影踏み(1)
1−無意識の中に潜む影
―俺は、いつまで、このままなんだろう?
逃げて、逃げて、逃げても。
影は囚われたまま。
影に囚われたまま。―
『影踏み』
「フランス兄ちゃーん、久しぶり?!」
手を振って少し離れた人物に手を振っているのはイタリア兄弟の弟のヴェネチアーノだ。その少し後ろをジーンズの後ろポケットに両手を突っ込んで不機嫌そ
うに向かってくるのはロマーノ ―イタリア兄弟の兄の方だった。
「おっ、来たね?二人とも。元気してた?」
そう言って手を広げてイタリアを腕に招き入れて挨拶代わりに軽く頬にキスしたのはフランスだった。同じようにロマーノに手を広げるとあからさまに嫌そう
な顔をされて拒まれた。
そうしたやりとりをしてから、フランスは自らが手入れをしている薔薇が咲き誇る庭にセッティングした椅子に二人に座るよう促した。
兄弟を自分の庭に招いたのはフランスだった。自分が手塩にかけて育てた薔薇たちが綺麗に咲いたから是非に、と。
「ちくしょー、何で俺まで付き合わされてんだよ…」
「だって兄ちゃん、スペイン兄ちゃんにも誘われたんでしょ?それでも無視しようとしてたじゃん。だから俺とカルチョで勝負して…」
「負けたらついてくるって約束だったのか?それでむくれてんのか、ロマーノは」
「このバカ弟が、『男に二言はない』、とかあの東洋の島国にかぶれた言葉使いやがって俺を無理やりここまで…、ちくしょーが」
「日本らしい言葉だよねー!…あれ?そういえばスペイン兄ちゃんは?」
イタリアがきょろきょろ辺りを見回してみても、当のスペインは見当たらない。健康的に少し日焼けした肌に癖のある、あの焦げ茶髪の青年の姿をこの色とり
どりの薔薇が綺麗に咲きほこる庭のどこにも見つけることができなかった。
「ん?あぁ、あいつは遅れてくるってさ。やりかけの仕事をキリが良いところまで済ませておきたいんだと。まぁどうせトマトか何かの世話なんだろうけど」
そう苦笑しながら、フランスはコーヒーと綺麗に盛り付けられたきらびやかな自慢のお菓子を兄弟の前にセットし始めた。
「自分で誘っといて遅刻だなんていい度胸してやがるな、あのバカヤロー」
「まだ来てなくて残念だったね、兄ちゃん?」
「ばーか、あんな奴いなくてせいせいしてるとこだ」
それを聞いてフランスとイタリアは同時に目を合わせた。
こんなふうに悪態つきながらも実はロマーノがスペインのことを案外気にしてるのを知っているからだ。相変わらず素直じゃないなぁと思いながらロマーノを
見て、フランスとイタリアはニヨニヨした。
そんな2人のやりとりが何やら自分をバカにしているような気がしてならず、ロマーノは眉をしかめた。そして何か仕返しに言ってやろうとロマーノが口を開
いた瞬間、テーブルに置いていたフランスの携帯電話の呼び出し音が鳴った。少し不意をつかれたフランスは着信相手を見ずに受話ボタンを押した。
「アロー?スペイ…?…あぁ、イギリスか…お兄さんに何か用?」
てっきり遅れているスペインからかと思い、名前を途中まで言い掛けたが、すぐに聞こえてきた別の声に明らかにある種の嫌悪感を表し、声の調子に変える。
「…イギリス?」
イタリアとロマーノがその言葉に反応したが、少しロマーノの方が早く感づいたようだ。その兄の声が心なしか声が震えていたようにイタリアは感じていた。
しかしその機嫌の悪そうな表情は、少し斜めから覗き込んでいたためはっきりとは見えなかったが、いつもとそう変わらないように見えたし、他に特に変わっ
た様子も兄には見られなかったので、気のせいか、とすぐに切り替えてしまった。
フランスは携帯電話を指差しながら軽くウインクした。手っ取り早く終わらせるからちょっとだけ待っててな、とマイク部分を手で覆ってから小声で謝った。
『ったく、何だとは何だフランス!てめぇのヒゲ、今度こそ全部引っこ抜いてやる』
「あーはいはい、じゃあそうなる前にお兄さんがお前の眉毛抜くから。あ、でもすぐ生えてくるかもなぁ」
『…ンだと!ふざけんなこのバカッ!!』
からかいが過ぎたのか、さらに声を荒げるイギリスを適当に軽くあしらいながら、フランスは本題を促す。
「まぁお兄さんはいつでも本気だけどねぇ。まぁ何か用があったんだろ?早く済ませてくれない?お前と違ってお兄さんは忙しいの」
『忙しいとか言って、お前の忙しい理由はどうせ色恋沙汰だろうが!』
「そうなのよ?、しかも可愛いコちゃん2人!今、目の前で待たせてるから早くしてくれない?」
『はぁ?そりゃ修羅場じゃねぇのか?』
「いーや、2人とも今は仲が良くなってきてるみたいし、修羅場にはならないかなー」
『何だそりゃ?』
そう言いながらフランスがイタリアとその隣に座っているロマーノに視線を送るとイタリアは軽く手を振り、ロマーノは「だいたい野郎2人に向かって可愛い
コちゃんって何だよバカヤロー」と呟きながら、ふいっと顔を背けてしまった。
それを微笑ましく思いながらイギリスとの話を続けた。
『別に用って訳じゃねぇが、お前ん家の薔薇、そろそろ見頃だろ?前に俺んとこから持って行ったあの薔薇、どうなったか気になるし、仕方ねぇから見に行って
やろうと思ってよ』
「あー、あれね。育て主が良いから綺麗に咲いてるよ。でも来るなら別の日にしてくんない?今お兄さんの可愛い可愛いイタリア兄弟がその薔薇たちを見に来て
るから」
『はぁ?じゃあ"可愛いコちゃん"ってあいつらかよ!?…へー、珍しいな、弟の方はともかく、兄貴の方もお前のとこに来るなんて。…そういえば電話とったとき
、スペインって言いかけていた気がするが…?…もしかしてあいつもくるのか?
』
「地獄耳だな…聞こえたのか。…そ、今アイツ遅れてきてるから、それで連絡よこしたのかと思ったんだが、お前だったってワケ。ま、そういうこと」
スペインが来ることをきっぱりと言ったのにはイギリスを牽制する意味があった。そうして牽制したのは2つ理由があるからだ。
ひとつは、スペインとイギリスはかつて海賊が海を支配していた何百年も前に海上の覇権を争っていた時代からの因縁があるため、互いに嫌いあっているから
だ。
特にスペインからイギリスに対する嫌い方がひどい。いつもは明るくイヤミひとつ言わないスペインが、イギリスに対しては皮肉・悪口を言いたい放題になる
くらいには。
現在でのイギリスとスペインの力の差を知っていてなおこの態度は改まらない。いっそ清々しいくらいだとイギリスも思って、負けずに挑発に毎度毎度乗せら
れて対抗しているようだが、昔より性格が随分丸くなった(ヘタレたとも言える)彼には、スペインの言葉の数々がナイフのように心に突き刺さっているようで毎回へこんでいる。
へこんでいるように見せているのかもしれない。真意のほどは分からないが、そんなイギリスの面倒を見るのは結局自分になるので、できれば避けたい。
もうひとつは、単にイギリスがくると面倒だから。スペインの機嫌が悪くなるとロマーノの機嫌もますます悪くなる。ロマーノの機嫌が悪いとそれを心配して