あの人を待ちながら
狩沢は微妙な顔をして臨也を見た。はっきりとその顔にかわいそうと書いてあるような気がして、臨也はふてくされる。俺はかわいそうじゃないやい。・・・多分。
あんま無理しないで適当なところで帰りなよー!と去っていくオタクコンビを見送って、そんなに俺は待ちくたびれた顔をしているんだろうかと臨也は顔をしかめた。黒バイクもあの2人も、揃って何時間待ってるのか、なんて聞かなくてもいいじゃないか。待ちぼうけ実感して悲しくなるし。ねえもうなんで来てくれないの帝人君。
はーっと大きく息をついて、もう減りすぎて逆に空腹を感じなくなってきたおなかをさすってみたりして、それでも臨也の足は動かない。まるで磁石でひっついているかのようだ。っていうかみんなそろって帰れとか。何俺邪魔なの?そういうことなの?甘楽ちゃん泣いちゃう。
泣きながら待っていたら、さすがの帝人もどん引きだろうか。
ぼけっとそんなことを考えて、咽をひきつらせてうわあ、という顔をする帝人を想像する。困ったように眉を寄せ、話しかけるの嫌だなあという顔を全面に押し出し、それでも結局放っておくことのできない帝人は、きっと泣いていたら臨也にどうしましたか、と尋ねるだろう。あ、泣こうかな。それがいいかも。でもさすがに23にもなって俺恥ずかしいよね。ここ公衆の面前だし。
繰り返すが臨也はわりとプライドが高いのだ。それでもそんなプライドを、帝人のためだったら粉々に粉砕したって後悔しない程度には、帝人のことが好きなのだ。
そう、折原臨也は竜ヶ峰帝人に恋をしている。
故に、来るか来ないかもわからないその来訪を、ここで待つのだ。
ぼけーっと人波を眺めながら、臨也はただひたすらに待った。時計の針は容赦なくぐるぐると回って、空腹は時折思い出したように暴れたけれど、そんなものが臨也を動かす力にはなりはしない。
やがて曇り空から容赦なく雨粒が落ちてくるころ、3人目の知り合いが臨也の前に立った。
「・・・何、天変地異の前触れ?」
軽い厭味を口にして見上げた先に、平和島静雄がいる。割と本気だ。なんで目の前にいるのに攻撃してこないのだろう。臨也が目をパチクリとさせていると、静雄は心底嫌そうな顔でケッと息を吐いた。
「死にそうな顔してるくせに何言ってやがる」
「・・・今チャンスだよシズちゃん。俺今なら死ぬかもよ」
「テメエはどうせ殺すからいいんだよ」
っつーか辛気臭え。テメエがそんなんだと調子狂うんだよ、と喧嘩人形は言う。人間みたいなこと言っちゃって、怪物の癖に。まあでも今日は喧嘩仕掛けられなくて助かったかも、だって俺今ここから動けないし。臨也はそんなことを思って、いつの間にか座り込んでいた両足に額を当てた。はーっと息を吐く。背筋に雨が伝って落ちるのを感じた。
「もう、いいだろ」
忌々しい物を見るように、静雄が言う。
「楽になっちまえよ、新宿に帰れ」
「・・・やだ」
「竜ヶ峰は来ねえよ」
「・・・来るかもしれないし」
「来ねえ」
「・・・」
なんでお前が断言する、なんでお前が分かる、なんでお前がここに来た、なんで、なんで。
帝人君じゃないなら誰が来たって同じだ、臨也はくすぶる思いを吐き出せないまま、抱えた足に顔をうずめた。雨がいつから降っていたのかも覚えていない。気付けはもうぐっしょりと濡れている。でも、どうしても、それでも。
確かにここで新宿に帰れば、一時的には楽になるのだろう。けれども本能が訴える、ここで帰ったら後悔すると。生きることを楽しみ人間を楽しむ折原臨也にとって、後悔とは無縁の間柄でいたいものであり、お近づきになりたくないものだ。
