天使なんかじゃない
フランスに恋人ができるとすぐにわかる。
まず初めに表情が変わる。毎日楽しくてしょうがない、一日一日が充実してるという風に瞳がきらきらと輝くのだ。
そして次に、髪に艶がでる。肌の状態も良くなり、血行もよくなる。いつも身なりには気を使っている男だが、そんな普段以上に身なりが整い、イギリスからしたら毎日ファッションショーにでも出る気かと思うほど気合いが入りだす。
そして携帯電話を触っている時間が増える。締りのない表情でメールを打ち、もっと締りのない顔で通話をするのだ、しかも頻繁に。
極めつけにフランスは、恋人ができたことを隠さない。女性でも男性でも、とにかく恋人ができれば話の隙間を見つけては惚気を繰り返すのだ。
フランスと付き合いの長いスペインやプロイセンは「あーあ、またか」という顔をしながらも、辛抱強くフランスの気が済むまで聞いてやっているようだった。
けれどイギリスにそんなサービスはない。酒の席で恋人の話をされればうんざりするし、会議の休憩中にでれでれとした顔で恋人の可愛いところを聞かされるのも辟易する。
嫌なら聞かなければいいのだと、自分でもわかっている。
あれでも一応フランスも大人なので、会議の休憩にイギリスが席を立てば追いかけてくることもないだろう。酒を飲む席にも誘わなければいいのだ。恋人がいるフランスが、イギリスを無理に誘うこともない。
それでも「そんな話興味ない」とか「おまえのことなんて聞いてない」なんて言えない理由があった。
もう数えきれないほど昔から、このどうしようもないフランス男が好きなのだ。
どうしてこの男なのだろうと、それはもう何千回も考えた。
絶対に自分のことを好きにならないヤツだ。早くあきらめて、他に誰か見つけた方がいい。どこのだれでも、フランスよりは望みがあるといえるだろう。
なのにフランスの顔を見てしまうとそんな考えもどこかに吹き飛んでしまうのだ。そして何度も何度も好きなのだと実感する。
それを何百回と繰り返して、いつしかイギリスはあきらめることを『あきらめる』ということを覚えた。毒を食らわば皿までだ。
だから最近ではどんなにうっとおしいと思っても、嫉妬で狂いそうになってフランスの頭をワインボトルで殴りたくなっても、フランスの話に付き合うと決めた。
イギリスがおとなしく彼の惚気話を聞くと、フランスも気持ちが良いものらしい。いままでにはない確率で会議のあとの酒に誘われるようになったのもそのころからだ。
嬉しさ半分、虚しさ半分のフランスとの飲みにも慣れた。
へらへら笑いながら自分の彼女がいかに美しくて聡明かをつらつらと語る、その唇をじっと見つめる。とくに意味はないが、酒に濡れててらてらと光るそれがやけに眼に入ったのだ。
フランスの自慢話を聞き流しながら、その女性と彼はもうキスしたのだろうかと考える。
子どもではないのだし、フランスも相手も良い大人だ。きっとキスだけじゃなく、それ以上も済んでいるだろうとすぐに思い至る。
彼はどんなふうに彼女にキスしたのだろう。どんな場所で、どんな言葉をかけて、それに彼女はなんと答えたのだろう。酒が入っているせいか妄想はどんどん広がり、いつしか脳内のふたりはフランスとイギリスの姿に変わった。
けれどバカバカしくなってすぐにそんな想像もくしゃくしゃに握りつぶした。絶対に現実にならない想像をしても、虚しさに拍車をかけるだけだ。
「おーい、なんだよイギリスゥ、聞いてるのかよ」
「あ、ああ。聞いてる聞いてる」
「ほんとかあ? そうは見えなかったけどなあ」
やたら高級そうなワイングラスを傾けてフランスはぼやぼやと呟く。責めるような口調ではないが、話を聞いていないイギリスの態度に拗ねてしまったようだ。
どんな気持ちで人が聞いているのか知りもしないでと心の中で悪態をつきつつも、それを言葉にしてこの空気を壊してしまうのが怖かった。
だから慣れない笑みなど浮かべて、もう一度「聞いてる」と返す。たったそれだけのことでフランスは機嫌を直し、鼻歌を奏でながらチーズをつまむ。
酔っ払いは気持ちの切り替えが早くて助かるとホッとして自分のグラスを指先でなぞっていると、フランスがなにかに気付いたような声をあげた。顔をそちらに向けると、フランスが子どもみたいな表情でイギリスを見ていた。
「なあ、おまえあれやってるじゃん。あれ」
「あれってなんだよ」
「あれだよ、あのブリタニアなんとかーってやつ」
「……ブリタニアエンジェルか?」
「そうそう、それそれ!」
つまんでいたチーズをくちの中に放り込んだフランスは、もぐもぐと咀嚼しながら瞳を輝かせた。
「エンジェルってことはさ、天使なんだろ?」
「そ、それがなんだよ」
