太陽と刃
気づいたら眠っていた、というのは自分にはよくあることだ。特にこの場所では。ゆっくり目を開けると、顔のすぐ近くにイ草で編まれた床が見えた。確かこれはタタミという名前だ。タタミと頭の間には、2つに折った薄いクッションがある。えっと、これはなんて名前だったか。ザ……ザブ何とか。ザボだっけ?
「ああ、お目覚めになりましたか、ギリシャさん?」
柔らかい声が聞こえて、意識が覚醒を始める。木々が風にそよぐ音、自由にさえずる鳥の声。ここでは時間がゆっくりと流れている。時間の流れは均一ではない、と言ったのはアインシュタインだ。でも彼の説では、楽しい時間は早く過ぎてしまう。ということは、ここにいる時俺はつまらないと感じているのか? いや、まさか。だってこんなに居心地のいい場所はそう滅多にあるものではない。なら相対性理論は間違い? それもおかしな話だ。きっと答えはもっと別のところにあるのだろう。
「相変わらず遠慮を知らねェ奴だな。おい、起きろコラ」
割って入った無粋な声に、もう少しで何かつかめそうだった思考の泡がパチンと弾けた。挙句乱暴に肩を揺さぶられ、夢と現実の間を漂っていた意識も一気に引き戻される。せっかく気持ちよかったのに。
「トルコ死ね」
「テメェ……起きて開口一番がそれかィ」
「お前うざい。今イデア論の中にヒントを見つけられそうだったんだぞ」
全部台無しだ、とぼやいてはみるが、仕方なく身を起こす。いぶかしげなトルコが「そりゃ何の話でィ?」と聞いてきたけれど無視。説明してもわからないだろうしな。
タタミの上に座り直し、さっきまで頭を乗せていたクッションを元通り広げてから日本に差し出した。
「日本、これありがと。えっと、ザブ……ザボ……」
「座布団、ですよ。構わないのでどうぞ使ってください」
「……ん」
勧められるままにザブトンの上に座る。いつも笑顔を絶やさない日本は今日もにこりと笑って「跳ねてますよ」と言いつつ髪を整えてくれた。だって日本は跳ねたりしないんだもんなぁ。寝ぐせなんてつかないのだろうか。うらやましい。
「ずいぶん気持ちよさそうに眠っていらっしゃいましたよ。何か素敵な夢でも見てたんですか?」
「……夢は見てた。母さんの、夢」
視界の端でびくりとトルコの肩が揺れた。日本からは死角だったようで、俺の髪をいじる手を下ろし、微笑と共に首をかしげてきた。
「お母さまの夢ですか。それは素敵ですね」
「優しい母さんだった。いつも太陽の匂いがして」
名前を呼んでくれる声も、抱きしめてくれた温かな手も、全部覚えている。思い出はいつもきらきら輝いている。二度とは戻らない日々だからこそ、何にもまして大切な記憶なのだ。感情が薄れても記憶は残る。母さんからもらったこの体には、母さんの血が流れている。
「そういえば日本も、太陽の匂いがする」
「私ですか?」
普段は少し眠たそうな瞳をくるりと見開いて、日本は自分の体を見下ろした。袖口を鼻に近付けてくんくん匂いをかいでいる。俺も顔を近づけてみた。ついでに肩に額を乗せてみる。
「優しい匂い」
「ギリシャさん……」
「……テメェ調子に乗って何してやがる」
いつの間にか日本の隣に移動していたらしく、トルコの不機嫌な声がすぐ近くで聞こえた。頭の向きだけを変えてトルコを睨むと、仮面越しなのに苦み走った表情をしているのが手に取るようにわかった。
「まだいたのか。もう帰れよ」
「何でテメェに指図されなきゃならねェんだ」
「うざいから。あーもうトルコ死ね。アシュレの食いすぎで死ね」
「アシュレ馬鹿にしてんじゃねェぞ!」
仇を取る、という誓いは今もずっと胸の中にある。1日だって忘れたことはない。いつか絶対に殺してやろうと心に決めている。けれど今、この瞬間だけは。穏やかな空間に流れる緩慢な時間の中で、ほのかな太陽の香りと共に少しまどろんでいたい。