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木下闇

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「浮竹」

 低音のよく通る、深みのある声に呼ばれて振り返ると、そこには級友の京楽春水が立っていた。相変わらず何を考えているのかよく分からないのほほんとした笑顔が、浮竹をおいでおいでと招いている。
 途端にドキリと跳ねた心臓を袂を直す素振りで押さえ、浮竹は京楽の元へ一歩足を踏み出した。
「なんだ?」
「落とし物、だよ」
 京楽が差し出した右手の中からちらりと姿を覗かせている物を見て、浮竹はハッとして胸元を探る。京楽は、そんな浮竹を黙って見守っていた。
 やがて求めていた感触がどこにもないことを悟り、浮竹はバツが悪そうな顔をしてポリポリと頭をかいた。
「すまんな」
「いやいや」
 気にしなさんな、とは彼の口癖だ。その言葉に促されて、浮竹は京楽の前へと歩を進めた。
 すい、と掲げられた手に、浮竹も慌てて手を差し出す。京楽が軽く握っていた拳をひらくと、軽い感触がぽとりと右手の中に落ちてきた。
 ――こんな風に、簡単に落としたりしてはいけない物だった。
 ホッと一つ吐息を漏らす。拾ってくれた相手が相手だけに、妙な噂やからかいの種になることもないだろう。 安堵に胸をなで下ろした浮竹は、次の瞬間ギョッとして身体を硬直させた。
 京楽のもう一本の手が、下から覆うような形で浮竹の右手に重ねられていた。
「きょ…!」
「キミね。こんな大事なものを、うっかり落としたりしちゃあいけないよ」
 京楽の手は、力が込められているようにも見えないのに振り払うことができなかった。大きく、暖かな手が上と下から浮竹の右手を封じ込める。ひっそりと呟かれた言葉は、責めるでもなく哀れむでもなく、浮竹の耳にいっそ優しく響いた。
 浮竹は、手のひらに乗せられた小さな恋文を、ぎゅ、と握り込んだ。貰ったときには結び目に可愛らしい花が一輪挿してあったが、今はそれが見あたらない。
 落とした際、どこかに紛れてしまったものか。
 頬を真っ赤にして、はにかみながら微笑んだ少女の顔が脳裏に浮かんだ。
「ああ、本当にそうだな」
 後悔の気持ちで重くなった頭が自然と下がり、まるで彼女の代わりに京楽に謝っているかのようになった。
「わざとじゃないのはわかってるよ。キミがそんなことする訳ないしねェ。でももし皆に広まってしまったら、女の子というのはとても傷つく存在だから」
 京楽は浮竹の手を解放すると、今度はポンポンと励ますように頭を軽く叩く。
 穏やかに諭されて、次いで宥められて。
 最近、この男と相対するたびに何故か、浮竹の心は大いに揺さぶられる。ちょうど発作を起こす前に、クッと一瞬息が詰まるような案配だ。
 そのままでいれば、ほどなくしてとても苦しくなるのを浮竹は知っている。幼い頃からよく慣れ親しんだ感触だからだ。無茶をして倒れることは、余計に周囲の者たちに迷惑をかけることになる。だから浮竹は昔から、いついかなるときでも自分の状態をよく把握しておかねばならなかった。
 こんな風に、なぜだか理由のわからない嵐のような物に巻き込まれてしまっていいはずがなかった。

「京楽……」
「ン? どうかしたのかい?」
「ああ……いや、なんでもない」
 浮竹はそっと首を横に振った。
「そうかい?」
「ああ。すまなかったな。お前が拾ってくれてよかった。……ありがとう」
「気にしなさんなって言ったろう」
 京楽が笑う。屈託のない笑顔がむしろ憎らしく思えてならなかった。
 自分が抱えている感情を、たとえその元凶といえど、この男にぶつけたところでどうしようもないことはわかっている。京楽には何の罪もないのだ。それにそもそも、何をどうぶつけていいのか浮竹自身にもわからなかった。



 あのとき、震える小さな手を浮竹に向かってまっすぐ差し出した少女は、どんな思いで立っていたのだろう。
 浮竹は彼女の名前も知らなかった。仕方がない、霊術院は多くの生徒を抱えている。学年が違ってしまえば、顔を合わせることはそう多くない。いつだって自分のことで手一杯の浮竹には、恋だの愛だのにうつつを抜かしている暇はなかった。
 だから受け取った時も、ああこの娘には余裕というものがあるのだなと、ぼんやり思った。好いてくれて嬉しいとか、どう言葉を返したらよいだろうとか、そんな思考はまったく浮かばず、――ただ羨ましいと。

 つらつらとそんな考え事をしていたから、文を落としてしまったのかもしれない。悪いことをした、と思う。
 思いの種類は違えど、自分がつい京楽に目を奪われてしまうように、あの娘も浮竹をどこからかずっと見ていてくれたのだろう。
 ありがとうと言って文を受け取りはしたものの、今にして思えばそれはおざなりな返事だったように思える。
 一度だけ目を通した文面には、ただ浮竹を恋しく思う気持ちだけがつづられていた。交際を望む言葉は一つとしてなかった。それを求められたら、浮竹は断りの言葉を口に乗せるしかない。それは辛かった。
 だから浮竹は、返事を迫られない以上このまま何事もなかったかのように日々を過ごしていくつもりだった。それが彼女を傷つけずにすむ方法だとも思っていた。
 ――だが。
 彼女は震えていたかもしれないが、怖がってはいなかったのだ。覚悟を決めなければ、浮竹の前には立てまい。返事をぼかして伝えることは、そんな彼女を侮辱することになりはしないだろうか。
 今度彼女を見かけた折には、心のこもった礼を述べた上できちんと断りの返事を返すことにしよう。
 そう決めるとようやっと心がシャンとなった。




 病は気からというけれど、浮竹の持病はいつでもその隙を狙っている。心持ちが弱くなれば、瞬く間に授業も試験も放り出して床に伏さなければならない。大家族の中で唯一霊力を持つ存在だった浮竹にとって、それは出来ない相談だった。
 優先順位は決まっている。自分が生きていくために、切り捨てなければならない物も知っている。
 だから浮竹は、今度は素直な気持ちでもう一度頭を下げた。わだかまりは何もない。心を乱される要因は何もないのだから。
「本当に助かった。じゃあ俺はこれで」
「ああ、ちょっと待った」
「ん、なんだ?」
 背を向けて歩き出そうとした浮竹の肩を、京楽がつと掴んで止めた。あまり京楽らしくない仕草に、内心首を傾げる。
 京楽はなぜか困ったような顔をして笑った。
「少し、顔色がよくないね」
 浮竹の白い髪を一房弄ぶように指で挟むと、それを耳へと流して、顔を覗き込むようにする。
 常にない接触の多さは、せっかく鎮めた浮竹の鼓動をまた若干早めることとなった。
 やさしい指先はどうにも手慣れているようで、この男が世間の噂ほどには女性に袖にされていないのだということを、浮竹に知らしめる。
 ちくり、とまた針を刺すような鋭い痛みが胸を貫いた。
 浮竹の知らない種類の痛みだった。
 肺まで達するような咳に喉が切れて血を吐いたときも、おぼつかない足取りで力の入らぬ身体を引きずって歩き、縁側から転げ落ちたときにも、こんな鋭くやりきれない痛みは襲ってこなかった。
 浮竹は、自分に未知の痛みを与える男の顔をそっと見上げた。合わさった瞳の中に心配する色を読みとって、安心させるように少し笑う。
作品名:木下闇 作家名:せんり