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木下闇

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「京楽っ!」
 スタンと小気味いい音がして、部屋の襖が大きく開く。京楽は慌てず騒がずゆっくりと振り向いた。
 学年が上がって一人部屋となった現在、この部屋にこんなにぎやかな訪ね方をするのは一人しかいない。
 その相手――浮竹は、強張った顔をして戸口で息を切らしていた。
「どうしたの、そんな慌てちゃって」
「お前、夏の長期休暇に、実家に帰らないってのは本当か!?」
 ずかずかと部屋の内部に歩いてくると、浮竹は京楽の茶を勝手に掴んでそのままぐっと飲み干す。タンと机に勢いよく湯飲みを戻して、怒ったような顔が京楽を睨め付けた。
「どこで聞いてきたんだい? そんなこと」
「舎監の人が、お前が寮に残ると言っていたと」
「けっこうお喋りなんだなァ、あの人」
「バカ! 俺だから教えてくれたに決まってるだろう。生徒の個人的なことだぞ」
 この半年ですっかり親友という間柄を周囲に知らしめた二人は、教師や生徒のみならず霊術院に働く用務員にまで、一対のあわせ貝のような扱いを受けていた。
 霊術院における長期休暇は夏と冬の二回。長期といっても死神修行の妨げにならない程度の短い期間だが、せっかくのまとまった休みということで、やはり実家に戻る者が多かった。
 冬は年末から正月にかけて、これは問答無用で寮からたたき出されるのだが、夏は寮に残りたい者は自由に残っていいというおふれが出される。これは、流魂街二桁地域出身者を気遣ってのことだろう。死神候補ということは空腹になるということで、帰る場所も寝泊まりする場所もない彼らには、寮をあてがっておく方がよいだろうということだ。
 だがもちろん、上級貴族京楽家の次男坊に帰る場所がないはずもない。現に昨年の正月の折りは実家に戻ったあげく、なかなか解放してもらえなかったと学期の始めにぼやいていたほどだ。
 だから浮竹は、舎監から京楽の残留を聞いて、慌てて走ってきたのだ。
「キミのところは家族が多いから、さぞかし賑やかなんだろうねェ」
「俺のことはいい。今はお前の話だろう?」
「あー、うん。そうだね」
「…………帰らないんだな?」
 低い声で断定するように訪ねると、京楽は、あははと困ったように笑った。彼はたぶん、浮竹がなぜこれほどに憤っているのかわかっていない。
 行動を共にし出した半年の月日で、浮竹は京楽という男の色んな面を学んでいた。これは、困っているというより、どうやって話をはぐらかそうか考えている顔だ。
 そうはいくかと、あぐらをかいている京楽の股の間にずいっと身体を進めて、至近距離でもう一度同じ台詞を繰り返した。
「か・え・ら・な・い・ん・だ・な」
「………………キミねェ」
 さすがに京楽は呆れた顔を見せたが、浮竹が引く様子がないのを悟ると額を抑えて、まいったねと呟く。
「まァ、今回は見送ろうと思ってるよ」
「何故だ! 帰ればいいじゃないか。せめて顔を見せるだけでも」
 他人の個人的事情に口を出している自分は、半年前と随分変わったなと浮竹は思った。こうして立ち入るべきではないところでも、それが京楽なら口が勝手に動いている。
 ムッとした顔で詰め寄ると、京楽は迫り来る浮竹の肩を押さえて牽制し、笑い出しそうな表情で口を歪めた。いつもの浮竹に甘い京楽だった。
 それをいいことに、浮竹は両肩に置かれた手をぱしんぱしんと払い落とし、主人に餌を貰えるのを待つ犬のようにじっと彼の目を見つめ直した。
 いま、身をひくべきではないと判断したのだ。浮竹は今までの人生を、ほとんど直観で判断して生きてきた。そしてこれからもそうするつもりである。
 それはおおむね自分の問題であって、人の生き様にこんな風に頑固になったことはなかったのだが、今や京楽の人生は浮竹の人生も同じだった。
 いつになってもその場から動かない浮竹に、結局のところ京楽が根負けする。
 彼がふっと漏らした笑みは、温かく優しくて、間近でそれを見てしまった浮竹は今更ながらに動揺した。
 感情と直結している鼓動が大きく跳ねる。
「……京楽」
「まいったね、どうも。キミにそう言われると、自分が大層不義理をしているように思えるよ」
「しているだろうが」
「そんなことはないよ。正月にはあの一族郎党の前にちゃあんと姿を見せたじゃないか」
「あれからもう八ヶ月もたつんだぞ。親類の方々はともかくとして、両親や兄君にちゃんと挨拶してこい」
「ううん。それがねェ…」
 煮え切らない態度に、浮竹は首を傾げた。
 京楽は何も親兄弟を嫌っているわけではない。親類縁者のことはやや鬱陶しく思っているらしいが、いつも飄々とした風来坊な態度でやり過ごしている。こんな風に駄々を捏ねる姿は初めてだった。
 なにか、大きな理由があるんだろうか。浮竹は訝しむ。それなら自分がむりやり説得すべきではないのかもしれない。
 眉を顰めた浮竹の顔を見て、京楽は安心させるようにその白い前髪を優しくかき上げてやった。
「この間、正月に帰ったときにふと思ったんだけれど」
「……ああ」
「ボクを無理矢理この学院に入学させたこと、父も兄も若干の罪悪感を感じているらしいんだよ」
「そうなのか?」
「何となくそう感じるんだなぁ。それってのも多分、ボクがここまでちゃんと死神修行をするとは思っていなかったせいだと思うんだけどねえ」
「つまり、いままでのお前の素行を見て、霊術院でも長くは持つまいと思われていたということだな」
「あらら…手厳しいなァ」
 露わになった浮竹の額に、京楽は自分の額をこつんとぶつける。浮竹はすまして、お前がふらふらしていたのが悪いんだろうと止めをさしてやった。支えるように腰に添えられた京楽の手に少し力が入る。
「キミがこの学院に…同じ学年にいなければ、ボクはきっとまた同じことをくりかえしていたんだろうね」
「俺だってお前がいなければ、隊長を目指すなんて気持ちにはなれなかった。護廷十三隊入りを目標とはしていたが、隊員を支える職務に自分を置いて考えたことはなかった」
「キミは少し欲がなさすぎるからねェ」
 六回生となった二人は、既に席官程度の実力は十分に備えていた。二人でいっちょ護廷十三隊をひっかきまわしてやろうとは京楽の言だ。現在のだれきった組織に活を入れるのだと、浮竹に大きな手をさしのべた男。
 だから浮竹は、そんな志を持つ京楽の姿を、親兄弟に見せてやりたかった。
 この男がソウルソサエティを変える。京楽家の次男はこんなに立派な男なのだと。そして、その相棒が自分だということに大きな誇りを感じているのだと。
 それなのに京楽は、目標をもったことで返って家族と顔を合わせづらくなってしまったらしい。今まで真っ正面から父や兄と向き合ったことなどなかったのだろう。自覚が出来た自分の姿を晒すのは、妙に気恥ずかしいのかもしれない。
 しかし京楽の考えは、浮竹の思っていたそれと少しだけ違っていた。
「罪悪感を感じているというのはつまり、父君も兄君もお前を見直したということだろう? いいじゃないか、立派になったお前を見せてやれば」
「いやいや。問題はそこなんだよ。あんな風に期待をかけられちゃうと、さすがに心苦しくなっちゃってねえ」
「……どういうことだ?」
作品名:木下闇 作家名:せんり