幸福な夢を見る
「それは、物語に聞いてくれ・・・俺は用意された舞台で踊っただけだから・・・・・・でも、そうだなあ、うん、そうだ、君が俺を好きだからじゃないのかい? それとも俺が君を好きなのかもしれない。だから物語がサービスしてくれたのかもしれない。どう、思う?」
首を傾げて、笑う臨也。考えて、考えてみて、帝人は今も尚彼のことを好きだと思ったが、ゆるりと首を振った。横に。
「どちらも不正解ですよ。だって、僕らがこうなったのは、物語のせいで、物語のおかげだ」
「成る程、そうだね、その通り・・・・・・でもさ、帝人君。恋をするのは物語ではないよ、俺たちだよ。たとえ物語がレールを敷き、それに沿って歩かされたとしても、恋をするのは俺たちなんだから。しっちゃかめっちゃかに悩んで、考えて、泣いて、笑って恋をする。決められた枠の中で既存の恋をしようとする。俺は、俺自身も含めてそんな健気な恋に生きる人間が好きだ、愛していると言ってもいい――もちろん、君の次にね。さ、もう、おしまいだ。君は、どうする? 修正するのか、物語を終え日常に戻るのか、それともまた新たな物語を作るのか」
「どうしましょうね」
「考えるのは君だ、俺はこの物語の主人公じゃないんでね。といってもまあ、君も主人公に向くタイプでもなさそうだけど。もっと主人公っていうのは、おもしろくなくちゃね。特異性があって、これだっていう輝きを持ってなくちゃ」
「持論ですか?」
「いいや、主人公になれなかった男の戯れ言さ」
帝人は目を閉じた。物語を紡ぐ。それはとても難しいようで、あっさりとイメージ出来た。見慣れた池袋の風景が脳裏に広がっていく。さあ、始めはどうしよう――誰を物語の中心に据える? 非日常まかり通る池袋にもっともふさわしいのは、誰だ――?
・・・ ・・・
――予想したとおり、公園の人ではさほどでもなかった。友人同士や家族連れの姿はちらほら見えたが、あまりかちあいたくない人種はいないようである。漫然とあたりを見渡し、とりあえずベンチにでも座ろうかと思ったところで、帝人はその人に気がついた。
よく見る、ファーのついた黒コートの人物。その人は、首を振りながら地面をぼんやりと歩く鳩の群をぼんやりと見つめていた。らしくなくくたびれた雰囲気に少し首をひねるが、折角だから挨拶をしようと彼に近づいた。
「臨也さん」
「……」
「臨也さん?」
少し、声を大きくした帝人に鳩が何羽か空へと逃げる。ごく平凡な休日の公園にはその音が目立つこともなく、たむろす人々は己の休日を満喫している。だから、気が付いたのは帝人の目の前にいる彼だけであった。ゆるりとあげられた顔は、いぶかしげに歪んでいて、それは帝人に本格的に様子がおかしいと悟らせるには十分だった。
「あの、臨也さん、大丈夫ですか?」
「……」
「臨也、さん?」
「…ん、ああ、帝人君か。実際に会うのは久しぶりだねえ」
まるで彼らしくない。目の下に黒々とした隈などをたたえて、強い風に吹かれたらどこかに飛んでいってしまいそうだ。
「あの、本当に、大丈夫ですか?」
「・・・・・・正直あまり大丈夫じゃないかな・・・いや、ちょっと仕事で三日ほど一睡もしていなくてね。まったく俺としたことがなってないよ」
「ええと、じゃあこんなところにいないで家に帰った方がいいんじゃないかと」
「今帰る途中だったんだ。ただ、あまりにもしんどくて、ちょっと休憩のつもりで座ってたんだけど、思いの他気持ちよくてさ・・・」
「はあ」
そうして目を閉じた臨也は、確かに気持ちよさそうではあった。天気も、気温もいい。昼寝するにはぴったりの気候であることはよく分かる。臨也の隣に腰掛けて、帝人は空を仰いだ。大小様々な形の雲が浮かび、漂う。穏やかな日差しは、上下の瞼を合致させ境界線を曖昧にする・・・ひどく眠りたくなった。
「意識はあるんだ・・・でも、表面上はほとんど眠っていて、とても穏やかな心持ちになる。それでいて感覚はひどく鋭敏になり、周りで行われているすべてを体験し、聞き、見、感じる一方で、俺はひどく遠くから世界を俯瞰している」
「・・・・・・帰って寝た方がいいですよ」
「これがたまらなく気持ちいい。俺は確かにその中心に居て息をしているというのに、世界は俺に構わず動き続ける。そうだな、とても幸福な夢を見ている気分だ。俺が世界で、世界が俺で、世界を作るのは俺で、俺はその世界に置いていかれる・・・」
「・・・・・・」
臨也は黙り込んだ。しばらく待ってみたが続きはないようで、ひそやかな寝息が聞こえてくる。あるいは、起きていてこっそりとこちらの動向を窺っているのかもしれないが、もう話は済んだと判断して、帝人は立ち上がった。
何かをしようという気はもう失せている。帰って、昼寝でもしよう。貴重な休みを睡眠に使うのも贅沢な話であったが、幸せそうな顔で目を閉じる彼を見ていると、それも悪くないと思える。
一歩踏み出して、それから帝人は振り返り言った。
「・・・おやすみなさい、臨也さん」
「・・・・・・」
「よい、夢を」
彼の見る夢は一体どのようなものかは分からない。だが幸せであればいいと、そう帝人は思った。