う事も誤魔化す事も出来ず、ただ触れないように触れられないように振舞うしかなかった。近づかれなければ気づかれなかったが、彼が目の前に来るタイミングから完全に取繕い損ねていた。
「泣くような夢だったのか?」
「僕も自分では見当がつきません。涼宮さんの為に泣いていたわけではありませんよ」
「意味がわからん。ハルヒの夢じゃなかったのか」
「涼宮さんの夢であった事は間違いないですね。その辺、嘘は吐けません。『機関』が、涼宮さんについて僕と同じ認識を持つものばかりでない事もですね」
涼宮ハルヒを直接知らない能力者は多く居る。そうした者の中に、『涼宮ハルヒ』を『閉鎖空間の出現』とイコールで結ぶ人間も居る。
彼女は確かに存在している人間なのに、『機関』の一部にとっては災害のようなものだと思われているのだ。
嫌だ。怖い、こんなのない。だけど、知っている。僕は『涼宮ハルヒ』の為に生まれ変わった。
空間に呼応して力が揺れ動く。あの巨人を倒すまで、僕の身体は解放を求める力に蝕まれ続ける。それでも嫌だ。この力を使ったら、僕は戻れなくなる。この異常な力と異常な世界から。両腕で自分を抱きしめて、ただ疼く力に耐える時間。嫌だよ、他の人たちは何故そんなに割り切って戦えるんだ?
巨人の周りを飛び回る光の球が一つ、空から流れ落ちた。それが人の形をしているもので、まっ逆さまに地面に落ちていく情景なのが僕にも判る。落ちる光を掬いに飛ぶ光が一つ二つ。
あんな高さから落ちたら、きっと死んでしまう。だから人手を減らしても助けに行くんだろうね。
嫌だ。怖い。きっと痛い。きっと辛い。きっと……
「私は、ここにいる」
強烈な思念が叫んだ。何時、何処から。そんな事はどうでもいいんだ。哀しみを含んだ葛藤を持て余す普通の女の子、"それ"……違う。あれ、と言った方がいい、今は。
あれが『涼宮ハルヒ』。どうすればいいのかは解らなかったけれど、僕は彼女に助力すべきなのだと悟る。
「私は、ここにいる」。「私は、ここにいる」。「私は、ここにいる」。
それは慟哭か。彼女を察する事が出来ても僕は怖くて行きたくなくて、痛い思いをしたくなくて戦いたくなくて、あとであざになりそうなぐらい強く堅く自分の両肩を握り締めて、泣いた。悔恨の響きを、知らず仮想空間に刻み続けるキミは、僕の目から見ても儚くて守られるべき子だ。
けれど、何故何故何故その役割を僕に渡したんだろう?
――こわい。だけど、それよりも……
#
ひっ、と自分がしゃくり上げた僅かな苦しさで目が覚めた。布を束ねたような固い枕に片手を添えてうつぶせで寝ていた。授業中の保健室のベッドの上。上体を起こし、肘をついて腕を重ねた。それから、自分で吐き出しておきながらもなんて大きな溜息だろう。
うっかり眠ってしまう前につついていた携帯を探す。報告メールは本文を打ち終えたのは覚えているが、送信していただろうかと。
「お目覚めか」
驚いて声のした方を見た。今まで気づかなかったのが不思議なほど判り易い方角に彼は居た。体操着で丸椅子に座って遠巻きに此方を見ている。体育の授業で、負傷でも? 手に包帯が巻かれているのを見ると、球技でひねったか突き指をしたかと推測される。保健教諭の姿はない、彼の手当てを終えてから外出でもしたか。
僕がここに居る理由は……彼相手ならば誤魔化さなくてもよさそうだ。
「授業中に何してんだ、お前は」
「見ての通り、自主休講です。サボタージュ、俗にサボりと言いますね。ん、少々『機関』に早急な報告がありまして、授業中に携帯を触るわけにもいかず、でして」
「仮病は余計悪いだろう。普段から優等生ってだけで堂々昼寝がまかり通るのは問題だな」
「本当ですね。あなたには変なところばかり見られます、不甲斐無い事この上ありません」
