認識ある火室-プライベートルーム-
僕は恋をしている。この気持ち、間違いじゃあないよね?
日本くん
秘密が助長させたのはロシアの「恋心」であった。
会議後の夜中に、ロシアと日本は密やかに暗い部屋でお酒を飲む。
強いウォトカと弱い焼酎をグラスに注ぎ合いながら、二人は密会を重ねて現世を忘れることで「自己」を戯れさせていた。
身体も触れ合えば、そのうちロシアは日本を唯一無二と焦がれはじめ、本音は言わないまま、済し崩しにロシアは「恋人」の役柄を貰えたと思っていた。
あの部屋の中での出来事が、全て戯れと片づけられたと知っていても、ロシアの感情は熱を帯びるばかりで、元々成長しきっていた嫉妬の気が昼間の会議中にひょっこり出てカヴァーできないくらいに暴れさせたこともある。
その度に、日本は笑っていたり苦々しくしていたり、でも夜には優しく、でも意地悪で、ロシアは「嫌われてない」を「愛されている」と勘違いするに容易かった。
それでも昼の戯れを邪険に扱われるのは、少し辛い。
「でも、それでいいんだあ」
夜のために、わざわざ本国から持ってきた上等のウォトカに頬擦りしながら、酒瓶の中の気泡をうっとりと眺める。
日本を見る度に脈打つ心臓に気付いたロシアは、もし日本が遊びだと言っても受けとめる自信があった。なんだかんだ言って日本くんは優しいし、急に「恋人」にならなくても、それに近い何かにさせてくれる。日本くんは断るのヘタだもん。酷い拒絶はされないはず。そうロシアは想っている。
夜の言葉全てが嘘であっても、ほんの一握り本気を込めて日本を乞う。そんなことを繰り返しながら培った恋心は、後戻りできないところまで来ているとロシアは知らなかった。知るはずもないのだ、彼が恋い焦がれたものの手に入れ方は、いつだって身体に頼って来たのだから。
「ふふ、今日は飲み比べにしようかなあ」
用意された机に酒瓶を置いて、早く日が暮れないかと窓の外を見る。
燃える様なオレンジ色が空全体に広がり、もうすぐ夜を迎えるだろう。それまでにもう一度、会議をこなして、皆が寝静まった頃に淡い灯火だけを点けた部屋に行く。
ランプの隣の豪奢な一人用ソファに座り、ランプの光で昼間は死んでいる黒眼が鈍く光る、昔に見た事のある日本に会えるのだ。不遜な態度に、足を組んで、緩めたシャツと放ったスーツ。その前に小さなテーブルを置いて、机にある酒もオレンジの淡い光を受けてキラキラ輝いていることだろう。
さらに、その前の同じ一人用ソファにロシアも座って、何度言っても信じてくれない日本への愛を歌うのだ。
「ん?」
窓から意識を遠ざけると何やら廊下が騒がしい。
ドアまで近づいて聞き耳をたてる。すぐに日本とイギリスだと分かり、ロシアは邪魔をするべくドアノブを捻った。建て付けがしっかりしたドアは音も立てずに、勢いよく開いたけれども、ロシアの部屋がある廊下に二人の姿は見えない。
「あれ」
辺りを見回せば、左手の角から白い服がチラチラ。日本の白いスーツだ。「あ、にほ・・・・・・」と声を掛けそうになって止まる。傍にはイギリスがいるはずだ。
握りっぱなしのドアノブを引き戻して、半分だけ開けて覘き見る。会話の節々で白い裾が揺れている。笑っているのだろう。同時にクスクスと比較的明るい声が聞こえる。「笑うなよっ」とイギリスの声がこっちまで響いた。
聞くに堪えなくなってドアをゆっくり、音をたてずに閉めた。
「・・・・・・」
そのままズルズルとドアを背に座り込んで膝を抱えてみる。
心臓を取り出して洗いたいほど気持ちが悪い。痛くて捨ててしまいたい。
「なに、かなあ。これ」
苦しすぎて顔を埋めても笑い声が耳に張り付いて消えない。あれは愛想笑いではなくて、心の底から笑う時の、押し殺したような笑い方だ。見たことがあるのは自分だけだと思っていたのに。
悲しいはずなのに涙が出てこなくて、不思議と身体がざわついて、ここに居たくないと叫んでいる。
このあとのことを思うとまともで居られない。どういう顔をして会えばいいのだろう。
ロシアは、精一杯大きな身体を縮めて何かから身を守る様に強張らせた。嫉妬という感情の前、支配欲より以前の愛情で判断するなど彼には初めてで、身体と心が付いていけない。本当は今すぐ出て行って割りこみたいけれど、夜にしか見たことのない顔を他人にしているのを見て、きっと二の次が告げなくなってしまう。
あそこで出ていったとして、いつもの声で「楽しそうだなあ」と言える訳がない。顔が強張ったまま日本を見るしかないのだ。しかし、そこまでロシアの判断は及ばずに危機感だけで彼は部屋に閉じこもる。
