運命論
「だって、三蔵とお前じゃ寿命がちがうっしょ?」
ふと聞こえてきた悟浄の声に伏せていた顔をあげる。
一番に視界に飛び込んできたのはふんぞり返って煙草の煙を吐き出している悟浄の姿だった。次に、確認するような気持ちで視線を左に流し、悟空を見る。
悟浄の右隣、八戒の左隣に座ってケーキをつついていた彼は、言葉が理解できなかったように、あからさまに驚いた顔をして悟浄を見ていた。
「えっ?」
悟浄の言葉からかなり時間をあけて、悟空が反応した。それでもやはり意味までは理解できなかったのだろう。やけに弱々しい声でつぶやいたきり複雑そうに表情を歪めて黙り込んでしまった。
ふと落ちた静寂。そのあいだを縫うように、悟浄の煙を吐き出す細く長い息遣いが響く。
これは話題を変えたほうがいいかもしれない。そう八戒が思うより数瞬早く、悟空がまたポツリとつぶやいた。
「それ、ほんと?」
「ああ、ほんとだぜ」
「また俺のことからかってるとかじゃなく?」
「ちげーよ。これは、マジだ」
何度か確認して、それでも嘘ではないと言い張る悟浄の姿にやっと納得したのか悟空が一度だけ頷く。そしてツイッと、悟空の瞳がこちらに流れた。
「八戒、ほんとなのか?」
最後の確認作業なのだろう。悟空のなかで己が嘘をつかない人間として認知されているからこそ、八戒が頷けば自分もそれを信じるという瞳をまっすぐに向けられる。
嘘をつくことは、簡単だろう。
ここで己が首を横に振れば、悟空はやっぱりという顔をして八戒のいうことを無条件で信じる。そして悟浄に嘘つきと拗ねたように呟くのだ。
たとえ八戒が嘘をついたとしても。
けれど。
「妖怪の寿命がどれほどのモノかは解りませんが、おそらく、三蔵よりは長いと思います」
「俺は三蔵より長生きってこと?」
「…そう、なりますね」
「そっか」
その意味を噛み砕くように黙り込み、悟空はふと小さく笑う。
「じゃあ、三蔵の方が先に死んじゃうのか」
笑う、という表現はおかしいのかもしれない。
安堵したような顔というべきか、なにかを懐かしむような顔というべきか、ひどく曖昧な表情だった。
そのやけに大人びた顔に、思わず言葉を失う。反射的にみた悟浄も同じような顔をして、困ったように八戒を見ていた。
気まずい沈黙。それをかき消すような絶妙なタイミングで、三人がいる部屋の扉が開く。現れた人物をみて八戒は内心安堵の息をついた。
その空気を敏感に感じ取ったのか、扉を閉めた三蔵が不思議そうに眉をひそめた。けれどそれもほんの一瞬のことで、すぐに何事もなかったかのような無表情に戻り、悟空の向かいの席に腰を落として新聞を開いて煙草に火をつける。
「仕事、終わったんですか?」
「……ああ」
天の助けとばかりに話題を振ってみるが、返ってきたのはそっけない一言だけだった。あきらかに自分の人選ミスだ。三蔵相手じゃ話題の変更にもなりはしない。
それならば悟空に食べ物の話でも振った方が早いだろう。気を改めて口を開こうとしたとき、それよりも少し早く、悟空が口を開いてしまった。
「なあ、三蔵」
「……なんだ」
カサリッ、と新聞をめくる小さな音が響く。まったく悟空のことなど見もしないで、三蔵がそっけなく呟いた。
慣れているのかそれを気にするような様子もなく、悟空は真っ直ぐに三蔵を見つめて先を続けた。
「三蔵って死ぬの?」
今度はピタリと三蔵の手も止まった。けれどすぐに言葉の意味を理解して、また何事もないかのように新聞に目を通しはじめる。
「生きてるからな。いつか死ぬだろうさ」
「そうじゃなくて、いつかじゃなくて……」
「今すぐ死ねって言いてーのか?」
「そ、そんなわけないだろ」
心外だとばかりに叫び、すぐに唸りだす。自分の聞きたいことが上手く言葉にできなくて歯痒いのだろう。
その姿を横目でチラリと見た三蔵があからさまに嫌そうな溜め息をついたあと、パンッと音をたてて新聞を閉じる。疲れを感じさせる動作で眼鏡を外し、それと新聞を机の上に置いてから煙草の箱に手をかけた。
「なんだ、いいたいことがあるなら聞いてやる」
「う……、うん、と」
言葉を捜すように一度俯いてから、悟空はなにかを決意したような固い表情で顔をあげた。
「俺って、三蔵より、長生き?」
「さあな、知らねぇよ。お前がいつ死ぬのかなんて」
「そ、そういうことじゃなくて」
「じゃあどういうことだ」
「それじゃあ、三蔵は俺より長生きするの?」
「……自分の寿命がどれくらいかなんて知らねえよ」
「そ、そういうことが、言いたいんじゃ……」
眉を寄せて口ごもる悟空を無表情で見つめていた三蔵が、はぁ、と大きく溜め息をついた。そんな三蔵の態度に、従順なほど顕著に悟空がビクリと身をすくめる。
「……茶、」
「え?」
「のどが渇いた。……淹れてこい」
「う、うん」
