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不幸中の幸い

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世の中には二種類の人種が在る。
 幸福な人間と、そうでない人間。
 つまり、幸せな人間と不幸な人間だ。
 細分化していくと限が無いけれども、概ねこの二種類で間違いない。

 そして自分は限りなく後者である ――――――― というよりは寧ろ、不幸を寄せ付ける体質なのだろうと、白髪の少年は考えた。


 「ねえティム。僕はどうしてこの世に生まれて来たんだろうね」


 過酷な修行旅の合間の、僅かな休息。
 口煩い師匠のいない、長閑な昼下がり。

 家事全般を一通り片付けてから、アレンは簡素な宿で質素な一人掛けのソファに凭れながら、白い頭の上にちょこんと乗り上げた、ゴーレムと呼ばれる不思議な生き物に向かって呟いた。
 ティム・キャンピーは訳有ってアレンの師匠となったクロスという破天荒な人間(彼はエクソシストであり高名な元帥であり、また神父でありながら、暴力的で色恋も敏く、金遣いも荒く――――――― 要は慎ましやかさの欠片も無い人物である)が創ったものだというが、創造主には似ず中々に大人しい生き物だった。
 神の寵愛を受けながら醜い手を授かってしまった、そして欲望に負け養い親を自ら滅してしまったという劣等感と罪悪感に塗れ、他人との接触を極端に断ってきたアレンにとっては唯一の話し相手でもあった。
 小さなゴーレムは、その背にある小さな羽根をパタパタと羽ばたかせながら、まるで自身の意思を持っているかのようにアレンの声に耳を傾けていた。
 本当に聴こえているのかどうかは解らないが、アレンにとってはそれで十分だった。
 溜め込むには辛すぎる。
 誰かに聴いてもらうには重過ぎる。
 けれども、胸の痞えは解消したい。
 だから独り言として考えを纏める時、全てを受け入れて、そして聞き流してくれる、ティムの存在が有難かった。

 「師匠といると気が紛れるから良いんだけど……一人になると、やっぱり考えちゃうんだ」

 クロスと旅をしている間は、道中であれ宿泊地であれ、アレンは彼にありとあらゆる雑用を言いつけられ、休む暇も無い。
 浪費家の師匠の為に昼も夜も金策に走り、空いている時間は宿で彼の世話をするので、食事の時間以外はほぼ働きづめだ。
 けれども、次から次へと命令が下されるのは、何も考えずただ身体動かせば良いだけという事もあって、アレンにとっては案外有難いことだった。
 クロスと出逢う切っ掛けとなった、あの悪夢のような日から随分と日が経ったけれども、アレンの中の深い部分に刻まれた傷は癒えてはおらず、ふとした瞬間、まるで昨日の事のように思い出してしまう。
 そして、自己嫌悪に陥るのだ。

 「どうして僕が、選ばれちゃったのかなって。勿論千年公の誘惑に負けちゃったのは僕だし、馬鹿な事をしたと、思ってるよ? だけど、僕はただ、マナと一緒に生きていたかっただけなんだよ…。普通の家族みたいに、一緒に生きたかっただけなんだ」

 神に愛され、悪魔に求められた異形の左手を摩りながら、もう戻れない過去を想う。
 頭上でティムが小さく鳴いたような気がしたが、アレンはそのまま独白を続けた。

 「師匠には感謝してるし、……好き、だけど、駄目なんだよ。僕の中はずっと、空っぽで…」

 失くしたものが大き過ぎて、大切過ぎて、どうしても過去として清算出来ないのだ。

 「こんなの師匠に聞かれたら、また怒られるよね。……でも、殴られる内はまだ、置いて行かれないかな? 何時もみたいに、馬鹿弟子が! って言いながら、連れて行ってくれるかな」

 眠気に身を任せ、狭いソファの中で身体を傾けた所為で頬に掛かった己の髪で頬に影を落としながら、アレンはぽとりと涙を溢した。

 「ねえ、おかしいよね、ティム。僕は、師匠に嫌われてても、呆れられても、殴られても、置いて行かれるよりはマシだって思うんだ。愛人さんちに行っても、まだ、此処に…僕を迎えに来てくれるから、僕はまだ僕でいられるんだ。……だけど」

 幸せなんて一つも持たない僕が、今、師匠にまで見放されたら。
 そんな不幸まで背負わされたら。

 「……もし、今日、明日にでも突然師匠が帰って来なくなったら…僕を置いて行ってしまったら、きっと僕はこのまま消えてしまうと思う…」


 どれだけ不幸を寄せ付ける体質であったとしても、乗り越えられるのは何処かに希望があるからだ。
 幼くして全てをなくしたアレンの心の拠り所は、クロスだけだった。
 そのクロスは、いずれアレンは手放す(存在を教団に委ねる)つもりでいる為、必要以上には懐に入れないように接している。
 アレンにはそれが寂しく思えるのだが、しかし今は何時切れるとも知れないその絆だけが彼の光であり希望だった。

 「あの人は、全部なくした僕には眩しすぎるんだ、ティム。君も解るだろう?」

 彼が自分にとっての救いの光そのものだからこそ、終わりが来るのが怖いのだ。

 「僕には、もったいない人だよ。僕がいると邪魔なのも、解ってる。そんなの解ってるんだ。だけど、僕は、師匠がいないと駄目なんだよ……どれだけ疎まれてもいい、今はまだ、傍に置いていて欲しいんだ」

 返事をするかのように小さなゴーレムの尻尾が器用に動き、アレンの零れる涙を拭う。
 その動きはとても優しく、その昔 ―――― それが最初で最後だったけれども ―――― 一瞬にして人生の幸福を失った小さな子供の涙を拭った傍若無人な大人の指を思い出させた。

 「…僕は不幸だけど、師匠とか、ティムがいるからまだ…幸せでいられる…。でも、そんな幸せしか知らないんだ……」

 一番大事な人を殺してしまった自分は、もう誰に愛される事もない。
 こんな手を持っていては、新しい家族を持てるかどうかも判らない。

 「…僕は…生まれてきたことが間違い…だったのか……な……―――――――」

 日当たりの良い窓際で、ソファに身体を預けたアレンの瞼がすっと降りる。
 考えは纏らなかったようだが、言いたい事を言えてスッキリしたのか、それとも連日の修行と家事、雑務で疲弊していたのか、アレンはそのまま眠りに落ちた。
 ティムは尻尾の動きを止め、ソファの前にあるテーブルに移動すると、そこで大人しく身を縮める。
 閉じた瞳から零れる涙そのままに寝入ってしまったアレンをじっと見つめながら、ティムは小さく、小さく鳴いた。








 ※ ※ ※ ※ ※







 夕食の時間になって宿に戻ってきたクロスは、自室に向かう途中のリビングで、ソファに細い身体を埋めて眠る弟子を発見した。
 本格的に眠り込んでいるらしく、普段であれば飛び起きるはずのアレンは師匠であるクロスの気配どころか足音にも気付かない様子で、小さな寝息を立てている。
 起こす事は何時でも出来る、と思いながら、紅蓮の髪を持つ男はそっとティム・キャンピーに近付くと、内臓された記憶装置を探って今日のアレンの様子を再生した。
 暫くの後、クロスは大袈裟に溜息を吐く。
 「……また馬鹿な弟子が馬鹿な事を考えていたか。暇な奴だ」
 件の馬鹿弟子が起きていれば、「酒臭いですよ! また飲んで来たんですか!」と喚くであろう酒気を漂わせながら。
作品名:不幸中の幸い 作家名:東雲 尊