堕ちる
壁がある,はずだった。
しかしそこは綺麗にさら地になっていた。
「ルートヴィッヒ君」
凛然とした声が響く。
左を向くとイヴァンとナターリヤ,そして。
兄さんが立っていた。
「・・・・・・イヴァン」
自分の声がここまで殺気立っていることに驚く。
足が一歩,前へと進む。
『シュッ』
風を切ると同時に喉元にナイフの切っ先が当たる。
「ナターリヤ」
イヴァンの声が彼女を制す。
この女。
鋭く睨んでみたが,悪びれる様子もなく下がるナターリヤ。
「何の用だ」
イヴァンはただ笑っているだけだった。
次の瞬間,イヴァンは強く兄さんの背中を押した。
ふらふらとして兄さんは俺の足元に倒れる。
急いで兄さんを支え,イヴァンを見上げる。
「じゃ,そういうことだから」
笑いながら背を向け歩いていくイヴァン。
ただ,ナターリヤだけはそこに残っていた。
「その男に何があったか,知りたい?」
気絶している兄さんを見ながら彼女は言う。
「その男はね,兄さんに壊されちゃった。
毎晩毎晩兄さんはそいつの部屋に向かったわ。
うふふ,そいつどうしたと思う?
売女のような声を上げたのよ
本当に淫乱!!」
手を広げ空を見ながらおおげさに笑うナターリヤ。
「貴方がそいつのことを天使と崇めていたことも知ってるわ。
兄さんの周りのことはみ~んな知ってるもの。
大事に大事にしてきたお兄さんが汚れちゃった」
嬉しそうに笑うナターリヤの表情は明らかに歪んでいた。
「じゃあね,お二人さん」
そう言ってイヴァンの後を追いかけていくナターリヤ。
腕の中で眠っている兄さんの肌は異様に白く痩せていた。
体中の至る所に傷があり,シャツの胸元からも大きな傷が見える。
信じたくなかった。彼女の言葉はあまりにも残酷だった。
しかしいまはそんなことを考えている暇もない。
兄さんを急いで家に連れて帰った。