弱い理由
古泉の白い指が緑のゲーム盤に映え、今日は珍しく黒いチップを操って一列を黒に染めた。指先はそのままほぼストレートに近いカーブを描いて己の前髪をそっと掬い、かき上げる。
そうしている間も奴はスマイルを絶やさない。むしろその指を追っていた目と指の近くに見えた目で視線を合わせてしまった俺の方が真顔をやめさせられてしまった。別に、お互い表情を変えないにらめっこをしていたわけではない。それも斬新な遊びだが、普通のにらめっこであれば古泉は開始直後に判定負け確定だ。
にらめっこのルールなんぞ古泉には無縁のものだろうな。
「どうしました? あなたの番ですよ」
思考中も笑い絶やさず、まるで接待のようなオセロだ。古泉とは対照的に、若干音を立てる程度の加減でチップを置いて古泉の黒を白に染め返す。先ほど、黒に変えられた場所は全て白。
古泉はそうされる度に「いやぁ、まいりましたね」などと、コンピュータゲームのよく出来たCPUのように台詞を挟む。
二人きりの時は特に。普段の喋りっぷりからも察するに、きっとこいつは少人数や沈黙が苦手なのだ。
「まったく……敵いません」
チップを置いた後まで丁寧に一言。これだけ喋るボードゲームがあったとしたらよく売れるぞ。どうでもいいゲーム特典に対峙する俺は、それらの言葉全てに返答はしない。二回に一回。三回に一回。相槌を打つ。最初のうちは返答していたんだがな。あの一言一言は古泉の癖か何かなのだろうと思うと、おそらくこちらがなんと言おうと変わらない筈だ。
どうもバカらしくなって一度何も答えずに居てみたら、古泉は変わらずにゲームのアクションごとに言葉を挟んだ。それ以来、俺はあまり真面目に返答しなくなった。
古泉がゲームの最中に合いの手のように反応を返すのは、それだけゲームに真剣に取り組んでいるという証かもしれないが、そう考えるにしても古泉はいつも子供じみた置き方をする。とてもではないが、ゲームに真剣だとは思えない。
別のことを考えているようにも……見えないが。コミュニケーションを楽しんでいる、とか。ヒネた見方だが、あながち間違っていない気がする。
「古泉」
「はい」
俺が反したチップを相変わらず笑んで見ていた古泉がまっすぐと俺を見た。いや、考えながら話してくれてもいいんだが。
「オセロの最中、何考えてんだ?」
「と、申しますと?」
「反応が多いわりには手が伴わないな、と」
「申し訳ありません。今の僕の力量ではこれがいっぱいいっぱいです」
三、四。白を黒に変えながら、「あなたが強いんですよ」などと言う。俺のオセロの腕前なんざ、際立って強いわけでもない。全国大会に出そうとしても地区予選落ちに違いない。
「全力で考えて今の実力なのか」
ふと聞いてみた言葉はなにやら、今までの疑問――古泉がどうしてボードゲームに弱いのか――に対してしっくりとくる問いかけになった。問われた古泉はと言えば、少しの間だけ返事がなかった。どうせ副団長スマイルで誤魔化すに決まってる。
「何考えてるんだ?」
先手を打って問い掛けると、古泉は唇の端をニッと上げてその表情を意味ありげなミステリックな笑みに変える。その瞬間と来たら、俺がハルヒに抱く良からぬ不安と似た予兆を感じるような類のものだ。
こいつはこいつで時々何か企んでいる。
「何を考えていると思います?」
「……オセロ以外の事を考えているんだろう」
簡素に正解を定義させてもらった。俺が知りたいのは別の事を考えているか否かではなく、その考えている内容だ。解っちゃいるが、他人の考える無限大の答えを一つに絞るのは容易ではなく、俺もそこまで付き合ってやる気はない。
これも手っ取り早く当人にパスを返しただけだ。古泉が自分の番だと言われただけで喋ったなら儲けものという程度、期待値は低い。どうせ俺に何か言わせたくて四の五のと話を持ちかけてくるだろう。
そんな俺の意に反して、古泉は手にしているチップをゲーム盤に縦に打ち付け、そのまま手を固定した。
「もしかして、いつもそんな風に思われていましたか」
「ぼんやりとはな」
はっきりとそう考えられていたわけではないと知って、安心したのかなんなのか。古泉の胸中は知ったこっちゃないが、ともかく表情は少しばかり笑みが柔らかくなった。俺は目線をゲーム盤に戻し、次の手を探す。隙の多い古泉との盤だ、苦労はしない。
「唐突と言えば唐突ですが、実はそうでもない話です」
「話してみろ」
白を黒に、黒を白に。コツコツと数手進めながら世間話のように古泉の話を聞く事になった。
「明日、世界が終わるなら。……たとえるなら、そんな子供じみた事をよく考えます」
世界が終わるなら。確かに古泉の言うとおり、通常なら子供じみた思惑かもしれん。だが、古泉は男子高校生でありながらその双肩で世界を支えている。
口先で「ばかな」と一笑に付すような話でも、俺には否定できない事実だ。なんせリアルタイムで見てるからな。古泉が言う『世界の終わり』に立ちあった身では笑えない。
世界の一角が破壊されていく光景は、俺が見た『世界の終わり』の時も同じ形をしていた。
洒落にならない。
じんわりと呼吸すらひそめて黙り込んだ俺に、古泉は話を続ける。手元では白を黒に。一つ。
「世界が、どんな手を尽くしても明日で終わってしまうと決まったなら。どうしようか、と考えるんですよ。非現実的で、よくあるただの妄想です。なのに、僕はとても真剣にそれを考える時があるんです」
わざとに『非現実』だ『ただの妄想』だ、重たい言い方をするもんだ。言い聞かせるような言い方をされると、なかなかにしてキツイもんがある。こいつは知っているくせにな。
そういえば、世界が終わる前にこいつは俺に宇宙人・未来人それぞれからのメッセージを託しながらも、崩壊を受け入れるような台詞を吐いていた。
「手を尽くしても意味がないと決まったなら、僕のバイトも終わるでしょうし。世界最後の日に何をしようかな、とね」
「縁起でもねえな」
「まぁ、少しばかりリアルに際したごっこ遊びかもしれませんね。けれど、どうします? 今日が最後です、と言われたらあなたは何をします?」
とても嬉しそうに俺に訊ねる。気でも狂っているのか。それとも、本当にただの妄言遊びをしているのだとすれば笑っていても、かまわないだろう。
「世界が終わる頃を見計らって寝る」
「あなたの口からロマンチックな話が出るとも思ってはいませんが、寝てしまいますか……あなたらしいと言えばそうですね」
悪かったな。そういうお前はどうなんだ。ロマンチックな考えがありますと胸を張って言うのか? それはそれで気持ち悪い。黒いチップを裏返す。一、二、三、四。
「僕なら、まだ行った事のないところへ行って景色を見ておこうと思います。相手が居るなら、その人を連れて世界が追いつかないところまで逃げてみよう、ですとか。一人じゃなくて二人で。……いやらしい話ではないですよ?」
「わかるよ」