源氏物語四十二帖―匂宮―
「ねっ! ねっ! 兄貴、兄貴! きれいだよ!」
くるりと振り返った。その反動で長い、長い髪がふらふらと左右に触れて、まるで薄い和紙の動きのようで。
明るい色でオレンジと黄色の淡い、溶け合ったような浴衣を着た理夢を見ていた。
◆ ◆ ◆
――一人で二人。
――二人で一人。
殺戮奇術集団――匂宮雑技団――失敗作――功罪の仔。
それが匂宮兄妹。
人喰いの出夢――人喰いの理夢――匂宮兄妹。
――二人で一人。
――一人で二人。
匂宮兄妹。
『半分』では、なにも語れない。しゃべれない。逢えない。
◆ ◆ ◆
気まぐれの上の気まぐれで、匂宮を抜け出した。
偶然の必然の上で計画的に、外へ出た。
危険も、遭遇も、危害も、分かっていたけれど。
理夢は、そのままに。
僕は、髪をあげてメガネをはずして。
理夢には、浴衣を着せて。
僕には、男らしい服を着せて。
殺戮の時間まで、あと三十分。
すべてを冒して、来た。
立ち並ぶ露店と眩しいほどの光。赤い提灯に叫ぶ人の声。
笑い声が、喜ぶ声が、嬉しがる声が、
所狭し響く。耳に、張り付くように、残るように。
「あーにーきーっ!」
「理夢ー、うんな早く行ったら迷子になるぜー!」
こんな、こんな危険なこと。
分かってるけど。
逃げ出せるなんて、思ってねーけど。
少し――少しだけ、お願いします。
誰に?
ふわり、ふわり
長い髪がふらふらと左右に触れて、まるで薄い和紙の動きのようで。
遠く、遠く、歩く理夢の姿を、ただ、ただ、見ていた。
◆ ◆ ◆
――失敗作だから、だと、苦労とか困難とかあるわけがなかった。
いつまでも、どこまでも、立ちはだかるものは人喰いの理夢が調べ。
いつまでも、どこまでも、立ちはだかるものは人喰いの出夢が食べ。
いつまでも、どこまでも、兄妹は兄妹であり。
どこまでも、いつまでも、二人で一人、一人で二人であり。
死ぬ時は『二人』のはずだった。
『半分』になったものは機能を失い、二度と動くことは出来ぬ。
機能と『弱さ』を失ったものなど、二度と役に立つことは出来ぬ。
出来るのは、その身を犠牲にするのみ――
後悔しても、今さら遅い。
◆ ◆ ◆
時折、露店に顔をつっこんで冷やかしながら(本当は色々買ってやりたいが)一本道を歩いてく。
理夢は前に出て軽やかに進み、僕はゆっくりとあとに付くように歩く。
何度も理夢は振り向いて、そのたびに僕は手を上げたり笑ったりしながら傍にいるという印を見せた。
少しだけ――ほんの少しだけ、忘れた。
「あーっ!!」
理夢が声を最大限に響かせ、嬉しそうな顔をして振り向く。
ああ、そこらへんにいる女どもと変わらないじゃないか。いや、そこらへんの女どもより数倍可愛いが。
「この上だよねっ! 兄貴っ!」
「ん? ああ」
暗い、暗い、短い石段を指差して。
ものすごい速さで理夢は駆け上ってく。
見たかったのは露店じゃない。見たかったのは他人じゃない。見たかったのは――
「兄貴ーっ! 始まっちゃうよーっ!」
「おーう」
一回だけ、殺戮の時間だった時に聞いた音が夜空に響いて、華が舞う。
「わーっ わーっ! すっごいよっ兄貴! すっごいよ!!」
「そーだなー」
駆けてく。駆けてく。
もっとも近づける場所で止まって、ぶんぶんと腕を振って、体全体で感動を表す理夢の横に並んで笑った。
兄貴らしい、笑いで。
「色がいっぱいだよー! どうやって出してるのかなー!」
連続で咲く華に、理夢は目を輝かせて何度も僕に問う。
もちろん、そんな答えなんて知らないので「さーな」とだけ返しておく。
かちかち
かちかち
かちかち
「理夢。わりーけど、ここにいろよ」
殺戮の時間だ。
◆ ◆ ◆
後悔も責任も、心だってどこにあるか分かりやしなかった。
ただ、何時も理夢のことを思っていたし、理夢も出夢のことを思っていた。
崩れないと思っていた。しかし、崩れるかもしれないと思っていた。
壊れないと思っていた。しかし、壊れるかもしれないと思っていた。
死なないと思っていた。しかし、一方のどちらかが死ぬかもしれないと、
いつでも危機感に見舞われていた。
崩れないと思っても壊れないと思っても、それは死なないと前提しているから信じられるもので。
いつ、いつ、いつに。
怖さを隠した。恐怖を隠した。畏怖も、恐動も、恐悚も、怖悸も――
直隠し。
どこにもいけないから、理夢に頼った。
どこにもいけなかったから、出夢に頼った。
――二人で一人だったのだ。
――一人で二人だったのだ。
誰も否定しないから。誰もが殺そうとするから。誰もが生きたかったから。
滲むものさえ無視をして。浮かぶものさえ無視をして。濁るものさえ無視をした。
ゆっくりと、崩れていくのが、目に見えていたのに。
ゆっくりと、壊れていくのが、目に見えていたのに。
――ゆっくりと
――死んでいくのが
――目に見えていたのに
終わりたくなかった。終われなかった。
二人だから、二人でいるから。
後悔など――後悔など――後悔など
言えない。言えない。言うつもりもない。言えないに決まってる。言えないのだ。
作品名:源氏物語四十二帖―匂宮― 作家名:相模花時@桜人優