「ちっとも不甲斐なさそうに見えん。お前、たまに無用心だよな」
「ベッドの上でまどろむのは無用心ですか」
「ベッドの上ったって、保健室だと公衆の場だぞ」
「それは仰るとおりです。一本取られました」
「笑って誤魔化すな」
彼は立ち上がり、此方へ歩み寄ってこようとしている。なんとなし、彼の次の行動は予想がつく。避けるべきか否か。僕の普段のスタンスを思えば、ここで動じてはいけない。起き上がって薄く笑顔を保ったまま、彼がベッドの横に辿り着くのを待つ。
彼はベッド脇に立つと近場の丸椅子に腰を下ろして視線を合わせた。
「寝言でハルヒを呼んでた」
それが……何か。
「お前がハルヒを名前で呼ぶのは意外だ。『機関』の話でしか聞いた事がなかった」
やはり『機関』が優先事項なのかと彼は問う。
「僕があなたの考えを肯定すれば、あなたはどう思われますか」
そう聞いてみたところで、歓心を見せる彼など想像できなかった。
詰問されるとも思えないが、少なくとも反省を覚える。たとえ睡眠の上でコントロールできない事象であったとしても、失態を把握する人格で居なければならないのが僕だ。
「それも仕方ないんだろうがな。何も知らん人間が理屈抜きで考えると、ハルヒを怖がっているように見られるぞ」
侮れない答え。当てに来たわけでもない故に鋭い、そこが妙に彼らしくない答えだった。
「我々に『機関』にとって、果たして涼宮さんは畏怖すべきだけの存在でしょうか? 個人的には大変好ましい人格者だと思っていますよ」
「そりゃお前を見れば嫌いじゃない事も解るが。俺の発言を遠ざけて答えたな」
「おや。無視したわけではありませんが」
僕にとっての涼宮さんは恐怖の対象ではないし、彼も現状を把握していれば早々考え及ばない筈。
僕はタクシーの中で『機関』の人間――僕達が彼女に定義している重要性について喋り倒したものの、日常においては彼女を「好ましい常識人」だと賞賛している。
どちらが本音かを問われた、そうでなければ悟られた。まどろっこしい事は言わない彼に勘ぐられるのは少々気分が落ち着かない。
「俺が突っかかるのはそれだけじゃなくてな。お前」
彼の包帯を巻いた手が僅かに伸びて、ささやかに僕を指差そうとしていた。
「酷い顔だぞ」
自分でこう言うのも難儀だが、彼は僕の顔立ちに関して悪く言った事は一度もない。むしろその逆で、男が男に言うもんかと疑問に思うほど褒めてくれる。
男から見た『ハンサム』というのがどういう感覚なのかは僕には解らない。女性が『ハンサム』だと思う顔立ちを推測してそう表現しているのだろうという仮定に留まる。
「気づいてないわけじゃないだろ?」
僕を指差しかけた手は諦めをつけたように引っ込み、僕に残された判断材料は彼の呆れた様な、はたまた心配そうにも見える曖昧な表情だけだ。
「言うべきかどうか迷うが、泣いた跡がある」
それは忘れていたでも気づかなかったでもなく、どうしようもなかった。僕が目覚めた時には既に彼が居た。僕は涙の跡を拭う事も誤魔化す事も出来ず、ただ触れないように触れられないように振舞うしかなかった。近づかれなければ気づかれなかったが、彼が目の前に来るタイミングから完全に取繕い損ねていた。
「泣くような夢だったのか?」
「僕も自分では見当がつきません。涼宮さんの為に泣いていたわけではありませんよ」
「意味がわからん。ハルヒの夢じゃなかったのか」
「涼宮さんの夢であった事は間違いないですね。その辺、嘘は吐けません。『機関』が、涼宮さんについて僕と同じ認識を持つものばかりでない事もですね」
涼宮ハルヒを直接知らない能力者は多く居る。そうした者の中に、『涼宮ハルヒ』を『閉鎖空間の出現』とイコールで結ぶ人間も居る。
彼女は確かに存在している人間なのに、『機関』の一部にとっては災害のようなものだと思われているのだ。