古キョン3
目の前、というより僕の上に馬乗りになった彼は、普段なら拝み倒しても見せてくれないような満面の笑みで、こちらを覗き込んできた。
「古泉、好きだ」
ちょ、ちょっと待って下さいこの状況でそれを言うんですか。いえ、嬉しいですもちろん。僕も好きです。でもそうじゃなくて。
いつもとは逆に押し倒されてしまってから動揺し放しの僕の様子がそんなにおかしかったのか、彼の機嫌はやけに良いようだ。それは嬉しいことなのだけれど、彼の思考が全く読めない。一体何がしたいんだ、この人は。
きっと動揺がしっかり表情に出てしまっていたのだろう。彼はますます笑みを深くし、面白くてたまらないといった声で続けた。
「お前可愛いな」
「それはあなたです」
びっくりするようなことを言われてしまった。しかし僕とてやられっぱなしで済ませられる性格ではない。即答すると、彼の表情が不満そうなものに変わった。しかしすぐに何かを考え込むように視線を伏せる。きっと僕に対してかける言葉を探しているのだろう。目の前に、いつも触れている首筋が、髪が、睫が。頭の中がかぁっと熱くなった。それは紛れもない欲情。
彼の手がまた僕の服のボタンを外そうと動いたので、掴む手に力をこめてそれを阻止する。彼は眉を苛立たしげに寄せた。そして、ゆっくり頭を下げたかと思うと、あろうことかいきなり僕の指を舐めてきた。
「っ、うわあぁぁ!?」
「うおっ」
今度こそ本気でびっくりして、とっさに僕は手を振り払ってしまった。すぐ近くにあった彼の顔をまともに直撃してしまい、それに巻き込まれた彼は僕の体の上からずり落ちた。慌てて僕は上体を起こす。
「す、すみません! 大丈夫ですか!?」
条件反射で謝ってしまったけれど、これは僕だけが悪いんじゃないと思う。だってこの人はいきなり僕の上にのしかかってきて、僕の服を脱がそうとした挙句、いきなり手を! 舌で! 手を!
ずり落ちた体勢のまま、彼は手で鼻の辺りを押さえながら顔を上げた。心配したほどには強くぶつからなかったらしい。驚いたように瞬きを繰り返す。
「俺こそすまん。大丈夫か?」
「……大丈夫じゃないです」
主に心臓が。そして理性が。
僕の内心など知らぬ顔で(まあ実際知らないのだろうけれど)彼は再び身を乗り出し、まじまじと僕の目を覗き込んできた。焦げ茶色の虹彩と、その中心にぽっかりと黒い瞳。近くで見て初めて気づいた睫の長さのせいで、両目に影が落ちている。そのせいか、瞳孔がきゅうっと大きくなった。思わず見蕩れてしまう。
「お前さ、どこもかしこも色薄いよな」
「どこもかしこもって……」
その言い方はどうなんですか、と言った僕の発言など耳に入らなかったかのように、ずいとさらに顔を近づけてくる。あの、すみません、近いです。そろそろ僕にも限界ってものが――。
「でも今は瞳孔広がってるからいつもより黒っぽいぞ」
「はあ……」
「で、知ってるか?」
長い睫がぱちぱち瞬いて、目が軽く細められる。ああこの人は今笑ったのだ、と頭のどこか奥の方でぼんやりと考えた。彼が自分のために笑ってくれたのだと考えるだけで、僕はもう命だって投げだせる。
「好きなものとか興味のあるものを前にすると、瞳孔って開くらしいぜ」
笑みを浮かべたままの双眸に自分が映っている。その瞳孔は大きなまま。ああ、なんて幸福!