恋文
どこのクラスの女子だったか、僅かに見覚えのある女子生徒が俺を呼び止めて薄い洋形封筒を差し出してきた時にはどうしたものかと考えた。
一瞬戸惑う俺に、彼女は自分が九組に在籍している事と俺が古泉の友人である事を知っていたと告げる。
「分かった。けど、こういうものは……ほら、あれだ。他人づてじゃなくて自分から渡した方がいいと思うよ。アレ相手じゃ、まぁ……わからんでもないけど、あいつは好意を悪く思うようなヤツじゃないし」
「古泉君じゃなくて、貴方になんです」
なんと厄介な。涼宮ハルヒに洗脳され尽した俺の脳裏に最初によぎったのはソレ。そしてその次がごくごく普通に起こる「マジっすか」的な喜びだった。が、その喜びはすぐに打ち消された。
彼女は古泉と同じ九組の子だってさっき言われたじゃないか。古泉の顔を覚えていればその友人の顔もそのうちに見覚えがある程度には知れるだろう。だがそこで「そのお友達が好きになっちゃった」という展開があるものか? あんなハンサムが毎日のように同じクラスで惜しげないスマイル、文武両道極まりない優等生っぷり、更に誰の目からも変わらぬ人の善さを発揮しながらごろごろごろごろしてるのに、たまたまその隣に居た平々凡々の男子の方が気になっちゃったなんて女子が存在するのか?
これはフラグに見せかけて「ホントは古泉君と仲良くなりたくって……」というアレだ。俺はしっかり理解した。が、女子から手紙を差し出されているこの状態はマズイ。とりあえずこのイベントを終わらせて次の始末に取り掛からねばならんだろう。
俺は顔を赤くしてうつむいている彼女から封筒を受け取ると曖昧に笑顔を取り繕い、サンキュな、とだけ発した。彼女は走り去っていった。連絡方法を聞いてないし、名前も聞いてないが古泉ルートのものだろうから気にする事はないだろう。
さて、問題はこの手紙を
「見てしまいました」
SOS団の誰にも知られる事がないように隠蔽するのが俺に課せられた……
「ラブレターですか?」
使命だったというのに。
「古泉。これ預かれ」
一人バレたら三十人! SOS団の六倍の数だ、ハルヒに六回バレて三十六回からかわれる計算だ。ごめんこうむる。
まずこれを見つけてしまった古泉、尤もな関係者であるこいつにこれを押し付けて共犯になってもらう。
神様よ、あんたは俺に味方はしちゃいないようだが、一人目に古泉を寄越した辺りまだ慈悲を捨てていないんだな。
「この手紙はあなたがさっき」
「いや、判るだろ。早く受け取ってくれ。早急に、速やかにだ。話は後、この手紙はまずお前が持つ」
「何やってんの、あんた達」
古泉が封筒を受け取って困った微笑をたたえる姿を見れば、俺の後ろに居るハルヒの表情も自ずと知れるさ。俺の見立てじゃまだハルヒには完全に事が伝わっていない。そうだな、古泉?
俺は目の前の若干可愛げを残したスマイルくんに睨みでアイコンタクトを送り、仰々しく額に手を当てて大きく俯いた。
「だから早く受け取れって言ったのによ」
「そうは仰いましても、まだどなたからの手紙だとも聴かせていただいてませんし」
グッジョブ古泉。この優等生、俺の下手な演技に見事に乗ってくれた。
「古泉くんがモテる事ぐらい知ってるわよ。キョンを介してラブレター貰うぐらいあったってたまにはおかしくないでしょ。なーに慌てて…… ……?」
グッジョブだハルヒ。そのちょうどいい鈍さ、お前の普段の刺々しさとぴったり配合だ。少々語尾が濁ったのが心配だが。
「んふ、僕、あなたからのラブレターかと勘違いしてしまうところでしたよ?」
こいつの切り返しはいつでも悪趣味だ。今回はハルヒすら盛大に笑わせる威力を持っていた。
「あはははははは! あたしもそれちょっと考えちゃったんだぁ! 相当なギャグよねー、いやいやキョン、あんたホンットバカよね」
バカはお前だ。まるで演技でもしていたかのようにそこで笑い声を止めると
「そんな勘違いするわけないでしょうが、ホンットバカね! いくらあんたがモテないからって心配したげるほどヒマじゃないわよ」
バカって二度言われた。ついでに妙に酷い事も言われた気がするが、事実だからそれは受け止めておこう。封筒を丁寧にブレザーの内ポケットに仕舞った古泉が少し頭を傾けて俺に笑いかけた。
なんだよ……。上手く切り抜けましたかって事か? ま、今のところはな。
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「ねーねー古泉くん。あなたああいうラブレターって普段どうしてるの?」
「お前、中学時代はよく告られてたんじゃないのかよ」
「直接言われたり、電話が多かったからその場でどうとでも……なんでそんな話知ってんのよ? どうせアホどもから聞いたんでしょうけど、まったくくだらないのよ。今は古泉くんの話!」
そういやそういう話だったなと納得する。お前のゴシップと古泉のゴシップに格差があるのは初めて知ったぞ。
「モテそうな割にはラブレター見かけないし、靴箱にもあんまりメモ入ったりしてないわよね」、ってコイツはどこまで団員リサーチしてんだ。それは他人のプライバシーを脅かしてるぞ。
「そうですね、告白される事は少ないですよ。なので、一体どう切り抜ければよいのかと悩んでいるところです」
「ふーん。もう断るんだって決めてるんだ」
「はい」
余計な台詞が少ない。そりゃそうさ、あの手紙は古泉のものではないし古泉も手紙を読んでいない。預かってもらっているだけだ。付け足すと、古泉はその手紙が自分にも直接関わっているかもしれない可能性を知らない。
俺は手紙を「好きなんです」と告白されて渡されたわけではない。一概にラブレターのように見せかけられても、それは読むまで解らない。現状、予想にしか過ぎん。その予想もまた、正答かと聞かれれば「答え合わせはまだしてない」という状況で信頼の出来ないモノである。
しかし、ここで「これはラブレターではない」と言えばハルヒに中身を確認される可能性もあるわけだ。
「恋愛絡みってすっごい面倒よね。特進クラスでもいるんだ、そういう無駄な事考える子。成績の良さと人間としての理性の出来は違うわよね。 ……否定もできないか、勉強疲れで他人の優しさを求めていたという事も有り得るわ」
ハルヒは立派な団長椅子をくるっと回転させて窓からの景色へと向いた。その背中は憂う女の背中だ。中学の時には男を切っちゃ捨てしていた(と噂の)お前にも多少なりの配慮やそこそこの人間性があるようで喜ばしいぞ。
「古泉くん。あなたなら大丈夫だろうけど、後腐れないように上手くフォローしてあげなさい」
ハルヒも古泉に加えて女の子が関わった用件だと優しいものだ。本当は俺に宛てられた手紙だなんてとても言える空気じゃないな。