二夜ノ夢
二夜ノ夢
こんな夢を見た。
気が付くと、私はアイルランドにいた頃のような格好をしていて、知らない街にいた。何処も彼処も、崩れていたり燻っていたり……。まるで中世ヨーロッパの、あの、其処ら中の国々が闘争に明け暮れていた時代の街の風景を思い起こさせるような、そんな風景だった。場所は全然違うのだが、あの地獄絵図が記憶の底から這い出て来る。
そんな中を、私は歩いた。歩き回らずにはいられなかった。怖かったのだ。死を告げて廻るデュラハンである私がこんなことを云うのは可笑しいかも知れないが、とても怖かった。其の街には、誰もいない。私以外誰もいないようだった。建物は壊れているのに、其の建物の中からは明らかに誰かが生活していた軌跡が溢れだしているのに、誰一人いない。死体すらも、見当たらない。ただ、瓦礫の街並みが続いているだけだ。生命体が存在しない。そんな印象だった。
暫く其の瓦礫の街を彷徨っていると、人影を見つけた。久しぶりに感じる、自分以外の存在に、私は酷く安堵した。本当に心細かったから。真の孤独と云うのは、ああ云うものなんだろう。其れに私は嬉しくて仕方がなかった。だってそうだろう? 誰もいない、知らない街で、やっと会えたのが、もう長く一緒にいる新羅だったんだから。
新羅は、私の名を呼んでいた。探し回ってくれているようだった。だから私は走って行こうとしたんだ。
けれど、其れは出来なかった。足が動かない。右脚が、酷く痛んだ。まるで何かに挟まれているような、そんな痛みだった。
仕方なく、私は影を操ろうとした。でも、其れも出来なかった。其の時私は、デュラハンでもなくて、首の無い、人間を模したただの生物だったんだ。
絶望に呑まれている私の前方で、新羅は相変わらず私の名前を呼んでいた。辺りを頻りに見回していたが、私には気が付かない。私も、新羅の名を呼んだ。いや、叫んだんだ。其れはもう、みっともないくらいに叫んだ。けれど、其れは無駄だった。
私には口が無い。だから声が出ない。書くものもなく、動くことも出来ない私には、己の存在さえ、新羅に伝えることが出来なかった。私は泣いた。いや、実際は涙なんか知らない。私は泣くことさえ出来ないのだから。首が無いというのは何て虚しいのだろうな。そんなことも出来ない自分が、本当に哀しかった。
私は、成す術もなくて、呆然と立ち尽くした。そうして、新羅の声を黙って聞いていた。あいつの喉が、渇きと埃とで傷付いていくのを聞いた。声がもう出なくなって来ているのが、手に取るように分かる。私は辛かった。私なんかの為に其処まで必死なっているあいつの姿を、見ているのが辛かった。終いに、新羅の声は掠れて酷いものになった。其れと同時に、あいつは諦めたようだった、私を探すのを。
私は其れでもいいと思う、あいつは充分やってくれたから。必死に探してくれた、声が出なくなるまで私の名を呼んでくれた。其れだけで充分じゃないか。其れだけで充分、私は仕合わせに思えたんだ。すると、あいつの声が聞こえた。
「セルティ。聞こえているか分からないけど、僕は君のこと本当に愛しているよ、きっと此れからも。……今までありがとう、然様なら」
そう云うと、新羅は何処かへ向って歩き出した。私は叫んだ、無駄だと分かっていながら、叫ばずにはいられなかった。
――ありがとう、然様なら。
私もそう伝えたかった。人間でもない化け物である私に、愛していると云ってくれたあいつに伝えたかった。私だけが何時も貰ってばかりで、其れは不公平じゃないか。もう会えないのなら、尚更だ。私は悔しかった。哀しかった。口があれば、言葉を交わせたら、どんなに良かっただろうと。心の底から、浅ましいくらいにそう思った。
また、こんな夢も見た。
視界の利かない、真っ暗な森の中にいた。やはり、独りだ。私は首を探していた。とにかく見つけなければ、と何かに駆り立てられたように、首を求める。理由など分からない。ただ、とにかく首を取り戻したくて取り戻したくて仕方が無かった。私は目につくものを引っ掻き回し、入れる処には全部入り、覗ける処は全て覗いた。気が遠くなるほど其れを繰り返した後、私の目の前に小高い丘が現れた。気が付けば、森を抜けていたんだ。
――あそこに私の首がある。
根拠もなく、私はそう思った。相変わらず、辺りは暗くてよく見えなかったが、夢中で走り出した。駆けている時、足で何かを踏みつぶしたような気がしたが、其れでも構わずに走った。丘をよじ登るようにして、其の斜面を登ると、何かがべったりと手に付く。相変わらず視界は利かず、何が手に付いているのかすらもよく分からない。仕方なく、私は其れを無視した。心なしか地面も柔らかくて登りづらいが、私は其れも無視した。構ってなどいられない。首が、ずっと探していた私の首が、其処にあるのだと思ったら、少しの疑問など、些細なことでしかない。
