不幸中の幸い
アレンは最初から物分りの良い子供だった。
エクソシストとしての資質もさながら、性格自体を気に入ってアレンを弟子としたクロスだったが、今となってはやはり子供は子供だと思わずにはいられない。
二、三日留守にしただけでこのような泣き言を言われていては、おちおち外泊も出来ないではないか。
(こんなガキが死のうが消えようが俺には関係ないが…)
映像に記録された、幼い泣き顔に、もう一度溜息を吐く。
(この俺の弟子がこんなに弱いとなると俺の沽券に関わる。…まだまだ連れまわして、鍛える必要があるな)
過去を忘れろとも、前を向けとも、クロスは言わない。
それはアレン自身が決める事だからだ。
クロスは、嘘でもいい、偽りでもいい、目標があれば取り敢えずは生きていける、それをアレンに教えただけだ。
いつかそれが真実になればいいと。
この子供が、己の過ちを確かに受け止められる日がくればいいと。
ただそれだけを。
「アレン、起きろ」
出来るだけ静かに、クロスは声を掛けた。
あの映像を観たからではない。
神父として、悩める子羊を救う道を示す為だ。
「……し、しょう……。おかえり、なさい…」
うっすらと眼を開けて、微笑む子供に近付いて、クロスはその頬を撫でる。
大人の掌、その大きさと温もりに、アレンは安心したように擦り寄った。
そんなアレンの様子に、クロスは珍しく口元に笑みを湛えた。
「寝惚けてるのか、馬鹿弟子。さっさと起きろ、飯を食いに行く」
「……あ。はい、師匠」
子供らしい顔を見せたかと思ったアレンは、ハッとしたかのようにその手を離し、ほんの数秒で意識を完全に覚醒させる。
そして今し方自分がクロスに仕出かした事への羞恥か、頬を紅く染めながら、わたわたと忙しげに外出の用意を始めた。
(なんか今……師匠が優しかったような気がしたけど…僕、寝惚けてたのかな)
「アレン」
そんな事を思いながら身支度を整えている最中、不意に声を掛けられ、返事をしながら主の方を振り向くと、
「お前はいずれ、誰からも必要とされる人間になる」
大きな腕に抱き締められた。
「…え、師しょ……」
「お前はいずれ、誰からも愛される人間になる」
真摯な面持ちで紡がれる、厳かな予言。
「お前には、今、生きる「意味」など必要ない。幸福や不幸の意味など、考える必要もない。ただ生きろ。強くなれ。そして」
―――――― いつかお前のその運命を、お前自身が笑い飛ばしてみせろ。
「……し、しょ…。……なん…で、知って……」
「俺を誰だと思ってるんだ、馬鹿弟子が。お前みたいなガキが悩むなんざ、百年早い」
突拍子もなく一貫性もないように思えるクロスの言葉は、しかしアレンの胸の空洞にはしっかりと填め込まれた。
強く優しい男の言葉に、アレンは再び涙を零しながら、暖かな胸の中で何度も頷く。
震える肩を抱いてくれるのは優しい父親ではないけれども、同等に強く、優しく、何より信じられるものだった。
「おい。グズグズしてる暇はないぞ。飯を食ったら出立だ。今夜中に山を越える」
「…はい!」
(まだ、貴方と一緒にいられるなら。まだ、一緒に連れて行って貰えるのなら)
(その間に出来るだけ。僕は強くなります。いつか、全てを笑い飛ばせるように)
騒がしい二人分の足音と共に、木製のドアが閉まる。
表には既に夜の帳がおりていたけれども、紅蓮と白銀の髪をもつ二人の姿は闇の中に在っても眩かった。
神に愛された、人々の希望 ――――――― エクソシスト。
その素質ある者は、神の寵愛をその身に受ける代償として、人間としては重い不幸を内包して生まれ来る宿命にあった。
特殊な能力が発動するその日が来るまでは、本人達も知らぬ事だが。
しかし彼らはやがて気付くのだ。
遅いか早いかの違いはあれど、我が身の不幸に。
それを嘆き自ら死を選ぶか、神の僕として生を送るかは当人次第である。
アレンも洩れなく、しかも自身の意思も定まらぬ幼子の内に選択を迫られた。
それがどれだけ辛い事かは、クロスも理解していた。
彼自身もまた、神の愛と不幸をその身に受けているのだから。
だからこそアレンを拾い上げたのだ。
同情ではなく、同士として。
アレンはまだそれに気付かずにいるが、ただ一つだけ、現状において彼なりに理解出来た事があった。
(とんでもない不幸を背負って生まれた僕だけど。もし、そのお陰で師匠に逢えたんだとしたら………それは不幸中の幸いっていうか)
(寧ろ僕は、もしかして ―――――――― 幸せな人間なのかもしれない)
終