格好だけでもつけやがれ。
格好だけでもつけやがれ。
最近全てが上手くいかない。此処一週間、世界の全てが浜田にとっては敵以外の何者でもなかった。バイト先では変な客に絡まれるわ、休みの日なのにヘルプを頼まれるわ。其のせいで疲れが取りきれず、寝坊したあげくに、せっかくやった宿題を家に忘れた。全くいいことがない。溜まりきった疲労はことごとく、浜田から小さな楽しみや喜び、そういったことを感じ取る感覚を奪っていってしまった。 ……もうなんかどうでもいいや。何に対してというわけでもない。とにかく自分を取り囲む何もかもがどうでもいいものに思える。バイトに学校、対人関係に自分を見下ろしてくるこの空、仕舞には呼吸をすることさえどうでもよかった。此の世のありとあらゆるものが煩わしくて仕様がない。
全部無くなっちまえばいいのに…。そうは思うものの、本当に自分を取り囲む全てが消え失せてしまったら自分は生きていけないだろう、と浜田は思う。本当の孤独…其の中に放り込まれてしまえばきっと、すぐに気が触れてしまうに違いない。自分のことはよく分かっている。よく分かっているからこそ、浜田はそんな自分が嫌で堪らなかった。独り、そういったモノに浸れる強さが欲しくて欲しくて仕方がない。家族と離れ一人暮らしをしている今、決して淋しくないとは云えない生活、其れを支えてくれているのは間違いなく友人たちのお陰だ。 ……ったぁく浜田は仕様が無ぇなぁ。呆れたように云いながら、困った時には必ず力になってくれる友人たち。彼らが云う、”バカ”とか”アホ”と云う貶し言葉、其処からにじみ出る優しさは、浜田にとって有難いものだ。皆のさらりとした押しつけのない親切。いつもなら有難いはずの其れが、今の浜田には重荷でしかない。おそらく今、”浜田は本当バカだよなぁ”と云われてもいつもの様に、”あぁ、どうせオレはダメな奴だよっ”などと軽くは返せない。そんなことを云える自信がない。 ……今はなんか無理だアイツらと居るの。避ける様に、放課後になった途端浜田は教室を出た。
一人になりたい、でも何となく家には帰りたくない。ふらりと足が向いて、浜田はいつも野球部が練習しているグラウンドへやってきた。今日は幸いにも休部日。グラウンドには誰もいない。休部日の今日、グラウンドの鍵が開いているわけもなく、浜田は行く手を阻む南京錠を手に取って眺める。手に取った其れは思っていたよりもずしりと手のひらで重さを主張した。やっぱ登るしかないか。ふぅ、と息を吐くと浜田は手にした南京錠を離す。カシャンと音を立てると、表面のすり減った金属の塊は、元の位置に戻っていった。其れを見届け、周りより背の低い場所を選んで、浜田はフェンスに手をかける。ガシャガシャと音をさせながらフェンスをよじ登り難なくグラウンドに入ることが出来た。本来グラウンドは神聖な場所で、出入り時に一礼、また練習前後に皆で整列しお辞儀をする。そんな場所に、とんでもない入り方をしてしまったことが酷く後ろめたかったが、何故か無性にこの場所に来たかったのだから仕方がない。広いグラウンドに一人きり。いつもは野球部やそのほかの部活も使っていて賑やかな様子ばかり見ていた浜田にとって、今日のこの静かすぎるグラウンドは別世界のようだった。
座ろうとベンチに向かって歩いていた浜田の足に何かがぶつかる。気になってみてみれば其処にはボールが一つ転がっていた。あー……誰かしまい忘れたな? 監督に見つかったら怒られんぞー。ボールを手に取り取り、浜田は怒った百枝を想像して苦笑いする。今年新設の部。実績の無い部に予算が多く出るわけもなく緊縮財政の中、父母会の助けも借りながら百枝も自腹を切りつつ遣り繰りしているのだ。硬球一個だって馬鹿にならない。しかも消耗品だから尚更だ。なんつーか、あの人も相当の野球好きだわな。ふとそう思ってみてから、野球好きと云う言葉が引っ掛かる。浜田もかつては大の野球好きだった。幼い頃ギシギシ荘で三橋と遊んでいた時もその後も、浜田は野球三昧の日々を送っていた。楽しかった日々を思い出し、浜田は急に手にしたボールを投げてみたい感情に駆られる。きゅっ、と握りしめた其れは何とも懐かしい感覚。マウンドに登ると、すぅ、と浜田は息を吸う。もう暫くやってはいなかったが体は覚えているらしい。綺麗にセットからモーションへ移れる。そうして、浜田は捕手のいないホームの方へ向って思い切りボールを投げた。