丘を登りきると、果たして首は其処にあった。暗い所為であまり見えないが、よく良く近づいてみて見れば、其れはやっぱり私の首。私は嬉しくて仕方が無かった。私の首が、ずっと探していた私自身の、欠落していた一部が戻って来たのだから。私はあまりの感激に、周りが全く見えていなかった。だから気が付かなかったんだ。一体自分がどんな姿で、どんな場所に立っているのかを――。
少し落ち着いてきた頃、私は自分の手が赤黒く染まっているのに気が付いた。其れは血だった。驚いて思わず、自分の首を落としてしまう。 一つに気が付くと、全てに気が付いた。
裸足だった足の指の又に、レバーペーストのようなものがこびり付いている。何だ? と思ってすぐ、私は其れが何であるのかすぐに思い当った。
「此れは、……潰れた臓物だ」
そう口走った瞬間、吐き気を覚える。食べ物など必要の無い身体でありながら、私は其の感覚だけは持ち合わせていた。少しパニックになって、私は足をバタつかせる。するとあまり良くない足元がぐにゃりと崩れ、私は丘から転げ落ちた。転げ落ちた処へ、私の首も一緒に転げ落ちてくる。私は何とか起き上がると、私の首を拾い上げようとして、手を伸ばした。けれど、其の首を掴むことが出来なかった。私の首の横に、もう一つ首が転がっていたからだ、其れもよく知った顔の。
其れは、新羅の首だった。私は出ない悲鳴を上げ、思わず尻もちをついた。よくよく見れば、地面だと思っていた其れは全て人間の死体だ。其れも、私の知っている人間ばかりの――。
私は更にパニックになった。目の前には新羅の首、地面に付いた手の傍には、静雄が、足を退かしてみれば、帝人や杏里が虚ろな表情で横たわっている。皆、死んでいた。
其処で初めて私は気が付いたんだ、此れは首を取り戻す為の代償なのだと。
そうして、私は眼が覚めた。
酷い夢だった。二晩も続けて、随分酷い夢を見たものだ。起きてリビングでぼんやりしていると、新羅がやって来て、無い私の顔を覗き込み「顔色が悪い」と心配してくれる。
一瞬話をしてみようかとも思ったが、余計に心配を掛けたくなくて、大丈夫だと、嘘を吐いた。斯う云う時は、声も出なければ表情もないので、首が無くてよかったと本当に思う。家に居るのも塞ぎ込んでしまって良くないので、私は外に出かけた。
こんな夢を見た。
気が付くと、私はアイルランドにいた頃のような格好をしていて、知らない街にいた。何処も彼処も、崩れていたり燻っていたり……。まるで中世ヨーロッパの、あの、其処ら中の国々が闘争に明け暮れていた時代の街の風景を思い起こさせるような、そんな風景だった。場所は全然違うのだが、あの地獄絵図が記憶の底から這い出て来る。
そんな中を、私は歩いた。歩き回らずにはいられなかった。怖かったのだ。死を告げて廻るデュラハンである私がこんなことを云うのは可笑しいかも知れないが、とても怖かった。其の街には、誰もいない。私以外誰もいないようだった。建物は壊れているのに、其の建物の中からは明らかに誰かが生活していた軌跡が溢れだしているのに、誰一人いない。死体すらも、見当たらない。ただ、瓦礫の街並みが続いているだけだ。生命体が存在しない。そんな印象だった。
暫く其の瓦礫の街を彷徨っていると、人影を見つけた。久しぶりに感じる、自分以外の存在に、私は酷く安堵した。本当に心細かったから。真の孤独と云うのは、ああ云うものなんだろう。其れに私は嬉しくて仕方がなかった。だってそうだろう? 誰もいない、知らない街で、やっと会えたのが、もう長く一緒にいる新羅だったんだから。
新羅は、私の名を呼んでいた。探し回ってくれているようだった。だから私は走って行こうとしたんだ。
けれど、其れは出来なかった。足が動かない。右脚が、酷く痛んだ。まるで何かに挟まれているような、そんな痛みだった。
仕方なく、私は影を操ろうとした。でも、其れも出来なかった。其の時私は、デュラハンでもなくて、首の無い、人間を模したただの生物だったんだ。
絶望に呑まれている私の前方で、新羅は相変わらず私の名前を呼んでいた。辺りを頻りに見回していたが、私には気が付かない。私も、新羅の名を呼んだ。いや、叫んだんだ。其れはもう、みっともないくらいに叫んだ。けれど、其れは無駄だった。
私には口が無い。だから声が出ない。書くものもなく、動くことも出来ない私には、己の存在さえ、新羅に伝えることが出来なかった。私は泣いた。いや、実際は涙なんか知らない。私は泣くことさえ出来ないのだから。首が無いというのは何て虚しいのだろうな。そんなことも出来ない自分が、本当に哀しかった。
