日々これ好日。
というか。
厨房の中でぱっきりと固まっている二人とは別に、もう一人。実はその近く(というか扉一枚隔てた廊下側)でも、どうしよう、と動きを止められてしまった人物が、いた。
入るタイミングを逃してしまった。
酷く喉が渇いて目が覚めてしまったので、水を汲みに来ただけなのだが。お邪魔したらいけないかな、と変な気を遣ったのが悪かったのか。
彼は空の水差しを片手にさてどうしたものか、と首を傾げた。
ここで自室でもあるまいし、厨房にノックするのもおかしいし、(というか立ち聞きしてたのがバレバレ)さりとて今まさにやってきた通りすがりです、という見て見ぬ振りは自分にはうまく出来ないかもしれない。
入っていって二人揃って大動揺されようものなら、非常に微妙に笑ってしまいそうだ。
こういう場面に強そうな人はまだ起き出しそうもないようだし・・・。
「・・・何してるの、ヤード。そんなトコで」
あ、天の助けが。
まだ祈ってもいないのに現れた助けに向けて、彼はおはようの挨拶代わりの会釈をしながら、人差し指を口に当てて見せた。
意図は通じたのか、僅かに首を傾げこそすれ、それ以上声は立てずに、スカーレルはそっと近寄ってくる。
ん?と問いかけてくる視線に向けて、ヤードは無言で手にしていた水差しを示し、ついで扉が細く開いている厨房を指さす。彼は無言でそっと中を覗き。
取り敢えず、二人はその場からは少し離れた。
「・・・・・・何アレ」
予想通り、実に端的かつ容赦のないツッコミだが、ヤードとしては僅かに苦笑を浮かべるしかない。
「ずっとああなので、こちらとしてもどうも入り辛くて」
「で、水差し持ったままぼーっとしてたわけ?」
「ええ、まぁ・・・」
一応、どこかで声はかけようと思ってたんですけど。
お互い顔を見合わせて、僅かな沈黙の後。
二人して、盛大な溜め息をついた。
「・・・平和ですね」
ああ、まったく。
しょうがない、とありありと顔に描いておきながら、二人の口元には穏やかな笑みが浮かんでいる。
だが、ヤードは不意に表情を曇らせた。
困ったような、複雑な笑みを刻んで。
「・・・こういう空気はいいな、と思ってしまって。つい忘れてしまいそうになりますね」
何を、とは言わない。
「そうね」
スカーレルも僅かに目を伏せただけで、それ以上応えはしなかった。
間に落ちた沈黙を振り払うかのように、スカーレルはことさら大きく溜め息をついて見せた。
「でも、あの調子じゃ日が暮れても水汲むの無理じゃないかしら」
わざとおどけた調子でわざとらしく言うのに、ヤードも小さく笑って返す。
「そうでしょうね。・・・取り敢えず、貴方の所に水が残っているようでしたら、私の方はさしあたっての問題はないのですが」
「少しでいいのならあるわよ。勝手に入って持って行って」
ひらひらと後ろ手に手を振って、スカーレルは背を向けた。
「どちらへ?」
「あそこに乱入するにはちょっとばかりイキオイが足らないわ。折角面白い現場に立ち会ったんだし、助っ人さんを連れてくる」
・・・なるほど。
ほんの少しの猶予、といったところだろうか。
スカーレルが突き当たりのソノラの部屋の扉をノックしている音が聞こえる。
ヤードはあと少しで台風に見舞われるだろう厨房の方へ視線を向けた。
何にせよ、これもまたいつもの通りの日常風景で。
何処かで聞いたおまじない、だったと思うが。
ヤードは胸元で小さく、十字をきってみた。
けれど、きっとこんな何気ない日々こそが宝物。