うぁっ……。短い悲鳴を上げて浜田はその場に蹲る。肘が伸びようとした瞬間、肘に激痛が走ったのだ。リトルリーグ肘。浜田が野球を断念せざるを得なくなった原因の悪魔は、普段息を潜ませているがしっかりと其処に存在した。ボールはホームに届くことなく、マウンドとの中間あたりにコロコロと転がっている。其れを見ると、浜田は急に虚しくなってマウンドに仰向けに倒れた。身体の上に青い空が広がる。……オレってちょーカッコわりぃ。青々しい空が眩しくて、浜田は腕を額に乗せると目に刺さる光を遮った。はっ、ハマちゃんはすっ、ごいよねっ。ふと、頬を赤くしながらやや興奮気味にそう云った三橋を思い出した。すごくなんかないんだよ、オレは全然すごくない……。今日の昼休み、三橋のシャツに取れそうなボタンを見つけ、浜田は置きっぱなしになっていた裁縫道具で付け直してやったのだ。三橋はボタンを付け直してもらったシャツを広げると、すごいすごいっ、と目を輝かせる。そして、ハマちゃんは昔から何でも出来てカッコいい……、と云うと嬉しそうにフヒッっと笑う。そんな三橋の言葉と嬉しそうな様子に、浜田は密かに歯を食いしばるしかなかった。哀しいような悔しいような。
なぁ、三橋。オレは何でも出来たりしねぇよ。勉強もそこそこだし、ボールだって思い切り投げられねぇんだ。其処まで思うと、いよいよ浜田は泣きたくなった。肘はまだ鈍く痛み、微かに目の奥が熱い。目を覆っていた腕をどかすと、浜田は身体の上に広がる空を再び見る。青い空間は、広々としていて果てしない自由さに満ち満ちている感じがした。一人暮らしって自由にできてうらやましい。他人はよくそう云う。けれど浜田は思う。何もかもが自由で、少しも自由じゃない。学費を稼がなければならない、食べて行かなくてはいけない、そして両親をこれ以上心配させないように勉強もしなくてはいけない。頑張らなくては、という気持ちで、浜田はいっぱいいっぱいだった。独りで生きていける強さが欲しい、そう望む気持ちとは反対に、誰かに頼りたい、助けてもらいたい、と思ってしまう自分。酷く頼りない己にうんざりして、青空に向かって大きなため息を吐いた。
最近全てが上手くいかない。此処一週間、世界の全てが浜田にとっては敵以外の何者でもなかった。バイト先では変な客に絡まれるわ、休みの日なのにヘルプを頼まれるわ。其のせいで疲れが取りきれず、寝坊したあげくに、せっかくやった宿題を家に忘れた。全くいいことがない。溜まりきった疲労はことごとく、浜田から小さな楽しみや喜び、そういったことを感じ取る感覚を奪っていってしまった。 ……もうなんかどうでもいいや。何に対してというわけでもない。とにかく自分を取り囲む何もかもがどうでもいいものに思える。バイトに学校、対人関係に自分を見下ろしてくるこの空、仕舞には呼吸をすることさえどうでもよかった。此の世のありとあらゆるものが煩わしくて仕様がない。
全部無くなっちまえばいいのに…。そうは思うものの、本当に自分を取り囲む全てが消え失せてしまったら自分は生きていけないだろう、と浜田は思う。本当の孤独…其の中に放り込まれてしまえばきっと、すぐに気が触れてしまうに違いない。自分のことはよく分かっている。よく分かっているからこそ、浜田はそんな自分が嫌で堪らなかった。独り、そういったモノに浸れる強さが欲しくて欲しくて仕方がない。家族と離れ一人暮らしをしている今、決して淋しくないとは云えない生活、其れを支えてくれているのは間違いなく友人たちのお陰だ。 ……ったぁく浜田は仕様が無ぇなぁ。呆れたように云いながら、困った時には必ず力になってくれる友人たち。彼らが云う、”バカ”とか”アホ”と云う貶し言葉、其処からにじみ出る優しさは、浜田にとって有難いものだ。皆のさらりとした押しつけのない親切。いつもなら有難いはずの其れが、今の浜田には重荷でしかない。おそらく今、”浜田は本当バカだよなぁ”と云われてもいつもの様に、”あぁ、どうせオレはダメな奴だよっ”などと軽くは返せない。そんなことを云える自信がない。 ……今はなんか無理だアイツらと居るの。避ける様に、放課後になった途端浜田は教室を出た。
