NO NAME
夏休みに入り。
またくだらなくも、居心地の良い空気が戻ってくるのだと思って、僕は自覚はなかったが少し気分が良かったんだと思う。
いつもより、結構早い時間に学校に来た。
朝練にせいを出す運動部のジョギング風景なぞを横目に、玄関で靴を履き替え、人気のない階段を昇った。
しん、と静まりかえった空気。
独特の空間。
普段は何の事ない話をしながら歩く生徒達がそこかしこにいるというのに、今は誰もいない。
人のいない学校って、結構面白いかもしれない。
今までこんなに早く学校に来たことはなかったから知らなかったけれど。
まるで知らない場所のようだ。
教室へ行ってみると、やっぱりまだ誰もいなかった。
・・・と、ふとある机に目を留める。
鞄があった。
学期前の記憶を掘り返して、誰の席だったか思い出すと、僕は鞄を置いて自然と屋上へと向かった。
***
やっぱり鍵が開いていた。
何となくそんな気がしていたが。
いつかと同じように、軋む扉を開く。
途端、朝日が目を焼いた。
夏の半ばを過ぎたとはいえ、まだ朝は早い。ちょうど校舎と同じような高さになってたんだろう。手で光を遮りながら、屋上の硬いコンクリートに一歩を踏み出した。
「――――何か探し物?」
扉が開く音に気付いていなかったのか、彼は驚いたように振り返った。
「・・・って、前聞いたよな、ここで」
正しくはあそこから、と指で時計塔を指差す。
彼は少しだけ視線を揺らすと小さく笑ったようだった。
陽光がちょうど逆光になっていて、今どんな表情をしているのかは判らない。ただ、そんな気がしただけだった。
また今日も胸元にあのデカイ逆三角のアクセはない。下に置いてきたのだろうか。鞄の所には何もなかったような気がしたけど。
…まぁ、いいか。
「休みの間に結構やってきたんだ。前よりマシだと思うから、今度相手してくれよ」
最初、何のことだか思い出せないようだった。オセロ、ほらあのマグネットの、と言うとようやく何か納得したように頷いて、
「ありがとう」
静かにそう言った。
ペコリ、と丁寧にお辞儀まで付けて。
何だ何だ。
そんな礼を言われる程の事なのかは判らなかった。
ただ、次に顔を上げた時、真っ直ぐに彼はこっちを見た。そして、深い夜のような紫の瞳がゆっくりと細められて、笑った。
「負けないよ」
する、と胸元を撫でるように手が滑る。
しゃらりと、あの鎖が何処かで音を立てたような気がした。
あとでね、と言い置いて彼は背を向けた。
僕はそれ以上声を掛けれずに、ただ彼を見送った。
チャイムが鳴り響く。
目覚めとはじまりを呼ぶ音だった。