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月の光に似た君へ

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***


あいしてる、
あいしてる、
あいしてる、





「愛してる」

微笑みを浮かべて薔薇を一輪。
差し出すものは言葉と時間のひとかけら。
それで女性は皆、とろりと瞳を溶かしてくれる。それはもう、ひどく呆気なく。


「さようなら、もう会えないんだ。」

誘われるまま肌を交え、最後に口付けひとつ。
憂いを称えた眼差しで見つめ、まるで役者のようにお決まりの台詞。
ここで女性は二手に別れる。
一粒の涙か。一撃の制裁か。
あとは大抵、ころりと次の恋を探す逞しさを持つ。




「…いいよな、女って」

今回は後者だった。痛む左の頬を摩りながら、ぽつりと一人ごちる。
俺も女に生まれれば良かったのに。
そしたらきっと、新しい出逢いを心から信じられるのに。

先程まで(名前はもう忘れた)女性と温もりを分け合ったホテルから抜け出し、ふらりと夜の静けさに染まる街を歩く。
物騒なやつらに今捕まったらアウトだろうなあ、と思いながら。

コツ。コツ
革靴の踵がのっそりとした足取りを響かせていく。
今日は月夜が明るすぎて、陰すらくっきり地面に落ちてる。
春の夜更けも案外寒いものだな、と肩を竦めて身をちぢ込めた。
コツ。コツ
このままアジトに帰るにしても、顔に紅葉を作ったままじゃあ部下に示しがつかない。
さてどうするか。とりあえず歩みを進めていると、ふといつもは気にも留めない横道が目に止まった。
散歩がてら、探検ごっこの気分でも味わうか。
どこか他人事のように。いつもの道を一歩反らした。

コツ。コツ
足を踏み入れた路地裏にまでは、満月の日も届かないようだ。一面が闇に染まり、音だけが反響する。

ちりりん、

ふと、聞き覚えのない澄んだ音が聞こえて足を止めた。

ちりりん、

鈴の音のようだ。狭い空間で反響して居所はわからない。

ちり、


「っ…?!」
「にゃあ」
「…あ?」

音が不自然な途切れ方をして、瞬間、生き物の気配を足元に感じた。
咄嗟に身構えたものの、聞こえた鳴き声はそれを脱力させるにふさわしいものだった。

ちりりん、

よく目を凝らしてみると、暗闇の中でもぼんやりと浮き立つ毛並みが見える。
ゆらゆら揺れる長い尻尾。どうやら首にぶらさげた鈴が音の発信源だったらしい。

お行儀良くこちらを見上げている、その白っぽい猫はもう一度甲高く鳴いて走り出した。
ちり、ちり、ちり、
音がまるで誘うように導を遺していく。

呆気に取られたものの、何故だろう。足は既に反射的に駆け出していた。
探検ごっこの次は、追いかけっこの気分ってワケ?
やはり他人事のような思考で。ひたすら耳は音の奇跡を追っていた。



---



ここの路地裏ははたしてこんなにも入り組んでいたろうか。
もう何度曲がり角に(文字通り)ぶつかったか分からない。
道を間違ったかと焦るたび、鈴の音と猫の鳴き声に誘導されていく。
夜明けまではまだ遠い。この声を失ったらもう戻ることはできない気がして焦りが募る。
猫の毛並みは白く、闇の中では酷く目立つ。時折曲がり角で尻尾らしきものを見掛けるものの、その全景はあれ以来見られていない。

「どこまで…いくんだよ…!!」

腐ってもマフィアのボス。
配下の者に後れを取らぬほどには鍛えてはいるものの、
これだけ走れば(+行き先が分からないという心理的負担はけっこう大きいものだ)息も切れてくる。
速度も大分落ちて、ぜえぜえと壁に手をついて息を整える回数も増えてきた。
にゃあ、と近くか遠くかもわからない声が響く。
なにがにゃあだ。猫なんか大嫌いだ。
半ば逆恨みのような気分で前を見据えると、闇の奥にぽっかりと開いた空間があった。
呆然と目を見開いてから、どこかの小説だったか。一生向かいのドアに辿り着けない廊下ってあったよなあ、と乾いた思考をしてみた。
とりあえず歩を進めてみると、杞憂は呆気なく終わり、さっきよりやけにまぶしく感じる月明かりの下へ出た。
乾いた土の地面に、低木がいくつか。四方を囲む壁は、今出てきた路地裏方面を除いてどこかの家のもののようだった。
苔むした東の家の前には、なにやら東洋的なテーブルと椅子が並んでいる。

「にゃあ」

「うお!水先案内人だ!!」

はー、と周囲を観察しつくしたところで、
ちりん、ともう耳に馴染みまくった音と共に現れた猫は、何故かまだ路地裏の中に居た。焦ったオレが見過ごして、スルーで出てきてしまったのだろう。
警戒することもなく一定のリズムで歩いてくるその姿に、改めて人慣れした猫だなあと思う。
やがて、暗闇から月明かりの光で見た毛並みの色に、オレは驚愕で目を見開いた。



「---ス、」

「プラチナ」


無意識のうちに零れ出た音を遮るように、静かな声が耳に届いた。
ハッと口元を押さえる。いま、オレは。

(----何を?)

「おや、珍しいじゃないか。今度はどんな客を選んでくれたんだい?」

にゃあ、と猫が返事をするように鳴いて掛けていく。
足元でじゃれつく猫を頭を撫でて宥め、曲がった腰を幾重にも藍色の布で巻いた老婆。
どうやら先程の「プラチナ」という言葉を発したのは、この老婆らしい。

「…あの、」

「さあさ、お客さん。夜が明けるまでここからは出られませんよ。お茶でも飲んで話しましょう」

「は!?」

色々なことについて絶句する俺を他所に、老婆はそそくさと東の家に入っていった。

「プラチナ」

またあの言葉が聞こえると、猫がゆらゆらと尻尾を振りながら老婆の後に続いて部屋に入っていった。

「…プラチナ(白金)、ね」

なるほど。どうやらあの猫の名前らしい。
月明かりの中で先程見た毛並みの色になぞらえてだろう。
全く、安易にもほどがある。

溜息と共に、言いかけた音の続きを吐き出してしまいたかった。
てのひらで目を覆う。満月を仰いで唇を諌めた。
ああ、本当に。男ってなんて未練がましい生き物なのだろう。
かつて焦がれた名を呼ぶことも、怖いなんて。


作品名:月の光に似た君へ 作家名:しぐま