あの人を待ちながら
その日、折原臨也は池袋東口の前で、竜ヶ峰帝人を待っていた。
空はお世辞にもいい天気とは言えず、今にも雨が降り出しそうな色で、道行く人々も皆一様に早足だ。臨也はそんな人の流れをぼんやりと見詰めながら、ただひたすらにそこに立ち尽くしている。
池袋の、しかも駅前だ。一歩間違えればすぐに天敵に見つかってしまう。だというのにそこから離れるという選択肢は、臨也には皆無だった。少し小腹が空いた気がしたけれど、あえてその空腹を無視する。寄りかかった駅ビルの壁がひんやりとしていた。
竜ヶ峰帝人はまだこない。
というか、そもそも来てくれるかどうかが分からない。
臨也は一つ大きく息を吐く。薄暗い空模様に、今の心情が重なるようだ。時計の針が午前11時を回る。もうどれくらいここにいるのかわからないが、確か、起きてすぐやってきたはずなので、少なくとも4時間は待っているような気がする。
はあ、と大きく息をついて、臨也はそれでもめげずに雑踏を見詰めた。竜ヶ峰帝人は、来ないかもしれないけれど待たないわけにはいかないのだ。
三日ほど前の話だが、臨也は必死で帝人に告白をした。一世一代の、そりゃもうアイデンティティを自らぶっ壊しての、清水の舞台から余裕で飛降りる大告白だった。なにあれ恥ずかしい。なんかもう必死すぎたことは自覚してる。っていうかなんであんな必死になったのか思い出したくもない。タイミング的に、ここしかないだろう!という瞬間だったのだ。あのときの臨也にはそれがわかって、だから、その貴重なタイミングを逃さない為にそりゃもうみっともないほどに、死に物狂いで告白をした。
なんかもう考えるだけでうわああと頭を掻き毟りたくなるくらい、気障なことを言ったような気がして、臨也は背中がむずむずしてたまらない。ほんと、思い出したくない。できるならやり直させて欲しい、あの告白タイム。この折原臨也ともあろうものが。なに言っちゃってんの、ほんと、何言っちゃったの。ばか。
顔に手を当てて、思わず壁伝いに座り込みそうになるのを何とか耐える。思い出すだけで羞恥心がはんぱない。あまりの恥ずかしさに、そのときの帝人の反応さえ思い出せない。なんなの、もうほんとなんなの。
とにかくこんな、コントロール不能状態になったのは初めてで、というか多分これが初恋で、初めて尽くしのその感情に、臨也は面白いくらい引っ張りまわされているわけで。
ついに壁伝いにしゃがみこみ、臨也はもう一度雑踏に目を向ける。帝人はまだ来ない。来て欲しい。いや、やっぱ恥ずかしいから来ないで。ああでも何やってるんですか臨也さん、とかってあきれたように言われたい気もする。でもでも、ちらっと一瞥してそのまま何もなかったかのように歩み去られたらマジで凹む。べっこべこに。
うあーっと頭を抱える臨也は、周りの目なんか気にしない。っていうか気にしてたらそれこそ身が持たない。おなかの虫がぐぅと鳴ったけど、そりゃ12時も回るんだから仕方がない。真っ赤な顔を伏せたまま、臨也は新宿に帰っちゃおうかな、と一瞬駅へ視線を向けた。
いつも通りに大量の人間を吐き出して飲み込む池袋駅は、いつでも歓迎だとでも言うようにそこにある。けれども足は全く動かなかった。
だって折原臨也は、竜ヶ峰帝人を待っている。
しゃがみこむ臨也の前に、いつの間にか黒バイクがいた。
『何をしているんだ?』
問われるままに答える。
「帝人君を待ってる」
『何時間?』
「5時間くらい」
一瞬沈黙し、ことさらゆっくりと文字を打ち込んだ黒バイクは、あきれたようなジェスチャーで当然のような言葉を突き出す。
『もう新宿へ帰れば』
「・・・だよねー。普通そう思うよねー」
客観的に見ても、新宿へ帰るという選択肢はごく自然のものだ。だが臨也は首を振って、しゃがみこんでいた場所で立ち上がった。また最初のように壁にもたれて立ち、軽く腕を組む。
「ん、もう少し待ってるよ」
半分くらいは自分の為の言葉だ。臨也には確証もないし自信もなければ希望もないのだけれども、そんなないない尽くしで、それでもやっぱり会いたかったから。
その後少しのやり取りを経て、黒バイクは臨也に肩をすくめて走り去った。そうだともそれでいい。っていうかこんな百面相してる時に話しかけてこないでよほんと。もうほんとなんなの。恥ずかしいんだけど。今日俺、弱み撒き散らしてない?