一人になりたい、でも何となく家には帰りたくない。ふらりと足が向いて、浜田はいつも野球部が練習しているグラウンドへやってきた。今日は幸いにも休部日。グラウンドには誰もいない。休部日の今日、グラウンドの鍵が開いているわけもなく、浜田は行く手を阻む南京錠を手に取って眺める。手に取った其れは思っていたよりもずしりと手のひらで重さを主張した。やっぱ登るしかないか。ふぅ、と息を吐くと浜田は手にした南京錠を離す。カシャンと音を立てると、表面のすり減った金属の塊は、元の位置に戻っていった。其れを見届け、周りより背の低い場所を選んで、浜田はフェンスに手をかける。ガシャガシャと音をさせながらフェンスをよじ登り難なくグラウンドに入ることが出来た。本来グラウンドは神聖な場所で、出入り時に一礼、また練習前後に皆で整列しお辞儀をする。そんな場所に、とんでもない入り方をしてしまったことが酷く後ろめたかったが、何故か無性にこの場所に来たかったのだから仕方がない。広いグラウンドに一人きり。いつもは野球部やそのほかの部活も使っていて賑やかな様子ばかり見ていた浜田にとって、今日のこの静かすぎるグラウンドは別世界のようだった。
座ろうとベンチに向かって歩いていた浜田の足に何かがぶつかる。気になってみてみれば其処にはボールが一つ転がっていた。あー……誰かしまい忘れたな? 監督に見つかったら怒られんぞー。ボールを手に取り取り、浜田は怒った百枝を想像して苦笑いする。今年新設の部。実績の無い部に予算が多く出るわけもなく緊縮財政の中、父母会の助けも借りながら百枝も自腹を切りつつ遣り繰りしているのだ。硬球一個だって馬鹿にならない。しかも消耗品だから尚更だ。なんつーか、あの人も相当の野球好きだわな。ふとそう思ってみてから、野球好きと云う言葉が引っ掛かる。浜田もかつては大の野球好きだった。幼い頃ギシギシ荘で三橋と遊んでいた時もその後も、浜田は野球三昧の日々を送っていた。楽しかった日々を思い出し、浜田は急に手にしたボールを投げてみたい感情に駆られる。きゅっ、と握りしめた其れは何とも懐かしい感覚。マウンドに登ると、すぅ、と浜田は息を吸う。もう暫くやってはいなかったが体は覚えているらしい。綺麗にセットからモーションへ移れる。そうして、浜田は捕手のいないホームの方へ向って思い切りボールを投げた。
うぁっ……。短い悲鳴を上げて浜田はその場に蹲る。肘が伸びようとした瞬間、肘に激痛が走ったのだ。リトルリーグ肘。浜田が野球を断念せざるを得なくなった原因の悪魔は、普段息を潜ませているがしっかりと其処に存在した。ボールはホームに届くことなく、マウンドとの中間あたりにコロコロと転がっている。其れを見ると、浜田は急に虚しくなってマウンドに仰向けに倒れた。身体の上に青い空が広がる。……オレってちょーカッコわりぃ。青々しい空が眩しくて、浜田は腕を額に乗せると目に刺さる光を遮った。はっ、ハマちゃんはすっ、ごいよねっ。ふと、頬を赤くしながらやや興奮気味にそう云った三橋を思い出した。すごくなんかないんだよ、オレは全然すごくない……。今日の昼休み、三橋のシャツに取れそうなボタンを見つけ、浜田は置きっぱなしになっていた裁縫道具で付け直してやったのだ。三橋はボタンを付け直してもらったシャツを広げると、すごいすごいっ、と目を輝かせる。そして、ハマちゃんは昔から何でも出来てカッコいい……、と云うと嬉しそうにフヒッっと笑う。そんな三橋の言葉と嬉しそうな様子に、浜田は密かに歯を食いしばるしかなかった。哀しいような悔しいような。
なぁ、三橋。オレは何でも出来たりしねぇよ。勉強もそこそこだし、ボールだって思い切り投げられねぇんだ。其処まで思うと、いよいよ浜田は泣きたくなった。肘はまだ鈍く痛み、微かに目の奥が熱い。目を覆っていた腕をどかすと、浜田は身体の上に広がる空を再び見る。青い空間は、広々としていて果てしない自由さに満ち満ちている感じがした。一人暮らしって自由にできてうらやましい。他人はよくそう云う。けれど浜田は思う。何もかもが自由で、少しも自由じゃない。学費を稼がなければならない、食べて行かなくてはいけない、そして両親をこれ以上心配させないように勉強もしなくてはいけない。頑張らなくては、という気持ちで、浜田はいっぱいいっぱいだった。独りで生きていける強さが欲しい、そう望む気持ちとは反対に、誰かに頼りたい、助けてもらいたい、と思ってしまう自分。酷く頼りない己にうんざりして、青空に向かって大きなため息を吐いた。
作品名:格好だけでもつけやがれ。 作家名:Callas_ma