源氏物語四十二帖―匂宮―
出夢としての権限を持ち出しても。殺し名としての権限を持ち出しても。兄としての権限を持ち出しても。
そんなこと、考えなかったのだから。
『逃げよう』
無駄だ。失敗作は失敗作の終わり方を。
◆ ◆ ◆
気付けば花火などとっくのとうに終わっていて、露店があった通りなど店自体もなく、人も誰もいなかった。
走った。
人がごった返していたはずの通りをひたすら走った。
走って走って走って走って、歩いていた時よりも遅く感じてしまったのは、目の前に理夢の姿が見えないからだ。
理夢がいるからいい。理夢が離れないからいい。理夢はどこにもいかないからいい。理夢と僕は、絶対に別れることがないからいい。だから、僕は後ろの方で理夢の背中を護ればいい。
短いはずの石段が長い。
前に理夢がいないからだ。
「理夢っ!」
「きゃんっ!? 兄貴っ!」
松の木を背もたれにして、理夢は、今起きたかのように叫んで笑って、
「出夢兄貴っ!」
抱きついてきた体を僕は支えた。
同じモノ。
「―――帰ろうぜ、理夢」
二人ならいい。二人ならいい。
一人は駄目だ。一人では駄目だ。
「うんっ!」
理夢が駆け出して石段を勢いよく駆け下りて、来た道を戻る。
なんて、短い道だろう。
「兄貴っ! 兄貴っ! 早くっ!」
人のいなくなった道を理夢が先頭に立って歩いてく。
くるりと振り返った。その反動で長い、長い髪がふらふらと左右に触れて、まるで薄い和紙の動きのようで。
明るい色でオレンジと黄色の淡い、溶け合ったような浴衣を着た理夢を見ていた。
闇夜でも映える、その色と理夢を。
僕は見ていた。
◆ ◆ ◆
「姫ちゃんは――わたしはっ! 師匠には指一本、触れさせませんっ! 絶対にっ! 絶対にっ! 例え約束をしていてもだめですっ! わたしは貴女たちを殺しますっ!」
叫ぶように声を荒げた少女は、なにを思っていたのだろうか。
僕の片割れは、何度か避けたあと、機能を停止した。
「――理夢」
出遅れた、出遅れた体。
理夢には荷が重いと思って動こうとした体。
たった、その瞬間に、
もっとも、恐れていたこと。
「 」
少女は、目を怒らせて腕を振るっていた。
少女は、目を見開いて腕を失った。
少女は、それでも目を怒らせて、
頭を振りかぶり、足を動かし、肢体を動かし、髪を揺らし、髪飾りのリボンを揺らし。
噴出す血の中で、少女は、なにを思っていたのだろうか。
僕は、少女の体に、力の限りの、力の限りの、
「『一喰い』っ!」
少女は、ゆっくりと落ちた。
――ああ
◆ ◆ ◆
妹が死んだというのに、とても淡白だった。
冷静も冷静を通り越して、まるで感情がないよう思えた。
そりゃそうだ。失敗作だから。
ここぞというときに、それの責任にしよう。
妹が死んだというのに、これからどうしよう、ただそれだけを考えた。
思考も思考を通り越して、狐さんに連絡をいれねえと、そんなことを思考しているなか――
心臓を、喰らった。
◆ ◆ ◆
「ねっ! ねっ! 兄貴、兄貴! きれいだよ!」
くるりと振り返った。その反動で長い、長い髪がふらふらと左右に触れて、まるで薄い和紙の動きのようで。
明るい色でオレンジと黄色の淡い、溶け合ったような浴衣を着た理夢を見ていた。
「きれいだな」
そんな気の利いた一言でも、言ってやればよかった。
作品名:源氏物語四十二帖―匂宮― 作家名:相模花時@桜人優