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acoustic stories / 紅花

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 side:Flynn

 よく手入れされている年季の入った床。
 小さな白いバスタブ。
 水の音を吸う真綿のような湯気。
 ひたひたの湯に肩まで落ち着けると、体の中に溜まっていた疲れだとか悩みだとかが、老廃物と一緒くたに抜けていくような気がして、それが出ていって軽くなったところに心地よいだるさがじわっと染みてくる。
 タオルをかけた浴槽の縁に頭を傾け、耳を澄ませた。
 バスタブに張られた湯の表面から湧き上がる湯気はもくもくと狭いバスルームに立ち込め、小さな曇り玉の内にいるような錯覚の中、揺れる水の音にしとしと湿る。そうしているとテーブルクロスにこぼした水みたいに広がるどうにも抗いがたい眠気に襲われ、小さく息をついて目を閉じると、瞼の裏の暗闇は予期せず暖かかった。
 今ここで眠るのなら、たぶん、いい夢が見れるのだろう。
 そんな小さな確信。実際、空腹を満たすより魅力的だった。
 けれどそうなると、目を覚ました後が問題なんだ、と、ぼんやり思う。
 子供じゃあるまいし、と。
 「おい、フレン。寝るなよ、ガキじゃねぇんだから」
 見事にその呆れた声は、脳裡の声と重なった。
 浴室にぴりっと反響したのを聞き流し、声のした方に目をやるが、真逆の位置ですぐには見えない。
 「寝てはいない、けど」
 かろうじて返事だけは、返した。
 「けど?」
 開けられてギスギス軋む古いドアに寄っかかり、ユーリが湯船に浸かる自分を見眺めている。ドアにカギもなければノックもなく、作法もなければ遠慮もない。お互いの関係なんてものは今さら言うまでもない。その目は子供の言い訳を待つ意地悪な目だ。
 ぐずるようにタオルに額をこすりつけ、笑った。
 どうごまかそうったって全部ばれてしまうのは分かっている。
 「すごく眠い」
 「疲れてんのはわかってるって」
 「大丈夫…、ここじゃ寝ないよ」
 言ったことが実に信憑性のない話だというのは、態度の所為で丸分かりだった。
 「折角良いもん用意してやったってのに」
 少し、不機嫌そうにユーリが言う。
 「何だい?いいものって」
 「ちゃんと体洗ってその顔についてるキスマーク落としたら教えてやるよ」
 少し、目が覚めた。
 ふふん、と目を眇めて笑い、片手を振りバスルームを出て行くユーリの、その楽しそうな背中がドアの向こうに消える。
 「…キスマークってこういうのを言うんだっけ」
 けだるげにペタリと頬を押さえ、閉まったドアの向こうに言った。
 「知らね」
 ドアの向こうからの素っ気ない返事。
 頬から離した手を天井にかざしてみると、紅い色が手のひらに滲んでいて、油っぽい紅の香料の匂いが鼻をついた。

 鮮やかな。
 誰かの視線を引き、誰かに残すための、鮮やかな紅の色だ。

 その手を湯船にそっと沈め、湯に溶かし流しながら、目を閉じた。

 少し炭酸の抜けたような
 僕らの、日常にある、隙間

作品名:acoustic stories / 紅花 作家名:toro@ハチ