約束は甘やかに
「話のタネもない何でも屋…ま、探偵だけどさ、そういうのは全然生き残っちゃいけねーわけですよ、所長。クレバーになろうぜ」
「クレバーはいいんですよ、なんで俺をつれてかねーのかって話です」
「…受付の、ねーちゃんが?美人だから」
「はぁ!?」
「うそうそ、嘘だって」
相変わらず冗談が通じないというか、キツいとこがあるなあ、とトムは小さく笑う。そういうところがすきなんだ、という台詞は胸の中にしまっておく。
昔であれば、顔を真っ赤にして「バカじゃねぇの」くらい言ってくれたかもしれないがめっきりスレてしまった最近ではハッと鼻で笑われて終わりだろう。だからこそそういう台詞は一番大事なときにとっておく。主に寝室、主導権をとりたいときなんか、に。
「まぁ、正直、平和島静雄が粟楠バックの会社で暴れたらしい、なんてウワサを立てたくねーのよ」
「…それなら最初からそういえば、俺だって納得するのに」
「……んー、それもそうだよな」
短い髪の毛は触り心地がいいのか、トムは自分の髪をくしゃくしゃとかき混ぜる。それから意味ありげな視線を向ける静雄の座るオフィスチェアに向き合って立ちあがる。
「トムさん、覚えてますか?」
「ん?」
「…事務所やるって決めたとき、トムさんが俺に言ってくれたこと」
眉を顰めてそう呟く静雄は、苦しそうな表情を浮かべている。なんでそんな顔をするんだよ、覚えてるに決まってる。トムは椅子をキシキシと鳴かせながら静雄の上にまたがるように座面に膝をつく。
「…お前を甘やかすために必要だと思ったんだ、って奴?」
静雄はこくと頷いてトムの首筋に顔を埋める。そのままやさしく抱きとめて、金髪の後頭部を指の腹でひっかくように撫でた。かし、かし、と柔らかい音がする。喉元を撫でられる猫のように静雄が擦り寄ってきて、自然と笑みがこぼれる。
「忘れるわけねーじゃん。ココは静雄のための場所なんだから。あと俺のためにも」
「ならいいんですけど、俺だって、…その、あれだ…」
もごもご口ごもる静雄の姿にいたずら心が沸いて来る。ダメなトコだとわかっていてもからかうことはなかなかやめられない。
からかっても殴られたりしないことで、もしかすると静雄の愛情を量っているのかもしれない。なんてひどいことをしてるんだろう。
自覚があるだけ、マシだろうか。
「んー?どしたの、シズちゃん」
声だけは蕩けるくらいに甘やかで。それでもその呼び方に、静雄の身体が一瞬ピクンと跳ねる。それでも怒る気配を見せない静雄に対して本当に愛しい気持ちになる。それでいい、この呼び方は俺の呼び方になればいい、一個ずつ消させてしまえ、上書きしてしまえ。
恋人の天敵について思うところは山ほどあるが、少しずつ手は打っている。最終的に興味がなくなるまで持っていければ万々歳だが、それは無理だろうから。
少なくとも一緒に居るときに思い出すことがなくなればそれでいい。
「…暴れるなって言ってもらえば、そんな、ウワサになるほど暴れることは、」
「いや、いんだよ、俺がちょっと我儘だっただけだから、本気で静雄が暴れるから連れてかねーって訳じゃないからさ」
「……え?」
「甘やかしたいんだよ、変なトコに連れてきたくねーんだ、だから、俺の我儘だったの。ごめんな」
「……いや、え、なんでトムさんが謝って」
両の手のひらでトムは静雄の頬を挟みこむ。白い艶っぽい肌がほんのり朱に染まっていく。その表情に泣きたくなるくらいの愛しさがこみ上げてくる。泣き笑いの表情になったことに驚いたのか静雄の両手もトムの頬を挟みこむ。
「ははっ、なにやってんだ、俺ら」
「…いいんすよ、お互いに甘やかすって決めてんですから、」
「ま、そうだけどさ…」
ところで、明日一緒に行く?そうトムが話を振ると、静雄は少し考え込んでから首を横にふる。我慢しているそぶりもなくごく自然な表情で。
「いくなら先方への確認もいるでしょ、今度つれてってくれれば」
「…んー、そう?それでいいなら助かるけど」
「その代わり今日は一個、言うこと聞いてくださいね」
謝った側は謝られた側の言うことをひとつ聞く。いつしか習慣になったそれを持ち出して静雄は笑う。その笑顔に釣られてトムも幸せそうに笑みを浮かべて小さく頷いた。
「なににしようかな、決まったら言いますね」
「…ドキドキすっから早く決めてくれるとうれしいんだけど」
「それを焦らすのもコミで楽しんじゃないですか」
「ほんとおまえ大人になったよね」
「悪い大人の見本が近くにいますから」
クス、と口元に浮かべた静雄の笑みで大体何をお願いするのかをトムは悟り、自分のオフィスチェアから静雄を追い返す。
所長席に戻った静雄は自分のオフィスチェアに柔らかく支えられ、満足げにトムの方へ視線を向けた。トムはすでに自分の机の上の山に立ち向かっていて、あっというまにスイッチを切り替えたようだった。
とりあえず今日の晩御飯は精のつく料理にしよう。
静雄はうきうきと「おねがい」に備えてやるべきことを考え始めた。