けもの道
本編
残暑というよりも真夏と言った方が相応しいような太陽の煌めきが眩しい。地面からはゆらゆらと蜃気楼が立ち上っていた。ジリジリ、ジリ、と焼けない肌を焦がされているような錯覚さえ覚える。熱を吸収していく黒髪が煩わしい事このうえないが、俯いている今はかろうじて日除けになっているので文句は言えない。
しかし、本当に参ったことになった。夏の茹だるような暑さは思いの外私の体力を奪っていき、考えなしに家を飛び出したため路上で力尽きた。流石にそこに倒れ伏すような無様な真似こそしないなが、道端の隅に蹲らざるをえない程度には弱っていた。こんなところにあいつが迎えに来てくれるはずはない。そして道行く人の視界に面倒事は映らない。あいつみたいな人であれば、別かもしれないけれど。とりあえず夜にさえなれば、せめて動けるぐらいにはなるだろう。それまで息を潜めて耐えるしかない。いっそ汗くらい出れば楽になるんじゃないかと感じるが、この身体にそれは願えない。
あと何刻ほどこうしていればいいのか皆目見当がつかない。日の高さを見ようと薄目を開けたところ、肩に触れようとする腕が視界に入った。自分でもどこにそんな気力が残っていたのか不思議なくらい素早く、反射的にそれを払い除ける。同時に眼を細めてその人物を見上げてみれば、何故か眩しくなかった。私と太陽の間にそいつが立ち、影を作ってくれていたからだ。半袖の白シャツに黒い長ズボンを見るところ、この辺の学生だろう。その学生は手を払い除けられたことに一瞬だけ眉を潜めたが、特に気にする様でもなさそうだ。
「大丈夫か?」
極力優しさをまとわりつかせたような声が頭上から降ってきた。大丈夫ならこんなところに座り込んでいる筈ないだろう、アホ。そうは思っても、今悪態をつくほどの元気はない。かわりにじっとりと睨み付けてやったが、効果はないようだ。
「水をもらって来た方がいいか?」
今の私に必要なのは、水じゃなくて……脳裏に浮かんだら思わず喉が鳴った。それを誤魔化す意味合いも含めて、ゆっくり首を横に振る。
「私に構うな」
喉から振り絞った声は自分の耳にすらやっと届くくらいか細かったが、目の前の彼はきちんと聞き取ったらしい。
「炎天下の中で具合悪そうにしてるやつを構うなと言われてもな……。お前、自分では分からないだろうがかなり酷い顔色してるぞ。それともまさか此処で誰か待ってんのか?」
否。再び首を横に振る。
「それならさっさと家に帰れ。どうしても動けないというなら医者を呼んできてもいいが」
それは選択肢として一番まずい。先程よりも気持ちのうえで強く首を横に振る。かといって動ける訳でもないのが問題なのだが。
「おまえ、家は此処から近いのか」
しばしの沈黙の後、今度はそう尋ねられた。すぐ近くではないが、決して遠くではない。小さく頷く。
「よし」
何がよしなんだと尋ねるまでもなく、彼が目の前で屈んだ。意図するところは分かったが、それは私のプライドが許さない。覆っていてくれた影が消えた事で、身体が再び直射日光に晒される。暑くて、しんどい。首を横に振ることさえままならないほど。
「ほら、早く乗れ」
至極当然のように背中を差し出す彼に、拒否の言葉を振り絞る。
「いや、だ」
「それなら医者を呼んで来る。自力じゃ動けないんだろうが。医者を呼ぶか、おぶられるか、どちらか選べ」
まさかこんなところであいつに並ぶお人好しに出会うなんて思ってもみなかった。しかし私にとってはお人好しを通り越してお節介だ。構うなと言っても尚世話をやくだなんて、面倒な奴に会ってしまった。
こんな二択は選択肢が間違っているから成立しない、よってこれは不可抗力だ。心の中でそうあいつ――伊作に言い訳をしてから重たい口を開いた。
「……おぶられてやる」
仕方がないから。
恐らく見た目の私と大差ないであろう年の学生の背は、予想以上にしっかりしていた。汗ばんだ背中の熱に、思わずまた唾を飲み込んだ。私も伊作のように器用なら良かったのに。
私を背負うと学生がいぶかしむように振り返ったのには、一瞬ドキリとさせられた。何も言わずにまた前を向いたから良かったけれども、これでもし勘が良かったら最悪にも程がある。
「あつい」
思わず口から零れ落ちた言葉を彼は耳敏く拾った。
「もう少しの辛抱だから我慢しろ」
違う。あついのは日射しのせいだけじゃなくて。
彼の心音が奏でる音色に耳を傾けながら、前にこの音色を聞いたのは一体いつのことだっただろうかと、考えてもどうしようもない疑問がふと頭をよぎった。