私は、成す術もなくて、呆然と立ち尽くした。そうして、新羅の声を黙って聞いていた。あいつの喉が、渇きと埃とで傷付いていくのを聞いた。声がもう出なくなって来ているのが、手に取るように分かる。私は辛かった。私なんかの為に其処まで必死なっているあいつの姿を、見ているのが辛かった。終いに、新羅の声は掠れて酷いものになった。其れと同時に、あいつは諦めたようだった、私を探すのを。
私は其れでもいいと思う、あいつは充分やってくれたから。必死に探してくれた、声が出なくなるまで私の名を呼んでくれた。其れだけで充分じゃないか。其れだけで充分、私は仕合わせに思えたんだ。すると、あいつの声が聞こえた。
「セルティ。聞こえているか分からないけど、僕は君のこと本当に愛しているよ、きっと此れからも。……今までありがとう、然様なら」
そう云うと、新羅は何処かへ向って歩き出した。私は叫んだ、無駄だと分かっていながら、叫ばずにはいられなかった。
――ありがとう、然様なら。
私もそう伝えたかった。人間でもない化け物である私に、愛していると云ってくれたあいつに伝えたかった。私だけが何時も貰ってばかりで、其れは不公平じゃないか。もう会えないのなら、尚更だ。私は悔しかった。哀しかった。口があれば、言葉を交わせたら、どんなに良かっただろうと。心の底から、浅ましいくらいにそう思った。
また、こんな夢も見た。
視界の利かない、真っ暗な森の中にいた。やはり、独りだ。私は首を探していた。とにかく見つけなければ、と何かに駆り立てられたように、首を求める。理由など分からない。ただ、とにかく首を取り戻したくて取り戻したくて仕方が無かった。私は目につくものを引っ掻き回し、入れる処には全部入り、覗ける処は全て覗いた。気が遠くなるほど其れを繰り返した後、私の目の前に小高い丘が現れた。気が付けば、森を抜けていたんだ。
――あそこに私の首がある。
根拠もなく、私はそう思った。相変わらず、辺りは暗くてよく見えなかったが、夢中で走り出した。駆けている時、足で何かを踏みつぶしたような気がしたが、其れでも構わずに走った。丘をよじ登るようにして、其の斜面を登ると、何かがべったりと手に付く。相変わらず視界は利かず、何が手に付いているのかすらもよく分からない。仕方なく、私は其れを無視した。心なしか地面も柔らかくて登りづらいが、私は其れも無視した。構ってなどいられない。首が、ずっと探していた私の首が、其処にあるのだと思ったら、少しの疑問など、些細なことでしかない。
丘を登りきると、果たして首は其処にあった。暗い所為であまり見えないが、よく良く近づいてみて見れば、其れはやっぱり私の首。私は嬉しくて仕方が無かった。私の首が、ずっと探していた私自身の、欠落していた一部が戻って来たのだから。私はあまりの感激に、周りが全く見えていなかった。だから気が付かなかったんだ。一体自分がどんな姿で、どんな場所に立っているのかを――。
少し落ち着いてきた頃、私は自分の手が赤黒く染まっているのに気が付いた。其れは血だった。驚いて思わず、自分の首を落としてしまう。 一つに気が付くと、全てに気が付いた。
裸足だった足の指の又に、レバーペーストのようなものがこびり付いている。何だ? と思ってすぐ、私は其れが何であるのかすぐに思い当った。
「此れは、……潰れた臓物だ」
そう口走った瞬間、吐き気を覚える。食べ物など必要の無い身体でありながら、私は其の感覚だけは持ち合わせていた。少しパニックになって、私は足をバタつかせる。するとあまり良くない足元がぐにゃりと崩れ、私は丘から転げ落ちた。転げ落ちた処へ、私の首も一緒に転げ落ちてくる。私は何とか起き上がると、私の首を拾い上げようとして、手を伸ばした。けれど、其の首を掴むことが出来なかった。私の首の横に、もう一つ首が転がっていたからだ、其れもよく知った顔の。
其れは、新羅の首だった。私は出ない悲鳴を上げ、思わず尻もちをついた。よくよく見れば、地面だと思っていた其れは全て人間の死体だ。其れも、私の知っている人間ばかりの――。
私は更にパニックになった。目の前には新羅の首、地面に付いた手の傍には、静雄が、足を退かしてみれば、帝人や杏里が虚ろな表情で横たわっている。皆、死んでいた。
其処で初めて私は気が付いたんだ、此れは首を取り戻す為の代償なのだと。
そうして、私は眼が覚めた。
酷い夢だった。二晩も続けて、随分酷い夢を見たものだ。起きてリビングでぼんやりしていると、新羅がやって来て、無い私の顔を覗き込み「顔色が悪い」と心配してくれる。
一瞬話をしてみようかとも思ったが、余計に心配を掛けたくなくて、大丈夫だと、嘘を吐いた。斯う云う時は、声も出なければ表情もないので、首が無くてよかったと本当に思う。家に居るのも塞ぎ込んでしまって良くないので、私は外に出かけた。