グッバイ・アーリーバード
1.
「・・・・・・。」
単調に繰り返す、レールの継ぎ目を車輪が這う音に耳を澄ます。
流れていく景色をぼんやりと視界に置いたまま、ハボックは小さく息を付いた。
中央から東部へと向かう午後の列車は、半端な時間だっただけに人も疎らだ。ただ、旅行客か帰省客か、何組か子供連れの家族がいるお陰で車両の中はそれなりに騒がしい。
気になる程でもないが、もう少し、こう。
不安定に揺れる車内だ。子供の安定感ではちょっとばかり危ない。親もちゃんと見ときゃいーのに。危ねぇぞ…って、ほら、転んだ。
ベチ、と転んでしまった子供は、床に突っ伏したまま動かない。
泣き出すかと思いきや、駆け寄ってきた姉と思しき子に手を引かれて立ち上がると、痛みを堪えているのか難しい顔をして、それでも何とか子供は笑った。
そして手を引かれたまま連れだって席に戻っていく。親の待つ所へと。
・・・平和だな。
そんなほのぼのとした光景を目にしつつ、ハボックはもう一度窓の外に目をやった。
春先の、淡く霞む空。
まだ我が物顔で空に輝く太陽を背に、1羽の鳥が東へと飛んでいくのを見送った。
車輌の中はそれなりに埋まっていて、一人でいる席はない。かくいう自分の前の席にも、対面に座る乗客がいた。
・・・辺りにふわりと漂う花の香りが、少しばかりきつく、慣れなかったからかもしれないが、妙なタイミングで目を覚ましてしまったからもう一度眠る事も出来ず。
かといって相席になった男は何か話し掛けてくるでもない。花束を膝に乗せたまま、手帳と思しき使い込まれた黒革のそれを静かに繰っている。
妙齢のご婦人とかならまだしも、素面のまま酒も入れずに見ず知らずの野郎と語り明かすような気はないし。
それは向こうも同じだろう、と思う、けど。
さりげなく窺う涼しげな印象を与えてくる面に、表情らしい表情は浮かんでいない。
因果なこの世界に身を置いているおかげで、すっかり身に染み付いてしまったまず人物把握に走るこの習性。それは悲しいかな、相手を選ばず発動してしまう。
・・・案外、やっかいそうなタイプだな。
それとなく様子を窺って、何となくそう思った。
これから向かう東の地方には結構珍しい黒髪に、清冽な印象を受ける切れ長の黒の瞳。
両腕に抱えなければ余るほどの黄色の花束が、質の良さそうなネイビーの上着に映え、それがまた妙に違和感ない。・・・あたりが何かムカツク。
・・・しかしどこから見ても柔和な優男風の風貌をしている癖に、なんだろう。
何かが引っ掛かる。
「・・・そんなに気になるかな?」
「…!」
――――と、ヤベ。
手帳越しにかけてきた声は思ったより低く、平坦だ。言葉遣いはかっちりとしているが、まるきり世間話口調での問いかけは、妙にのんびりしているように聞こえる。
「・・・いや、目立つなぁと思って。つい」
ま、別に花を見ていたわけではないが。
「……プレゼントに?」
当たり障りなく続けたつもりだが、当の花束の持ち主は答えず、すい、と視線を花に落とす。
不意に気配が柔らかくなる。
彼は手帳を下ろして静かに笑んだ。
「友人を訪ねていたんだが、土産にと渡されてね」
奥方が育てていた早咲きのバラが、今回初めて花を付けたから、と。
「とてつもない賞賛と共にいただいてきた」
賞賛。
花と奥方さんとどっちだろう。てゆーか、誰からだ。
「・・・まめな奥さんなんですね」
「――――そしてマメな男だよ。今の台詞を聞けばダースの追加はくだらないな」
「何がです?」
「惚気」
あの褒めちぎり方は私でも無理だ。
「アレの奥方自慢を最後までまともに聞いていたら、今頃この列車には乗れていない」
・・・どんな人だ、その友人とやら。
胡乱げな想像に遠い目をするハボックを気にした風もなく、男が花の花弁を指で辿る手つきはひどく優しかった。
「…その嵐から一緒に逃げてくれたのがこの彼女なんだが。1晩くらいは水をやらなくても保つものなのかな、こういうのは」
友人と言ってる割には遠慮無い。もはや天災扱いに格下げられた友人像を結ぶのを止め、ハボックはどうでしょね、と曖昧な相槌を打った。花なんて自分ちに生けた記憶はないし。それよりも、
「・・・慣れてそうなんですけど、むしろ」
花の扱いとか。彼女とか言っちゃってるし。
男は、最初は何の事やらといった表情だったが、やがてああ、と合点がいったように軽く頷いた。
「手土産としては最適だから買う事はよくあるが…すぐ差し上げてしまうものだしな」
・・・ああそーですかい。
今、さりげに自慢された。確実に。
思わず遠くを見つめてしまったハボックを余所に、男はすっかり世間話モードに移行しているようだった。
ぱた、と手帳を閉じると万年筆と共に内ポケットにしまいこむ。
・・・こうなればもうついでだ。時間潰しにもなることだし、当たり障りのないネタで適当に付き合う事にするかな。
「旅行か何かで?」
「そうだね、あまり時間が取れなくて1日でとんぼ返りだが」
先程までの素知らぬ振りは何処へやら、やれやれと大げさに肩を竦めてみせる。…結局、彼も暇だったのかもしれない。ポーカーフェイスで全然判らなかったけど。
「そちらは?」
おかげで最初の警戒心なぞ何処かに追いやられそうな勢いだ。
だが、取り合えずこんな所で我が身の処遇をバラす訳にもいかず、(何せ内戦終了して間もない今は、本当に市民感情的にウケがよろしくないので)ハボックはええと、と当てはまる言葉を探した。
――――左遷?
いやいやいや。
真っ先に浮かんだ単語は自分の為に却下。
「・・・配置換えで転勤、ですかね」
「ほう?」
「地元こっちなんで。丁度いいかな、と」
言外に、あまりつっこまれたくないな、との意思を声音に乗せてみると、相手はそれを正確に察知したのかそれ以上突っ込まずに切り上げてくれる。
初顔合わせとはいえ、踏み込んでこないその距離。
…何か思慮深さというよりは…タイミングを計られている感じがしなくもない。
――――勘ぐりすぎか?
でも白いのかな、黒いのかな、この人。
何か喋っている事自体は普通っぽくはあるんだが。
というかぼんやりしているように見せかけて、隙が、ない?
やはり何かが引っ掛かる。
「・・・私の顔に何か着いているかな?」
「いえ・・・」
・・・いや、まぁこのまま駅に着いて別れてしまえば、思い出しもしないような気がするにはするんだが。
勘と言ってもいいかもしれない。しかし今まで結構コレに助けられてきた身としては、まるムシなんてできっこない。
しかし何をまたこんなに気にしているのか、その辺は何故だか自分でもわからなかったが。
それでも。
「・・・何処かでお会いしましたっけ?」
「いいや?何故?」
「・・・何か何処かでみたよーな、見ないよーな・・・」
……いや、多分見た事があるのだ、きっと。
この感覚は間違いない。もう一度記憶を洗い直そうと沈めかけた矢先、
「……何だ。ナンパかね」
つまらさそうにしれっと吐き出されたセリフに、一気に現実に引きずり戻された。
「いや、ちょ…ッ何でそーなるンすか!?」
「古典的な誘い文句だな。久し振りに聞いた気がする」
「こて・・・ッ」
作品名:グッバイ・アーリーバード 作家名:みとなんこ@紺