ふーっと息を吐いて、臨也は帝人のことを考える。何であんなに惹かれるのだろうと、帝人の表情を丁寧に思い出しながら、ただあの、ちょっとつっついたらマシュマロでも吐き出しそうな頬が可愛いとか、舐めたら甘そうな首筋が綺麗だとか、ふとした瞬間切り替わる冴えた瞳がおいしそうだとか、なんだかそんなことをつらつらと考える。
至福だ。参った。予想以上に自分が気持悪い。
にまにまと緩んでいる頬を引き締めようと、頬を軽く叩いたとき、また声をかけられた。
「イザイザ、何してんのー?」
「面白い顔っすよー」
狩沢と遊馬崎のオタクコンビだ。最悪だ、見られた。
「あー、帝人君を待ってるんだけどね」
「ミカミカ?」
「待ち合わせに遅れてくるなんて珍しいっすね」
「や、俺が勝手に待ってるだけなんだけどね」
「は?」
「え?」
2人は顔を見合わせて、ぱちぱちと瞬きをした。
「勝手に待ってる・・・って、どういう意味?」
狩沢が尋ねる。とっても説明し辛いので取り合えず笑っておいた。そうするとその笑顔をどう捉えたのか、2人はもう一度目を見合わせる。
「えーっと、なんなら携帯で・・・」
呼ぼうか?というジェスチャーをする遊馬崎に、それはいらない、と返す。自主的に来てもらわないと意味がないのだと思う。というか、やってきた帝人に『何であなたがいるんですか』的な顔をされたら立ち直れない。ほんと察してそのへん。俺は繊細なの!
「・・・でも、なんかイザイザ顔色悪いよ?」
「どのくらい待ちぼうけっすか?」
「えーと」
臨也は時計を見た。13時27分を回っている。
13時?アレ、いつの間にそんな時間に。
「・・・6時間半?」
自分でも疑問系で答えたなら、オタクコンビはすさまじい息の合いっぷりを発揮した。
「「帰れ」」
この言葉本日2度目なんですけど。
「だが断る!」
確かにすぐそこにある改札をくぐれば、池袋から新宿までは路線によっては・・・湘南新宿ラインで一駅、埼京線なら3駅、とにかく近い。だが、それとこれとは話が別であって、今臨也は帝人を待っているのである。それなのに帰るとかありえない。
「あのさあイザイザ。言い辛いんだけどそれだけ待ってこないなら、ねえ?」
「そっすよ、もうあきらめろってことっすよ」
気の毒そうな目で見られたうえにそんなことを言われた。ちょっとそれは傷つく。自尊心が強い臨也にとっては複雑極まりない事態だ。だがそれでも、やっぱり考えるほどに、帰るのは嫌だった。なんというか、あきらめる、という単語が嫌だ。ものすごく嫌だ。
帝人に関することで、臨也があきらめることなんか、何もない。
「煩いな、待つっていったら待つの。俺は一途な男なんだから」
口に出してみてようやく実感した。
折原臨也は一途な男なのである。とても、とても。
「んー、まあ、いいけど・・・」