涼しくなってきた心臓が、今度は熱く燃える様に痛い。
大きく溜息をついても出てこない熱は、涙を流すことで蒸発していく。泣いていることを認めない様に視界が滲む前に服で拭う、何回かしているうちに緊張も解れてくる。その時、
「ロシアさん、いらっしゃいますか」
ノックと同時にかけられた声に思わずドアから離れる。
「えっ、あっ」
「・・・・・・ロシアさん?」
「い、今あける」
よ、と言う前に扉を開く。
ロシアの胸辺りまでの身長、そしていつも通りの何も見ていない目がロシアを見上げる。白スーツに黒シャツ、白のネクタイ。浮きそうな服装でも落ち着いて見えるのは、その黒々とした髪と静かな空気を携えている日本独特の雰囲気のせいだろう。
「どうしました?」
呆けているロシアに一言投げかけてから、無表情のまま腕に挟んでいた紙を持ってロシアに差し出す。次の会議で日本が出す議案だろうけども、どうせちゃんとした会議は出来なくてお流れになるはずだ。それでも渡すと言う事は、
「きょうの?」
「ええ、どうしても頭の中に置いてほしいもので。貴方で最後ですよ。部屋にいると思って」
トリにしてくれたのが嬉しくて、自然と沈澱していた心臓が浮上する。
「流れちゃうよ」
「承知の上です。まあ、サインよりも頷いてさえくれればいいものですので」
「それで、事後承諾で作っちゃうんだ」
パラパラと捲りながら見えたのは重工事業での開発企画書だ。世界基準から外れたモノを造ろうとしているのだろう。諸国から怒られはしても気にせず作り上げて、それをグローバルルールとする。後処理であったとしても求める何かがあればお墨付きはいただけるのだ。
「やきもきしちゃうね」
「反省はしても後悔はしませんよ」
この時点で日本は引く気がないというのに、たまに見る強気な微笑みにロシアは笑う。こういう話をしている時の日本は楽しそうで、聴こえる声音も幾分トーンが高い様な気がする。
「ちょうど、イギリスさんにも同じようなことを言われましたよ。輸入が制限されるとおっしゃるものですから、お菓子でも輸出なさればと返したら、お菓子事情知ってんだろっ! と自覚があるみたいで」
笑ってしまいましたと、伏し目がちに優しく笑う。
「・・・・・・」
一瞬にして、浮上していた心臓が叩きつけられた。
日本くん
秘密が助長させたのはロシアの「恋心」であった。
会議後の夜中に、ロシアと日本は密やかに暗い部屋でお酒を飲む。
強いウォトカと弱い焼酎をグラスに注ぎ合いながら、二人は密会を重ねて現世を忘れることで「自己」を戯れさせていた。
身体も触れ合えば、そのうちロシアは日本を唯一無二と焦がれはじめ、本音は言わないまま、済し崩しにロシアは「恋人」の役柄を貰えたと思っていた。
あの部屋の中での出来事が、全て戯れと片づけられたと知っていても、ロシアの感情は熱を帯びるばかりで、元々成長しきっていた嫉妬の気が昼間の会議中にひょっこり出てカヴァーできないくらいに暴れさせたこともある。
その度に、日本は笑っていたり苦々しくしていたり、でも夜には優しく、でも意地悪で、ロシアは「嫌われてない」を「愛されている」と勘違いするに容易かった。
それでも昼の戯れを邪険に扱われるのは、少し辛い。
「でも、それでいいんだあ」
夜のために、わざわざ本国から持ってきた上等のウォトカに頬擦りしながら、酒瓶の中の気泡をうっとりと眺める。
日本を見る度に脈打つ心臓に気付いたロシアは、もし日本が遊びだと言っても受けとめる自信があった。なんだかんだ言って日本くんは優しいし、急に「恋人」にならなくても、それに近い何かにさせてくれる。日本くんは断るのヘタだもん。酷い拒絶はされないはず。そうロシアは想っている。
夜の言葉全てが嘘であっても、ほんの一握り本気を込めて日本を乞う。そんなことを繰り返しながら培った恋心は、後戻りできないところまで来ているとロシアは知らなかった。知るはずもないのだ、彼が恋い焦がれたものの手に入れ方は、いつだって身体に頼って来たのだから。
「ふふ、今日は飲み比べにしようかなあ」
用意された机に酒瓶を置いて、早く日が暮れないかと窓の外を見る。
燃える様なオレンジ色が空全体に広がり、もうすぐ夜を迎えるだろう。それまでにもう一度、会議をこなして、皆が寝静まった頃に淡い灯火だけを点けた部屋に行く。
ランプの隣の豪奢な一人用ソファに座り、ランプの光で昼間は死んでいる黒眼が鈍く光る、昔に見た事のある日本に会えるのだ。不遜な態度に、足を組んで、緩めたシャツと放ったスーツ。その前に小さなテーブルを置いて、机にある酒もオレンジの淡い光を受けてキラキラ輝いていることだろう。
