ヴァルナの娘
ヴァルナの娘
1
ポッド内に断続的に響くコール音に意識が戻された。
補助電源だけが照らすポッド内は薄闇で、コール音を告げるライトだけがやけに眩しかった。
シャアはシートに預けていた体を動かそうとして、鈍く走る痛みに眉を寄せた。
首から背中にかけて筋肉痛の様な痛みがある。
左足の膝から下は、コンソールと座席に挟まれて潰されており、痛覚を感じない。
溜息をつくとコールに答えるべくスイッチを押した。
「私だ」
声に反応してスピーカーから聞こえるのは、秘書兼副官であるナナイの声であった。
『大佐!?ご無事で……。今、どこにおいででいらっしゃいますか?』
安堵に幾分涙しているであろう声音である。
問われて周囲を見回すが、全天型モニターは完全にブラックアウトしており、周囲の状況はまったく分からない。その旨を簡潔に伝える。
『了解しました。ではそのまま回線をオープンにしたままにしておいて下さい。それを目標に、こちらから捜索致します』
「承知した。ポッドは安定している様だが、単機で漂っているわけではない様だ。しかし、酸素がいつまで保つか判明しない。なるだけ早く見つけてくれたまえよ」
苦笑しつつ、そう告げる。
スピーカーの向こうは騒然としているが、『お任せください』と返事が返された。
そのままスピーカーから聞こえてくる艦内の雑然とした音を聞きながら、ふと意識を失う前まで戦っていた相手が気になる。
互いに罵り合っていたが、ある意味初めて腹を割って言い合った様にも思う。
初めて出会ったのは14年前。サイド6であった。
その前にもMS越しに何度か戦っていたが、生身で出会ったのはあの時が初めてだった。
いかにも少年兵といった風情に苦笑し、同時に連邦のふがいなさを感じたものだった。
再びまみえたのはア・バオア・クーで、剣を交えての戦いとなった。
慣れない剣技に苦労しながらも、この眉間に創を負わせたのだ。
こちらも相手の右肩に深々と剣を刺し貫いたが・・・。
改めての出会いはアウドムラで、カラバとエウーゴの仲間としてであった。
共に手を携えて進めるかと期待すれば、宙を翔る翼は7年間の地球での生活で引き千切られており、羽ばたく事すら恐怖する様になってしまい、酷く落胆した記憶がある。
それでも己に対する対抗意識からか、宙は無理でも羽ばたく事は思い出してくれた事に喜びを感じたものの、再び宇宙と地球とに引き離されてしまった。
そして
腐敗した連邦と壊れそうな地球に対する思いから己が戦いを起こし、アムロを宇宙に引きずり上げた。
互角に戦う為に、サイコフレームの情報を流し、全開の状態のアムロとこうして戦ったのだ。
結果はどちらが勝ったのか。
自分は創を負いながらも生きている。
ならばアムロは?生きているのか?
サイコフレームの共振と生命エネルギーの放出で死んでしまったのだろうか。
精神を集中してみても、アムロの気配は何も感じられない。
アムロが女性だと知ったのは、1年戦争終結後。シャイアンに幽閉されていると聞かされた時であった。それまでシャアは、アムロを少年だと思っていた為、俄かには信じられなかった。
しかし、アウドムラで再び出会った時、MK‐?のマニュピレーターの上で風に煽られた紅茶色の長い巻き毛は、夕日を受けて真紅に燃え上がる様で、炎を纏った様に感じられた。
あの時から、シャアの中でのアムロの位置は常に揺れ動いている。
ライバルとしてのアムロ。
ララァを殺した憎いアムロ。
心引かれるアムロ。
自分の前に立ちはだかる忌々しいアムロ。
殺したいと思わせるアムロ。
そして
誰のものにもしたくないアムロ。
どれが自分にとってのアムロなのか定まらないまま、この決着の時を迎えてしまった。
そして今、己の中ではっきりしたのは、自分の傍に居て欲しいと強く思うアムロだった。
『分かっている。だから世界に人の光を見せなきゃならないんだろ!?』
アムロはシャアを理解してくれていた。
自分は孤独ではなかったのだ。
ララァは自分にとってはニュータイプとして導いてくれる母の存在だった。
しかし、アムロは片翼であり、自分の為に存在した唯一無二の魂だったのだと判ったのである。
そのアムロはこの宙域でどうなっているのか。
壊れたモニターは何も映さない。
焦れる様に待ったのはどの位か。
ようやく外部からポッドをこじ開ける音がしてきた。
開かれた視界に飛び込んで来たのは、焼け爛れたν‐ガンダムの機体。
片翼の真っ白な死天使は、無残にも大気圏との摩擦で焼かれて色を失くしていた。
ギュネイと衛生兵は、すばやくシャアの左足を解放すると固定し、搬送用ポッドに移るように誘導する。
しかし、シャアはアムロの存在を確認したいと強く思った。
シャアは二人の手を振り払うとνに取り付きコクピット付近を叩き、接触回線を用いてアムロに声をかけ続ける。再三声かけをしても、中からは何の反応も返ってこない。
「私が開けましょうか?」
