君の名は
そうだよ私はちょっと前に交わした笑顔と会話で終わりにしたかった。そうして私だけのキレイな思い出にしたかったのに。あぁ神様。いつだって空気読まねぇ神様。どうして私に彼を見つけさせてしまったんだ。あぁもうどうしてどうしてチクショウありがとう!私、私には、そうだよ格好悪くったってどうしても彼に言いたいことが、あったのよ。
「か、河合くん!」
あぁ、覚悟を決めても私という人間はどもるのね、と心の片隅で遠い目をしながら呼びかけると、河合くんはいつも通りの温和な笑顔で「何?」と答えてくれる。もうこれだけでいいんじゃないかと弱気な自分を退けるように、私は言葉を重ねた。
「あの、私、どうしても河合くんに聞いて欲しいことがあるんだけれど、いいかなぁ!?」
ムダに力強い私の声に、河合くんは「どうぞ」と言うように首を傾げた。その姿から、目を逸らしたくないと頑張って真正面から 見つめていたら、続きの言葉が
「お」
しか出てこなくてビックリした。どうしようもねぇこの女。格好悪いったってここまでじゃなくていいんだよ!自分自身を心の中で罵倒しながら、どうしてもどうしても言いたくて声が出なくて、もどかしくて結局私は俯いて叫んだ。
「お、願いだから、幸せになって!」
おっしゃ言えたやった言えたよ!とあくまでも心の中でガッツポーズを決めつつ固まっていたら、真正面からきょとんとした空気が伝わってきて居たたまれなさが倍増した。そりゃそうだ、いきなり殆ど面識の無い人間にこんなこと言われても訳分からないよなと私だって思う。でもどうしても、どうしても、伝えたかったのよ。
「お願いだから」
泣きそうなくらいに。
「お願いだから、世界で一番くらいに幸せになってよ。なれるんだから。なれるんだから!」
歪む声で、私は言う。本当のことを。私の、私にとっての本当のことを。
「後悔なんか、微塵もしないでよ。欲しいものなんか全部、全部手に入れて、手離すことなんて、しないで」
お願い、と告げた声はいつの間にか消え入りそうになっていた。言う間にも、空気がスッと変わったことには気付いていた。本当は知っている。後悔なんて、もうしてることも。欲しかったものが、手に入らなかったことも。知っているけれど、でも私は力一杯のワガママで願っていることをどうしても、伝えたかった。
あぁ、私にそれらがあげられるのであれば、なんだってするのに。過去だって変えてみせるのに。でも私は神様ではないのでそんなことは出来ない。いつだって使えない神様に祈るのと同じくらいに真剣に、河合くんに願うしか出来ない。
どうか、どうか、あなたは幸せに、なれるんだって信じてる、私がいたことをちょっとでいいから覚えてて。
言いたいことを大部分言ってしまったら本当に、本当に居たたまれなくて、この場から立ち去る方法を私は真剣に検討し始めた。「そこまで言って、なぜ告白しない!?」と友人には怒られるだろうが、いやそれは無理だ。どうやっても無理だ。とにかく帰りたい。一刻も早く帰りたい。ここはもう、どこまでも格好悪いけれど、おもむろに「じゃ!」って言って帰っちゃおうかなぁ。よし!と決意を固めて私が顔を上げると、河合くんは何だか難しい顔をしていた。申し訳ないのと怖いので、私は上げた顔を再び俯かせかけたが何とか踏みとどまる。もう帰る、もう帰るんだ!と口を開きかけた私よりも、河合くんが言う方が早かった。
「それ、難しいな」
確かに。
そのことで後ろめたさすら感じている私はやっぱり俯いてしまう。いやでも、でもあたしはどうしたってそう思うんだよ!と半ば開き直って睨みつけるように真正面から顔を見つめると、河合くんは初めて知ったものを見るような目をしていた。それに私は驚いて、ポカンとしてしまう。無防備になった私に、河合くんはニッと笑った。
あぁ、そう言えばこの人、ズルイ人だったよね。私が思い至る前に、河合くんは私の顔を覗き込んで言った。
「だから、見張ってる?」
腰が抜けると、ガクンッと音を立ててへたり込むのだと私は身を持って知った。なんでここ!?なんでこの場面っ!?てゆうか今何が起こってるの!?訳が分からなくていっそこのまま地面と一体になりたいとまで思い始めた私の前で、河合くんは堪え切れないとばかりに爆笑している。……他の誰に笑われても、この醜態ならばまぁ仕方が無いと甘んじて受け入れる。でも、でも河合くんだけは笑う資格はないと思う。睨んでいる私に気付いたのか、河合くんは涙を拭いながら私の手をオイショと引いて立ち上がらせた。そうして笑う。それはいい。それはいいんだけど。
この手を、どうしたらいいんだろう。あぁ、どうしようわかんない。終わんないじゃないか。
助けを求めるように見上げた先では、河合くんの笑顔がそっと光っただけだった。