木下闇
「彼らの期待にこたえられるほどの男になった覚えはないよ、ボクは」
「…………なにを言っているんだ、お前は」
「それにこれからもどうかな」
苦笑して首を傾ける京楽は、どうやら本気で言っているらしかった。浮竹は驚いて口ごもる。
これだけの男でも、あの家はそんなに重たかったのか。ふらふらと勉学からも武芸からも逃げ続けていたのは、京楽家の重責に押しつぶされそうだったからなのか。
だとしたら、罪悪感を抱いているのは父親や兄ではなく京楽自身なのだろう。兄に全てをおしつけて、自由に生きるのだと放浪し続けた彼の方なのだろう。
浮竹は思いの外子供っぽい京楽の一面を見せられて、ふっと微笑んだ。彼は何のかんの言っても次男坊で、自分は八人兄弟の長兄だ。拗ねた子供の扱いならお手の物である。
「京楽。お前自身がどう思っているかはよく分かったけどな、俺はお前の父君や兄君に俺の親友を見せびらかしてやりたいんだよ」
「……え?」
「半年前と比べてお前はかなり変わったぞ? その前から思慮深く観察力に富んでいたかもしれないが、いまのお前はその頃にはなかった貫禄のようなものがある。自分で自分の歩く道を決めたんだ。地に足がついたことによって責任を重んずる強い気持ちが生まれたんだろう」
「…………浮竹」
「お前は京楽家の重責をも凌駕する、護廷十三隊の隊長職を目指しているんだ。誰に紹介しても恥ずかしくない立派な俺の親友だよ」
笑顔に精一杯の気持ちをこめて浮竹は京楽を見つめた。嘘偽りのない本心だ。京楽にそれが伝わらないはずがない。彼は俯いて、
「……キミにそこまで言ってもらえるとは思わなかったよ」
ぼそりと呟いた。柄になく照れているらしい。こんな至近距離で表情を隠しても無駄なのに。
浮竹は京楽の顔を両脇から挟んで持ち上げると、厳かに命令を下した。
「お前が駄々を捏ねるからだ。ぐだぐだ言い訳してないで、ちゃんと家族に顔を見せてこい」
「………………ハイハイ。負けたよ」
「ハイは一回だ」
「……はぁい」
「よし」
浮竹は満足したように頷いて、よく出来ましたと京楽の頭を撫でてやった。京楽は大人しくされるがままになっている。そのなりは、むかし妹が拾ってきた大型犬によく似ていておかしくなった。
笑ってしまう口元を隠しながら、浮竹はおまけの提案を京楽につきつける。
「何も休暇の間ずっと実家にいることもないだろう。顔だけ見せたら、今度はうちにくればいい」
「え……」
「正月休みにお前のことを話したら、みんな会いたいと言ってきかないんだ。お前さえよければ訪ねてきてくれ。歓迎するぞ」
「ボクが、キミの家にかい?」
「ああ。……大家族は苦手だったか?」
京楽があまりに困惑した顔をするものだから、ひょっとして悪いことを言ったかと浮竹は身を引いた。途端、腰を支える手が二本に増えて、そこで動きが止まる。
「そういうことじゃあないんだよ。……そうだね、いずれは挨拶に行きたいと思っているけど」
「いや、無理をしなくていいんだぞ!」
「無理はしていないよ。……ただ、今のボクじゃあまだその資格がないってだけさ」
「お前は! またそういうことを!」
つい先ほど、自慢の親友だと、立派な男なのだと告げてやったばかりなのに、京楽はまた同じ言葉を繰り返す。浮竹は怒ってその胸をドンと叩いた。
拳にはそれなりに力を籠めたのだが京楽はびくともしなかった。代わりに浮竹の右手を救い取って、両手で握りしめる。
「違うんだよ。キミが思っているような意味じゃない」
「じゃあどういうことなんだ」
「資格がないというのはね、まだ彼らに、お兄さんを頂いていきますと言える立場にないってことさ」
「………………はあ!?」
一瞬、京楽が何を言っているのかわからず、浮竹はぽかんとマヌケ面を晒してしまった。次いでその言葉が示す意味に思い至り、ひどく混乱する。
「頂いていくって……」
「浮竹が家族のことをとても大事にしているのは知っているよ。だからまだ時期が早いと思うんだ。でもいずれは、彼らからキミを奪う」
真剣な瞳が目の前で煌めいていた。半年の間にこれが彼の本気の顔なのだと、もう浮竹は学んでいる。
「覚悟しておいておくれよ?」
「…………っ!」
視界いっぱいに広がった京楽の顔がぼやける程に近くなって、唇に柔らかいものが重なった。
驚いて目を見開いていると、京楽がやっと手と腰を解放してくれる。彼は浮竹の頬を愛おしげにするりと撫でると、勢いをつけて立ち上がった。
「さて。ボクは少し頭を冷やしてこよう。キミはボクが帰ってくるまでにここから逃げておくこと。いいね?」
「逃げ……る?」
「帰ってきてもまだキミがここにいたら、どうしてしまうかわからないよ? ボクの理性にも限界ってものはあるんだからさ」
「……え、あ、あの……」
戸惑ったまま京楽の顔を見上げるが、身体に力が入らない。腰がすっかり抜けていた。くるりと踵を返して立ち去る彼の背を見つめながら、声もかけられず立ち上がることもできない。
浮竹は混乱する頭を抱えた。
今のはなんだ。
京楽は何と言っていた?
家族から俺を奪う、とはどういうことだ?
それはつまり。
結局のところ。
「俺達は両思いってことなのか……」
置いて行かれた体勢のまま、浮竹は途方に暮れたように呟いた。驚いたとか嬉しいとか言う前に、実感がわかない。手に入るはずのないものが、あちらから降ってくるとはどういうことだ。
「夢……じゃないよな?」
唇をそっと手で押さえると、女性より固めの彼の唇の感触がよみがえる。
じわじわと湧いてくる幸福感が、浮竹の全身から余計に力を奪って、彼は未だ立ち上がることが出来ずにいた。
それならいっそ、立たねばよいのだ。
浮竹はようやくそれに思い至る。
京楽が帰ってくるまでここで待っていれば、彼自身が答えを与えてくれるだろう。京楽はわざわざそう宣言して去っていったのだから。
もし浮竹が自分も同じ気持ちなのだと告げたら、京楽はどんな顔をするだろう。
唖然として、それからきっと浮竹の大好きなあの笑顔を浮かべてくれるに違いない。
この世でただ一人、浮竹だけが京楽を幸福にしてやれる。これ以上の喜びがどこにあるだろう。
浮竹は、震える手を叱咤してよろりと立ち上がった。京楽が部屋に戻ったとき、正面から笑顔で迎えてやりたいと思ったからだ。
早く、早く帰ってくればいい。
お前を幸せにしてやれるのに。
俺がこの手で。
俺のこの手で。
極限まで気配を消した浮竹は、程なくして覚えのある霊圧がこの部屋に近づいてくるのを察知して、ひっそりと微笑んだ。