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古キョン3

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あの、と呟かれた声は、普段こいつが立て板に水のごとく曖昧で回りくどい例え話や心底くだらない冗談満載の解説を披露するときの鬱陶しいほどの余裕をどこかに置き忘れてしまったかのようだった。恐る恐るこちらの様子を窺うような、自信のなさそうな声。それでも無駄に甘いことに変わりはなかった。
 古泉が訴えようとしていることは、聞かなくてもわかる。そもそも現在の自分たちの体勢が、ごく一般の男子高校生2人にはあるまじき位置関係及びポージングである。1人暮らしの古泉のアパート、そのリビングに鎮座するゆったりした2人掛けのソファの上。右足がずり落ちたまま押し倒されている古泉。押し倒す俺。何だこの状況は、と問われれば非常に答えづらい。ご覧の通りである。この際男同士であることには目を瞑っていただきたい。

「……ええと、」
「うるさい黙ってろ」

 戸惑いつつ言葉を重ねようとした古泉をぴしゃりと遮ると、ああ、とかうう、とか意味のない声を発し、視線を泳がせた。気持ちはわかるぞ古泉。だっていつも俺はお前にそんな気分を味わわされているんだからな。少しは思い知れ。そして自重しろ。
 そう、いつもなら俺が古泉の位置にいるのだ。押し倒され組み敷かれて、じっと目を覗き込まれると、非常にいたたまれない。拷問に等しい居心地の悪さなのだ。だから今日は日頃の恨みを込めて、立場チェンジを決意した次第である。
 学校帰りに直接寄ったため、どちらも制服だ。ただし、その着こなしには大いに差がある。自分と違って第一ボタンまできっちり留めて、ネクタイも首元ぎりぎりまで締めている。苦しくないのだろうか、と思いつつそのネクタイに手をかけ、するりと解いた。古泉の体が強張るのがわかる。そのままシャツのボタンも外す。おお、自分のときとは合わせが逆になるからやりにくい。いつも古泉は手早く俺のボタンを外してしまうから知らなかった。これは古泉が器用なのか、それとも俺が不器用なのか?

「ちょ……っと待って下さい!」

 珍しく焦ったような声で制止に入り、古泉の手がボタン相手に格闘する俺の手を掴んだ。不満の意を視線に込めて睨むと、色素の薄い2つの目とかち合った。照明を反射してきらきらと光るその瞳には不安と焦燥が浮かんでいて、他の誰もこいつのこんな目を見たことがないに違いない、と思うと無性に嬉しくなった。視線を逸らさずに、にっこりと笑ってみせる。

「古泉、好きだ」

 俺がそう言った瞬間、古泉は表情を強張らせ、みるみる泣きそうな顔になった。ついでに言うと耳まで真っ赤だ。あ、やばい。今ちょっと「可愛い」とか思ってしまった。いつも古泉は俺に対して同じ言葉を使うが、それは間違いだと思う。訂正の意味も兼ねて、言ってみた。

「お前可愛いな」
「それはあなたです」

 いや違うってお前だ。鏡を見ろ。っていうか即答するな。
 ……落ち着け俺。冷静になれ。男に対して「可愛い」なんて思うか普通。本来なら朝比奈さんのように可憐な女性に対して捧げる言葉だろう。断じて自分よりでかい男を形容してしかるべきではない。こいつならせいぜい「胡散臭い」が関の山だ。
 古泉にぴったりの形容詞を頭の中で探しながら再びボタンを外そうと手を動かしたが、当の古泉が俺の手を放さない。畜生、こいつ手まででかいな。まだ成長期なんだろうか。ちょっとは俺にも分けろ。理不尽な言い分を頭の中で呟き、どうしたものかと悩んで、俺の手をシャツから引き剥がそうとする長い指を悪戯心で舐めてみた。

作品名:古キョン3 作家名:とおる