「じゃあさ、彼女と俺の恋がうまくいくようになんかしてよ、おまじないってゆーの?」
「おまじないって、おまえ……」
「いいだろ、減るもんでもねーんだし」
ワイングラスを揺らしながらそう言うフランスはひどく楽しげだ。
普段なら絶対にそんなことを言わない男だと知っているだけに、イギリスはすこし困惑した。ロマンチストである以上にリアリストでもある彼が、自分からブリタニアエンジェルのことを持ちだしてしかも『おまじない』だなんて非現実なことをくちにするのは珍しいことだった。
けれどきっと酔っ払いの単純な思いつきで、明日になればこんなこと言った事実すら忘れてしまうだろう。
「んなことより、」
なのでさっさと話を換えてしまおうとしたのだが、フランスはそれを敏感に感じ取ったのか「いやいや」と言葉で遮ってさらに言い募る。
「俺と彼女の恋愛はそんなこと、じゃねーよ。出し惜しみしてないでほら、ほあたってやってくれよー」
ほあたほあたとバカみたいに舌ったらずに騒いでケタケタと笑う。話を逸らしてしまいたかったが、どうやらこの酔っ払いには通用しないようだ。
ひとつ溜息をついて、イギリスはスーツの胸元から星の柄のついたステッキを取り出す。ここで話を無駄に引っ張るより、言う通りにしてさっさと終わらせてしまおう。
「んで、なんだって?」
「俺と彼女が、これからも末ながあく仲良くできますようにって」
「はいは、い」
言われたとおりに行動しかけて、ふと腕が止まる。
フランスとその顔も知らないが美人らしい彼女が、末長く幸せであるように。ブリタニアエンジェルのちからをもってすれば、それくらいの願いならかなえられる自信がある。
けれど末長くてどれくらいだ。人間の寿命が自分たちとは違うと言っても、天寿をまっとうするならばあと八十年は彼女も健在だろう。
八十年、自分は恋人のいる彼を見続けるのだろうか。たったひとりを懸命に愛し続ける彼を、ずっと隣で。しかもたとえ彼女が老いて死んでしまったとしても、気持ちはすぐに切り替わらない。短くて百年、長くてその倍の時間を、見たこともないその女性がフランスの心の中を独占する。
それを許せるのか。フランスが短いスタンスで何人も女性や、ときには男性を恋人にすることは気にせずにいれても、たったひとりの相手を想い続ける彼を隣で見ていられるのか。
無理だ、と瞬時に判断する。
まず初めに表情が変わる。毎日楽しくてしょうがない、一日一日が充実してるという風に瞳がきらきらと輝くのだ。
そして次に、髪に艶がでる。肌の状態も良くなり、血行もよくなる。いつも身なりには気を使っている男だが、そんな普段以上に身なりが整い、イギリスからしたら毎日ファッションショーにでも出る気かと思うほど気合いが入りだす。
そして携帯電話を触っている時間が増える。締りのない表情でメールを打ち、もっと締りのない顔で通話をするのだ、しかも頻繁に。
極めつけにフランスは、恋人ができたことを隠さない。女性でも男性でも、とにかく恋人ができれば話の隙間を見つけては惚気を繰り返すのだ。
フランスと付き合いの長いスペインやプロイセンは「あーあ、またか」という顔をしながらも、辛抱強くフランスの気が済むまで聞いてやっているようだった。
けれどイギリスにそんなサービスはない。酒の席で恋人の話をされればうんざりするし、会議の休憩中にでれでれとした顔で恋人の可愛いところを聞かされるのも辟易する。
嫌なら聞かなければいいのだと、自分でもわかっている。
あれでも一応フランスも大人なので、会議の休憩にイギリスが席を立てば追いかけてくることもないだろう。酒を飲む席にも誘わなければいいのだ。恋人がいるフランスが、イギリスを無理に誘うこともない。
それでも「そんな話興味ない」とか「おまえのことなんて聞いてない」なんて言えない理由があった。
もう数えきれないほど昔から、このどうしようもないフランス男が好きなのだ。
どうしてこの男なのだろうと、それはもう何千回も考えた。
絶対に自分のことを好きにならないヤツだ。早くあきらめて、他に誰か見つけた方がいい。どこのだれでも、フランスよりは望みがあるといえるだろう。
なのにフランスの顔を見てしまうとそんな考えもどこかに吹き飛んでしまうのだ。そして何度も何度も好きなのだと実感する。
それを何百回と繰り返して、いつしかイギリスはあきらめることを『あきらめる』ということを覚えた。毒を食らわば皿までだ。
だから最近ではどんなにうっとおしいと思っても、嫉妬で狂いそうになってフランスの頭をワインボトルで殴りたくなっても、フランスの話に付き合うと決めた。