「・・・ねえ、今何時?」
腕時計さえ見る気力がなくて、問う。天敵は無造作に即答した。
「午後3時47分」
ごごさんじよんじゅうななふん。
羅列として流れ込んできた文字を整理するのに、たっぷり五秒を要した。
午後、3時。47分。
「・・・くじかん」
つぶやいた言葉が震える。それでようやく、寒いのだと分かった。今自分は寒いのだ。
「あ?」
不機嫌そうに聞き返す静雄に、顔を上げないままで臨也は答えた。
「九時間近く、待ったもん。・・・今更、あと何時間待ったって、同じだよ」
声が震えている。まるでだだっ子の理屈だ。いろいろと分かりきっているけれど、それでも。皆が口をそろえて帰れと言う、その言葉にうなずく気にはどうしてもなれない。臨也は帝人を手放したくない。あきらめたくない。帝人に向ける感情に、嘘をつきたくない。こんなのどうかしてると思っても仕方がないのだ。だって折原臨也は、竜ヶ峰帝人に恋をしているのだから。しかも初恋だ。驚異的だ。今までの臨也の人生をたたき割って粉々にして、さらにそれを踏みつける様な凶悪な恋なのだ。
三日ほど前の話だ。
臨也は必死で帝人に告白をした。一世一代の、そりゃもうアイデンティティを自らぶっ壊しての、清水の舞台から助走をつけてハイジャンプするほどの大告白だった。なにあれ恥ずかしい。苦しいくらいに必死に、囁いた言葉はなんだっけ。なんかもう必死すぎたことは自覚している。っていうかなんであんな必死になったのか思い出したくもない。
そういうタイミングだったのだ。あそこを逃したらきっと一生言えないって分かっていたのだ。だから、だからどうしても。思い返してみてもそりゃもうみっともないほどに、死に物狂いで、けれども薄っぺらい自分の言葉を最大限に誠実で染め上げた、シンプルで激烈な告白をした。
なんかもう考えるだけでうわああと頭を掻き毟ったうえで、コンクリートの壁に頭を打ち付けたくなるくらい、恥ずかしい言葉を吐いた気がして、臨也は背中がむずむずしてたまらない。
ほんと、思い出したくない。できるならやり直させて欲しい。けれどももしかしてやり直してしまったら、あの誠実な響きは消えてしまうかもしれない。臨也は自分の言葉を薄っぺらく見せることにかけては得意だったけれど、本当に心をこめて伝えることは大の苦手だった。けれどもあの時の言葉は確かに、伝えるために吐き出されたものだ。
こんなところで帝人を待っているのも、あの言葉の重みを、自分で信じてやろうと思ったからだ。
伝わっていてほしい。
あれで伝わらないのなら、もう臨也には手も足も出ない。どうしようもない。あれ以上の言葉なんて臨也にはもう言えない。そうしたらこの恋心は、帝人に伝わらないままくすぶるしかないのだ。そんなのは惨め過ぎる。
本当は、分かっていた。あの改札を通って新宿へ帰ったら、臨也は楽になれるのだ。恋に悩むこともなくなり、少年らしいあの手を乞うて眠れない夜も、自分を呼ぶ少し上ずった声が消えずに耳をふさぐ瞬間も、まっすぐに見据える冴え冴えとした湖面の様な瞳に手を伸ばしたい衝動を必死で抑えることも、すべてが消えてなくなって、そうしてそれは確かに臨也に安寧をもたらすのだろう。
それなのに、苦しんでも、耐え忍んでもいいから、ここにいたいと強固に思う。
傷ついても、心が悲鳴を上げて血を流しても、それらすべてを抱きしめて、帝人を待つ。
「・・・すきなんだ」
笑っちゃうくらいシンプルで、これ以上ないくらいにありきたりな、ただそれだけの理由は。
「帝人君が好きなんだ」