さらに、その前の同じ一人用ソファにロシアも座って、何度言っても信じてくれない日本への愛を歌うのだ。
「ん?」
窓から意識を遠ざけると何やら廊下が騒がしい。
ドアまで近づいて聞き耳をたてる。すぐに日本とイギリスだと分かり、ロシアは邪魔をするべくドアノブを捻った。建て付けがしっかりしたドアは音も立てずに、勢いよく開いたけれども、ロシアの部屋がある廊下に二人の姿は見えない。
「あれ」
辺りを見回せば、左手の角から白い服がチラチラ。日本の白いスーツだ。「あ、にほ・・・・・・」と声を掛けそうになって止まる。傍にはイギリスがいるはずだ。
握りっぱなしのドアノブを引き戻して、半分だけ開けて覘き見る。会話の節々で白い裾が揺れている。笑っているのだろう。同時にクスクスと比較的明るい声が聞こえる。「笑うなよっ」とイギリスの声がこっちまで響いた。
聞くに堪えなくなってドアをゆっくり、音をたてずに閉めた。
「・・・・・・」
そのままズルズルとドアを背に座り込んで膝を抱えてみる。
心臓を取り出して洗いたいほど気持ちが悪い。痛くて捨ててしまいたい。
「なに、かなあ。これ」
苦しすぎて顔を埋めても笑い声が耳に張り付いて消えない。あれは愛想笑いではなくて、心の底から笑う時の、押し殺したような笑い方だ。見たことがあるのは自分だけだと思っていたのに。
悲しいはずなのに涙が出てこなくて、不思議と身体がざわついて、ここに居たくないと叫んでいる。
このあとのことを思うとまともで居られない。どういう顔をして会えばいいのだろう。
ロシアは、精一杯大きな身体を縮めて何かから身を守る様に強張らせた。嫉妬という感情の前、支配欲より以前の愛情で判断するなど彼には初めてで、身体と心が付いていけない。本当は今すぐ出て行って割りこみたいけれど、夜にしか見たことのない顔を他人にしているのを見て、きっと二の次が告げなくなってしまう。
あそこで出ていったとして、いつもの声で「楽しそうだなあ」と言える訳がない。顔が強張ったまま日本を見るしかないのだ。しかし、そこまでロシアの判断は及ばずに危機感だけで彼は部屋に閉じこもる。
涼しくなってきた心臓が、今度は熱く燃える様に痛い。
大きく溜息をついても出てこない熱は、涙を流すことで蒸発していく。泣いていることを認めない様に視界が滲む前に服で拭う、何回かしているうちに緊張も解れてくる。その時、
「ロシアさん、いらっしゃいますか」
ノックと同時にかけられた声に思わずドアから離れる。
「えっ、あっ」
「・・・・・・ロシアさん?」
「い、今あける」
よ、と言う前に扉を開く。
ロシアの胸辺りまでの身長、そしていつも通りの何も見ていない目がロシアを見上げる。白スーツに黒シャツ、白のネクタイ。浮きそうな服装でも落ち着いて見えるのは、その黒々とした髪と静かな空気を携えている日本独特の雰囲気のせいだろう。
「どうしました?」
呆けているロシアに一言投げかけてから、無表情のまま腕に挟んでいた紙を持ってロシアに差し出す。次の会議で日本が出す議案だろうけども、どうせちゃんとした会議は出来なくてお流れになるはずだ。それでも渡すと言う事は、
「きょうの?」
「ええ、どうしても頭の中に置いてほしいもので。貴方で最後ですよ。部屋にいると思って」
トリにしてくれたのが嬉しくて、自然と沈澱していた心臓が浮上する。
「流れちゃうよ」
「承知の上です。まあ、サインよりも頷いてさえくれればいいものですので」
「それで、事後承諾で作っちゃうんだ」
パラパラと捲りながら見えたのは重工事業での開発企画書だ。世界基準から外れたモノを造ろうとしているのだろう。諸国から怒られはしても気にせず作り上げて、それをグローバルルールとする。後処理であったとしても求める何かがあればお墨付きはいただけるのだ。
「やきもきしちゃうね」
「反省はしても後悔はしませんよ」
この時点で日本は引く気がないというのに、たまに見る強気な微笑みにロシアは笑う。こういう話をしている時の日本は楽しそうで、聴こえる声音も幾分トーンが高い様な気がする。
「ちょうど、イギリスさんにも同じようなことを言われましたよ。輸入が制限されるとおっしゃるものですから、お菓子でも輸出なさればと返したら、お菓子事情知ってんだろっ! と自覚があるみたいで」
笑ってしまいましたと、伏し目がちに優しく笑う。
「・・・・・・」
一瞬にして、浮上していた心臓が叩きつけられた。
作品名:認識ある火室-プライベートルーム- 作家名:相模花時@桜人優