イギリスがおとなしく彼の惚気話を聞くと、フランスも気持ちが良いものらしい。いままでにはない確率で会議のあとの酒に誘われるようになったのもそのころからだ。
嬉しさ半分、虚しさ半分のフランスとの飲みにも慣れた。
へらへら笑いながら自分の彼女がいかに美しくて聡明かをつらつらと語る、その唇をじっと見つめる。とくに意味はないが、酒に濡れててらてらと光るそれがやけに眼に入ったのだ。
フランスの自慢話を聞き流しながら、その女性と彼はもうキスしたのだろうかと考える。
子どもではないのだし、フランスも相手も良い大人だ。きっとキスだけじゃなく、それ以上も済んでいるだろうとすぐに思い至る。
彼はどんなふうに彼女にキスしたのだろう。どんな場所で、どんな言葉をかけて、それに彼女はなんと答えたのだろう。酒が入っているせいか妄想はどんどん広がり、いつしか脳内のふたりはフランスとイギリスの姿に変わった。
けれどバカバカしくなってすぐにそんな想像もくしゃくしゃに握りつぶした。絶対に現実にならない想像をしても、虚しさに拍車をかけるだけだ。
「おーい、なんだよイギリスゥ、聞いてるのかよ」
「あ、ああ。聞いてる聞いてる」
「ほんとかあ? そうは見えなかったけどなあ」
やたら高級そうなワイングラスを傾けてフランスはぼやぼやと呟く。責めるような口調ではないが、話を聞いていないイギリスの態度に拗ねてしまったようだ。
どんな気持ちで人が聞いているのか知りもしないでと心の中で悪態をつきつつも、それを言葉にしてこの空気を壊してしまうのが怖かった。
だから慣れない笑みなど浮かべて、もう一度「聞いてる」と返す。たったそれだけのことでフランスは機嫌を直し、鼻歌を奏でながらチーズをつまむ。
酔っ払いは気持ちの切り替えが早くて助かるとホッとして自分のグラスを指先でなぞっていると、フランスがなにかに気付いたような声をあげた。顔をそちらに向けると、フランスが子どもみたいな表情でイギリスを見ていた。
「なあ、おまえあれやってるじゃん。あれ」
「あれってなんだよ」
「あれだよ、あのブリタニアなんとかーってやつ」
「……ブリタニアエンジェルか?」
「そうそう、それそれ!」
つまんでいたチーズをくちの中に放り込んだフランスは、もぐもぐと咀嚼しながら瞳を輝かせた。
「エンジェルってことはさ、天使なんだろ?」
「そ、それがなんだよ」
「じゃあさ、彼女と俺の恋がうまくいくようになんかしてよ、おまじないってゆーの?」
「おまじないって、おまえ……」
「いいだろ、減るもんでもねーんだし」
ワイングラスを揺らしながらそう言うフランスはひどく楽しげだ。
普段なら絶対にそんなことを言わない男だと知っているだけに、イギリスはすこし困惑した。ロマンチストである以上にリアリストでもある彼が、自分からブリタニアエンジェルのことを持ちだしてしかも『おまじない』だなんて非現実なことをくちにするのは珍しいことだった。
けれどきっと酔っ払いの単純な思いつきで、明日になればこんなこと言った事実すら忘れてしまうだろう。
「んなことより、」
なのでさっさと話を換えてしまおうとしたのだが、フランスはそれを敏感に感じ取ったのか「いやいや」と言葉で遮ってさらに言い募る。
「俺と彼女の恋愛はそんなこと、じゃねーよ。出し惜しみしてないでほら、ほあたってやってくれよー」
ほあたほあたとバカみたいに舌ったらずに騒いでケタケタと笑う。話を逸らしてしまいたかったが、どうやらこの酔っ払いには通用しないようだ。
ひとつ溜息をついて、イギリスはスーツの胸元から星の柄のついたステッキを取り出す。ここで話を無駄に引っ張るより、言う通りにしてさっさと終わらせてしまおう。
「んで、なんだって?」
「俺と彼女が、これからも末ながあく仲良くできますようにって」
「はいは、い」
言われたとおりに行動しかけて、ふと腕が止まる。
フランスとその顔も知らないが美人らしい彼女が、末長く幸せであるように。ブリタニアエンジェルのちからをもってすれば、それくらいの願いならかなえられる自信がある。
けれど末長くてどれくらいだ。人間の寿命が自分たちとは違うと言っても、天寿をまっとうするならばあと八十年は彼女も健在だろう。
八十年、自分は恋人のいる彼を見続けるのだろうか。たったひとりを懸命に愛し続ける彼を、ずっと隣で。しかもたとえ彼女が老いて死んでしまったとしても、気持ちはすぐに切り替わらない。短くて百年、長くてその倍の時間を、見たこともないその女性がフランスの心の中を独占する。
それを許せるのか。フランスが短いスタンスで何人も女性や、ときには男性を恋人にすることは気にせずにいれても、たったひとりの相手を想い続ける彼を隣で見ていられるのか。
無理だ、と瞬時に判断する。