見かねたギュネイが申し出る。
頷きかけたシャアだったが、ハッと気付く。
もしノーマルスーツが破損していれば、開口した途端にアムロは風船の様に弾け飛んでしまう。
最悪の事態は避けたかった。
「νをレウルーラまで牽引せよ。乗員の生死を確認後、艦外で爆破する」
シャアの言葉に、ギュネイは幾分渋る様な表情を見せはしたが指示に従った。
νはワイヤー牽引でレウルーラのMSデッキに運び込まれた。
デッキ内の空気が充満されるのを待って、νの外部からの開口フックに手が掛けられる。
きしむ音を立てながら開いたコクピットから、無重力の空間に紅茶色の髪が広がった。
アムロはメットを装着していなかったのである。
それだけでなく、コクピットからフワリと漂い出てきたアムロの手足は、ありえない方向に捻じ曲がっていた。ベルトも着けていなかった為に、全身打撲による多重骨折を起こしているのが見て取れる。
アムロの姿をこの目にするまでは医務室への搬送を拒絶し続けていたシャアも、その姿に息を呑んだ。
「アムロを至急収容し、治療を始めよ!」
悲鳴のような声がシャアの喉を突いて発せられた。
レウルーラの医務室は、一気に戦場と化した。
総帥の治療を優先しようとする部下達を押し止め、シャアはアムロの治療をする様に命令した。
検査の結果、アムロは全身の骨折にくわえ脳内出血を起こしている事が判明した。
「場所はどこなのだ!?」
異様な程に慌てる総帥の様子に、医師達は二の句が告げられなくなる。
「早く報告しろ!!出血はどこからなのかと聞いている!!」
「脳幹部です」
中佐でもある医長が、震える声でようやく口を開いた。
「出血箇所は脳幹部なのです。このままですと、明日を待たず生命機能が停止します」
「なっ……何だと……?」
シャアはベッドに横たわるアムロに視線を向けたきり沈黙した。そのまま、幽鬼の様にアムロの元に行こうとする総帥を、部下達は必死で止めた。
「おやめ下さい、総帥。貴方様も怪我をしておられるのです。一刻も早く治療を開始しなくては左足が使用出来なくなってしまいます」
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ポッド内に断続的に響くコール音に意識が戻された。
補助電源だけが照らすポッド内は薄闇で、コール音を告げるライトだけがやけに眩しかった。
シャアはシートに預けていた体を動かそうとして、鈍く走る痛みに眉を寄せた。
首から背中にかけて筋肉痛の様な痛みがある。
左足の膝から下は、コンソールと座席に挟まれて潰されており、痛覚を感じない。
溜息をつくとコールに答えるべくスイッチを押した。
「私だ」
声に反応してスピーカーから聞こえるのは、秘書兼副官であるナナイの声であった。
『大佐!?ご無事で……。今、どこにおいででいらっしゃいますか?』
安堵に幾分涙しているであろう声音である。
問われて周囲を見回すが、全天型モニターは完全にブラックアウトしており、周囲の状況はまったく分からない。その旨を簡潔に伝える。
『了解しました。ではそのまま回線をオープンにしたままにしておいて下さい。それを目標に、こちらから捜索致します』
「承知した。ポッドは安定している様だが、単機で漂っているわけではない様だ。しかし、酸素がいつまで保つか判明しない。なるだけ早く見つけてくれたまえよ」
苦笑しつつ、そう告げる。
スピーカーの向こうは騒然としているが、『お任せください』と返事が返された。
そのままスピーカーから聞こえてくる艦内の雑然とした音を聞きながら、ふと意識を失う前まで戦っていた相手が気になる。
互いに罵り合っていたが、ある意味初めて腹を割って言い合った様にも思う。
初めて出会ったのは14年前。サイド6であった。
その前にもMS越しに何度か戦っていたが、生身で出会ったのはあの時が初めてだった。
いかにも少年兵といった風情に苦笑し、同時に連邦のふがいなさを感じたものだった。
再びまみえたのはア・バオア・クーで、剣を交えての戦いとなった。
慣れない剣技に苦労しながらも、この眉間に創を負わせたのだ。
こちらも相手の右肩に深々と剣を刺し貫いたが・・・。
改めての出会いはアウドムラで、カラバとエウーゴの仲間としてであった。
共に手を携えて進めるかと期待すれば、宙を翔る翼は7年間の地球での生活で引き千切られており、羽ばたく事すら恐怖する様になってしまい、酷く落胆した記憶がある。
それでも己に対する対抗意識からか、宙は無理でも羽ばたく事は思い出してくれた事に喜びを感じたものの、再び宇宙と地球とに引き離されてしまった。
そして
腐敗した連邦と壊れそうな地球に対する思いから己が戦いを起こし、アムロを宇宙に引きずり上げた。
互角に戦う為に、サイコフレームの情報を流し、全開の状態のアムロとこうして戦ったのだ。
結果はどちらが勝ったのか。
自分は創を負いながらも生きている。
ならばアムロは?生きているのか?
