闘神は水影をたどる
「フェリド殿、貴方こそ何をしているんです」
リグドがフェリドの前で口調だけは一等兵の冷静さを貫くのは常のことだった。家族としてはずいぶんな距離がある。隣の愛妹の気遣わしげな視線に気づかないほどには、冷静さを欠いているにもかかわらず。
「知っているだろう。剣の稽古だよ」
「ここでは下の騒ぎに気づくことができませんか」
フェリドは肩をすくめた。
ロゼリッタを手招きして髪を撫でると、背中を押して王邸のほうへ歩かせた。ロゼリッタは後ろ髪を引かれながら二人の兄を振り返っていたが、自分にできることはないと判断して、邸へ戻っていった。
兄弟は姿形こそ通じるものがある。
しかし一方は積年の仇敵を前にしたように睨み、一方はその眼光を真っ向から受け止めながらもどこか流すような様子である。
「ここでは下の騒ぎに気づくこともできませんか」
やや挑発を滲ませた声音でリグドが問い直した。さきほどまではロゼリッタの手前、それでも感情を殺していたようだ。妹がいなくなり、せき止められることのない苛立ちが全身から流れ出していた。
「おまえがなんとかするだろうと思ったからな」
リグドは鼻を鳴らした。
「海兵長が兵士の監督を放棄するのですか」
「すぐにおまえが海兵長になるさ」
「貴方が一個艦長になった後釜に、繰り上がりでですか」
フェリドは困ったような笑みを浮かべた。それがリグドの勘に障った。
「俺は貴方を軽蔑しています」
リグドは短く言い放った。強い声音が風を呼び、水面に波紋を生む。
リグドの左手に宿された風の加護を受ける紋章が主の昂ぶりに反応して、萌え葉色の光を発している。優しい色だった。しかしこれは風の紋章魔法。風のように予測不可能、攻守とも変幻自在が特性である。フェリドは目を眇めた。
「規律を無視して好き放題に暴れて。貴方のような身勝手な人間が海兵長だなんて。今日も任務を放棄して独断で海賊船を制圧したそうですが、それで喜ぶのなんて、英雄趣味のこどもくらいです」
リグドの左手に集まる風に押し止められた水が、ざあざあと水場から溢れ出した。
フェリドの足は瞬く間に泥水にまみれる。
「最近の貴方はようやく正しい評価をされるようになったのをご存知か。一個艦長たちが、ゆく同位艦長殿の行き過ぎを懸念しておいでだ。当然だ。貴方は、私情で持ち場を離れるような人間だから」
リグドは弁舌滑らかに綴り、口を閉じた。同時に周囲に穏やかな夜風が戻っている。
「俺は唯一父上が為したことの間違いは貴方だと信じている」
左手を握り締め、リグドはフェリドを突き飛ばすようにして王邸に入っていった。