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【銀魂】次郎長とお登勢さんの話

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「どういう意味だいこの正露丸!」

すかさず盆が飛んできて、次郎長はそれを右手で受け止めて今度こそひとりごちる。危ねェなあ。じゃじゃ馬どころか、とんだ暴れ馬だ。

「ほうら。ぶつくさと言っていないで、帰るよ、次郎長」

綾乃はやがて、前掛けを外しながら、幼い頃と変わらない様子で言った。
帰ろう、と。

不意に、幸せになれよと言ってやりたくなった。

しかし、しばらく思考を巡らせ、結局はそれもやめてしまう。馬鹿馬鹿しい話だし、そんなことを言えば、それこそ飛んでくるものは盆じゃあ済まないだろう。
第一に、辰五郎といる限り、綾乃が幸せになるのは決まっているように思えた。本当に、そのときは、そんな行き道が確かなことのように信じられたのだった。

綾乃が辰五郎と家族になり、そうやって日々を繋いでいく未来を、確かなことだと信じたかったのだ。
















辰五郎が死んでから、綾乃はかぶき町で小さな店をはじめ、お登勢という名前を名乗るようになった。次郎長も、もう彼女のことを、かつてのころと同じように綾乃と呼ぶことはしない。














それなのに、病院のベッドの枕元に寺田綾乃という名前が綴られているのを、なんの違和感もなく眺めることが出来るのはどういうことかとおかしくなった。下の人間に退院手続きをさせている間、ベッドのふちに腰掛けた次郎長に、「やれやれ、これでようやく静かになるよ」と、ベッドの中で体を起こしたお登勢が言う。

「お前の方は明日退院だそうじゃねェか。この次郎長とたったの一日違いたァ、つくづく生命力の強いバアさんだぜ」
「そいつはよかったよ。めでたい退院の日があんたと同じじゃ縁起が悪いからね。病院を出たとたん事故でぽっくりなんて私は御免だよ」
「黄泉路の先の閻魔様にも、やりてェ仕事とそうでない仕事があらァ。お陰でこのババアを迎え入れるのが先延ばしになったって、俺ァ先々地獄で感謝されるだろうよ」
「うるさいね」

険のある声で返されて、くつくつと肩を揺らす。そうすると腹の傷に少し響いたが、痛みなどは慣れているので、そんなことはさしたる問題じゃあなかった。

「あんたはこれからどうするんだい」

笑い声がおさまったとき、こちらを見ないままでお登勢が聞いた。さあな、と、次郎長は答えた。決してはぐらかしたのではなく、それが心底からの答えだったのだ。

「よもや、「家に帰ろう」だなんて、虫の良いことを考えるんじゃないよ」
「くだらねえことを言うなよお登勢。分かっていらァ」

ババアはくどい説教が好きでいけねェや。いいや、お前は昔っからか。肩を竦めて笑った。

「平子に罪滅ぼしをしてやらなきゃなるめェ」
「……」

口にし、しかしてああ、なんと芯のない言葉だと、次郎長はおかしくてたまらなくなる。若い人間がそういう脆い言葉を口にするたびに、そのことを何より嘆いてきたのは、次郎長のような年寄りだというのに。
本当は、そんなことが出来るはずもないのだ。
次郎長は、組の誰かに聞きもしない限り、娘がいま住んでいる場所さえも知ることが出来ない。

食い物は何が好きで、何が嫌いで、どんな色の服を持っているのかも知らない。何を愛し、これまでにどういうものを見て、今何を考え、これから何をしたいのかさえなんにも分からない。

どうしようもないな、と、自嘲する。

娘が父親に欲するものなんて、きっと、探さなくたっていくらでもあるはずだろうに。
あれが生まれ、ちいさい歯で飯を食うようになって、ふやふやと泣いていただけの口でいっぱしに物を言うようになってからずっと、欲しい、欲しい欲しいとべそをかきながら言っていたものがあったはずなのに。

なんだったかな。
そんなものも思い出せないのだ。

くだらないことをお言いでないよ、と、お登勢が溜め息をつく。
そう言われ、確かにくだらねェやなと次郎長は笑った。本当にどうしようもない、気が付けば、こんなことばかりだ。お登勢が幼い頃から口にし続けた次郎長への小言も、頭の中に響き続けた辰五郎との約束も娘からの言葉も、分かっている、分かっていると繰り返すうちに形がぼやけ、見えなくなって、手前勝手に歪めたり目を瞑ったりしてきた。そうした先が、この有り様だ。

これだから父親ってのは駄目なんだと、お登勢は言った。

「あんたの娘は二十だろう。親父がどれだけ頭ひねって考えたって、そんな年頃の娘が欲しがるものなんて分かるはずもないじゃあないか」
「……そうかい」
「そうさ」

お登勢は、その肩に纏った薄黄色の肩掛けに触れながら笑った。それは、橙色の頭をした天人の娘が持ってきたものだ。本当の家族よりもよほど家族に近い、そういう縁で編まれた肩掛けだ。

「きちんと顔を見て、きちんと話して、そうして何が欲しいって、ちゃんと聞いてやらなきゃさ」


そうして、あんたの帰りたい場所へ帰ればいいだけのことだと、お登勢は目を伏せて笑う。
「帰りな」と、幼い頃とは違う言葉を、幼い頃からまったく変わらない声音で言う。

「組でもなく、家でもなく、娘のところへ帰っておやり」
「…………そうか」


そりゃあ、簡単なことだな、と口の端を上げた。
簡単なことさと、お登勢もそう言った。しかし次郎長は、それさえもして来ず、ただ頑なに視線をそらし、目をそむけ続けて、分かっていると繰り返しながらも、分かってくれと口にして向き合うことなどは、一度もなかった。
戻りたいと思っても、帰りたいと願うことはなかった。過去のことを繰り返し邂逅しても、これからの日々について考えなくてはならないことは、ずいぶん、ずいぶんと久しぶりのことだった。

「簡単なことだったなあ」


ここまで来て、本当に、どうしようもない体たらくだ。
大侠客が聞いて呆れる。それから目の奥が熱くなるのを、これだから年は取りたくねーんだと厭い、笑って、立ち上がった。

「行っておいで」

背中に声が投げられて、次郎長はひらひらと手を振る。立ち上がるとまだあちこちが軋むが、痛む傷のことは知らないつもりで、じゃあな綾乃と笑った。

後ろ手にドアを閉めたとき、ひどく煙草が吸いたくなった。禁煙を誓ったばかりでこの様では、先が知れている。そうして、約束を護るのは不得手なんだと一人ごち、辰五郎のことと、あの銀髪の若い侍のことを思い出した。

娘に会い、たくさんのことを聞いて聞き続けて、そうして話すことも尽きてきたと困った顔をしたなら、そのときは、次郎長がかつてした約束のことをいくつも話そうと思った。どうしようもない父親が、護れなかった約束のことについて。家族同然だったものたちから受け取ったものや、妻から受け取ったもの。
そうして、今度は平子にこそ、何かをやりたいのだと思っていることについて。

きちんと話すために、帰らねばならない。







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シリーズ完結おめでとうございます。

次郎長にとっての、二十年前から続いていた戦争がようやく終わったんだなと思いました。かぶき町大戦争の、終戦記念。