サイコフレームの共振と生命エネルギーの放出で死んでしまったのだろうか。
精神を集中してみても、アムロの気配は何も感じられない。
アムロが女性だと知ったのは、1年戦争終結後。シャイアンに幽閉されていると聞かされた時であった。それまでシャアは、アムロを少年だと思っていた為、俄かには信じられなかった。
しかし、アウドムラで再び出会った時、MK‐?のマニュピレーターの上で風に煽られた紅茶色の長い巻き毛は、夕日を受けて真紅に燃え上がる様で、炎を纏った様に感じられた。
あの時から、シャアの中でのアムロの位置は常に揺れ動いている。
ライバルとしてのアムロ。
ララァを殺した憎いアムロ。
心引かれるアムロ。
自分の前に立ちはだかる忌々しいアムロ。
殺したいと思わせるアムロ。
そして
誰のものにもしたくないアムロ。
どれが自分にとってのアムロなのか定まらないまま、この決着の時を迎えてしまった。
そして今、己の中ではっきりしたのは、自分の傍に居て欲しいと強く思うアムロだった。
『分かっている。だから世界に人の光を見せなきゃならないんだろ!?』
アムロはシャアを理解してくれていた。
自分は孤独ではなかったのだ。
ララァは自分にとってはニュータイプとして導いてくれる母の存在だった。
しかし、アムロは片翼であり、自分の為に存在した唯一無二の魂だったのだと判ったのである。
そのアムロはこの宙域でどうなっているのか。
壊れたモニターは何も映さない。
焦れる様に待ったのはどの位か。
ようやく外部からポッドをこじ開ける音がしてきた。
開かれた視界に飛び込んで来たのは、焼け爛れたν‐ガンダムの機体。
片翼の真っ白な死天使は、無残にも大気圏との摩擦で焼かれて色を失くしていた。
ギュネイと衛生兵は、すばやくシャアの左足を解放すると固定し、搬送用ポッドに移るように誘導する。
しかし、シャアはアムロの存在を確認したいと強く思った。
シャアは二人の手を振り払うとνに取り付きコクピット付近を叩き、接触回線を用いてアムロに声をかけ続ける。再三声かけをしても、中からは何の反応も返ってこない。
「私が開けましょうか?」
見かねたギュネイが申し出る。
頷きかけたシャアだったが、ハッと気付く。
もしノーマルスーツが破損していれば、開口した途端にアムロは風船の様に弾け飛んでしまう。
最悪の事態は避けたかった。
「νをレウルーラまで牽引せよ。乗員の生死を確認後、艦外で爆破する」
シャアの言葉に、ギュネイは幾分渋る様な表情を見せはしたが指示に従った。
νはワイヤー牽引でレウルーラのMSデッキに運び込まれた。
デッキ内の空気が充満されるのを待って、νの外部からの開口フックに手が掛けられる。
きしむ音を立てながら開いたコクピットから、無重力の空間に紅茶色の髪が広がった。
アムロはメットを装着していなかったのである。
それだけでなく、コクピットからフワリと漂い出てきたアムロの手足は、ありえない方向に捻じ曲がっていた。ベルトも着けていなかった為に、全身打撲による多重骨折を起こしているのが見て取れる。
アムロの姿をこの目にするまでは医務室への搬送を拒絶し続けていたシャアも、その姿に息を呑んだ。
「アムロを至急収容し、治療を始めよ!」
悲鳴のような声がシャアの喉を突いて発せられた。
レウルーラの医務室は、一気に戦場と化した。
総帥の治療を優先しようとする部下達を押し止め、シャアはアムロの治療をする様に命令した。
検査の結果、アムロは全身の骨折にくわえ脳内出血を起こしている事が判明した。
「場所はどこなのだ!?」
異様な程に慌てる総帥の様子に、医師達は二の句が告げられなくなる。
「早く報告しろ!!出血はどこからなのかと聞いている!!」
「脳幹部です」
中佐でもある医長が、震える声でようやく口を開いた。
「出血箇所は脳幹部なのです。このままですと、明日を待たず生命機能が停止します」
「なっ……何だと……?」
シャアはベッドに横たわるアムロに視線を向けたきり沈黙した。そのまま、幽鬼の様にアムロの元に行こうとする総帥を、部下達は必死で止めた。
「おやめ下さい、総帥。貴方様も怪我をしておられるのです。一刻も早く治療を開始しなくては左足が使用出来なくなってしまいます」