物事は 夜に進む
「さあ?どちらもボクには縁ないし」
唐突に気分を削がれた市丸は、言葉に少々の怒気をこめ、これに答える。
実際、市丸にとっては本当に関心のない事柄である。
藍染は市丸の答えなど意に返さぬように少しの間を置き、
「エサさ。真っ先に捕食対象になる」
「ああ、そういえばあっちでもバタバタ死によりましたわ。そういう子は」
市丸はバタバタ殺したのは自分だったかな?と少し思い出し、そしてすぐ忘れた。
「役に立たないから切り捨てる、ならば奴らと同じ視点で物を見ることになる。
あいにくだが、そこまで堕ちる趣味はない。それがゴミならば資源に、固い氷ならば
溶かせばいいだけのこと」
「溶かす?まあ、斬魄刀の能力は本人に大体似てますけど、そらまた単純な」
「仕組みというのは、すべからく単純なものだよ」
ああ、もうまたこのオッサンの講釈が続きそうや、と少々うんざりした様子で
市丸は被せるように言った。
「つまり、ボクにこの子の熱を奪えということですのん?氷の性質とかいうもんは
そういうものですやろ」
「君が僕の言葉をそのように受け取ったならば、そうなるね」
そうなるね、と他人事のように言うが実際そうなのだろう、と市丸は思った。
ここぞという時にはびっくりするほど断定的な言い方をするが、たまに、
変に相手を試すような口ぶりをみせる。
その癖を見せるのは、彼が特に気を許している者に限られることも市丸は知っている。
少し機嫌を良くした市丸は、藍染からゆっくり間を置き、ある方向をひょいと指差した。
「じゃあ、ボクこの子もらっていいですやろか?」
思いついたようなギンの言葉に対し、藍染は目線を静かに市丸に向ける。
わざと表情はつけないようにした。
「それは、消したい、か消されたい、かどっちの意味かい?」
「両方ですわ」
「かつての天才児としての共鳴?」
「誰が天才ですのん?」
妙なやり取りが続く。この言葉の羅列のような掛け合いを
お互いは好ましく思っている。彼らは、ギリギリまで意味を削り落とす。
そして剥き出しになった何かを共有し、確認する。
積み重なったそれは襞となり、二人の関係に美しい陰影をつける。
「まだ、足りへんのや」
「何が」
「だいぶ、ええ目をしとるけど、まだ足りひん。あの子はもうちょっと血、みらないかん」
実は藍染は何が足りないのか、市丸の言葉をきちんと聞き取ることができなかった。
つまり、血であるか、死であるのか。
でもどちらでも意味は一緒だと思った。そしてまた己も同様であることに気がついた。
そう、僕もまだ必要としている。果て無き惨劇を、無間奈落の血の海を、
それに染まった自らを。伴う者はただ一人。だがそれには条件がある。
「ギン」
「ハイ?」
「もし、先の氷輪丸の件で、君が日番谷という少年の立場で、例えば相手が松本君だったらどうした?」
きょとん、とした顔で市丸が藍染を見つめる。
「なんで今更になってそんなこと聞きますのん?」
「別に。返答によっては私の立ち位置も変わる、かもしれないが」
彼女の名が、最後に藍染の口から出たのはもうどのくらい前になるだろうか。
お互いの暗黙の了解がかき消した彼女の名前。未だ抱える想いの残響。
「そら、自分の方が死にますわ」
次に目を見開いたのは藍染の方だった。
「寂しいの、ボク嫌いやし」
「少し意外だな」
「ただ」
一寸の沈黙を闇が呑む。藍染は傍らのこの男から目が離せない。
僅かに風が吹いた。揺れた銀髪が月に透け、漆黒に閃く。
「アンタがボクの常に先にいるって知る前の話やから、それ」
「今は?」
「聞かんでもわかりますやろ」
そう言うと市丸は、藍染の言葉を待つこともなく、月明かりを背にその場を後にした。
藍染は地獄への随伴者が彼であることを静かに喜んだ。
宴が終わる。
無礼講の名の下に、下らぬ狂騒を隠れ蓑にした腹の探り合いも明日になれば、
皆何事もなかったようにそれぞれの日々を始めるのだろう。
もちろん僕も。
あの少年もいつのまにか視界から消えた。
彼もまたこれから先、様々な思惑や戯言、湿度や恋情にまみれながら
どのような色をつけるのだろうか。
藍染は天を仰ぐ。月は超然とただ一定に辺りを照らすのみ。
光を通し己が瞼に浮かぶのは、ある一つの色だった。
それは確かに藍染の記憶の襞に深く刻み込まれた。
藍染惣右介は二つのことを今、決めた。
一つは、目標の最終段階における道具について、もう一つは、虚園の住人が着る
服装の色についてだ。
前者については日番谷冬獅郎という少年を当て、後者については白、にすることにした。
それは、彼がこれから世界を染めるものに最も映える色であった。
そして自らの世界に、足りなかった色をもう一つ付け加えた。
世界の襞を共有する親愛なる者達が、皆等しく美しい赤に染まりますように。
世界の最後に見るものが、最も愛しい、純白を身に纏う誰かでありますように。