あわてて立ち上がり、悟空は給油室に走って行った。その後姿を見やり、完全に扉が閉まったのを確認してから目の前で煙草をふかしている悟浄に呆れたように言ってやる。
「意地が悪いですよ、悟浄」
小さな声だったけれど彼は正確にそれを拾ったようで、煙草に火をつける横顔がニッと笑う。
「なんで」
「なんでって……」
対象が三蔵のことになると悟空がやけに神経質になると知っていてあんなことを言ったのだから、意地悪だというのだ。
けれど彼はそんな八戒の言葉などモノともせず、悪びれなく呟いた。
「けど俺は、教えてやることも優しさだと思うわけよ」
「それは……、そうかも、しれないですが」
現に自分も、嘘をつける瞬間を見過ごした。身に覚えがないわけではないが、やはりそれにしても無責任だと思う。
「けどま、どっかのお坊さんは最後まではぐらかしたみたいだけど?」
「……」
「嘘つくことが優しさって? 泣かせるねー、お父さん」
「黙れ」
不機嫌そうに呟く三蔵とニヤニヤ笑いっぱなしの悟浄を順に見て、自分はこの場を離れることにした。いらぬ争いに巻き込まれるつもりはない。
決めてしまえばあとは行動に移すのみだ。さっさと席を立ち、四人分の飲み物を用意している悟空に手をかすべく、給湯室へと向かった。
「悟空、手伝います」
「あ、八戒。大丈夫だよ、あとはお湯が沸くの待つだけだから」
後ろから声をかけつつ給湯室の扉を閉める。こちらを向いていつものように笑う悟空に笑顔を返し、コンロの前で湯が沸くのを待っていた悟空の隣にならんだ。
カタカタと火にさらされたやかんが小さく音をたてる。そこにポツリと、小さな悟空の呟きが落ちた。
「一緒に、死ねたら。……それだけで俺は幸せなのに」
結局、優しい真実も彼を思ってつく嘘も、同じように彼を傷つけるだけだという。
たったそれだけの話。
『痛いなら痛いって言ってよ、わからないでしょう』titleby subtle titles
ふと聞こえてきた悟浄の声に伏せていた顔をあげる。
一番に視界に飛び込んできたのはふんぞり返って煙草の煙を吐き出している悟浄の姿だった。次に、確認するような気持ちで視線を左に流し、悟空を見る。
悟浄の右隣、八戒の左隣に座ってケーキをつついていた彼は、言葉が理解できなかったように、あからさまに驚いた顔をして悟浄を見ていた。
「えっ?」
悟浄の言葉からかなり時間をあけて、悟空が反応した。それでもやはり意味までは理解できなかったのだろう。やけに弱々しい声でつぶやいたきり複雑そうに表情を歪めて黙り込んでしまった。
ふと落ちた静寂。そのあいだを縫うように、悟浄の煙を吐き出す細く長い息遣いが響く。
これは話題を変えたほうがいいかもしれない。そう八戒が思うより数瞬早く、悟空がまたポツリとつぶやいた。
「それ、ほんと?」
「ああ、ほんとだぜ」
「また俺のことからかってるとかじゃなく?」
「ちげーよ。これは、マジだ」
何度か確認して、それでも嘘ではないと言い張る悟浄の姿にやっと納得したのか悟空が一度だけ頷く。そしてツイッと、悟空の瞳がこちらに流れた。
「八戒、ほんとなのか?」
最後の確認作業なのだろう。悟空のなかで己が嘘をつかない人間として認知されているからこそ、八戒が頷けば自分もそれを信じるという瞳をまっすぐに向けられる。
嘘をつくことは、簡単だろう。
ここで己が首を横に振れば、悟空はやっぱりという顔をして八戒のいうことを無条件で信じる。そして悟浄に嘘つきと拗ねたように呟くのだ。
たとえ八戒が嘘をついたとしても。
けれど。
「妖怪の寿命がどれほどのモノかは解りませんが、おそらく、三蔵よりは長いと思います」
「俺は三蔵より長生きってこと?」
「…そう、なりますね」
「そっか」
その意味を噛み砕くように黙り込み、悟空はふと小さく笑う。
「じゃあ、三蔵の方が先に死んじゃうのか」
笑う、という表現はおかしいのかもしれない。
安堵したような顔というべきか、なにかを懐かしむような顔というべきか、ひどく曖昧な表情だった。
そのやけに大人びた顔に、思わず言葉を失う。反射的にみた悟浄も同じような顔をして、困ったように八戒を見ていた。
気まずい沈黙。それをかき消すような絶妙なタイミングで、三人がいる部屋の扉が開く。現れた人物をみて八戒は内心安堵の息をついた。
その空気を敏感に感じ取ったのか、扉を閉めた三蔵が不思議そうに眉をひそめた。けれどそれもほんの一瞬のことで、すぐに何事もなかったかのような無表情に戻り、悟空の向かいの席に腰を落として新聞を開いて煙草に火をつける。
「仕事、終わったんですか?」
「……ああ」
天の助けとばかりに話題を振ってみるが、返ってきたのはそっけない一言だけだった。あきらかに自分の人選ミスだ。三蔵相手じゃ話題の変更にもなりはしない。
それならば悟空に食べ物の話でも振った方が早いだろう。気を改めて口を開こうとしたとき、それよりも少し早く、悟空が口を開いてしまった。
「なあ、三蔵」
「……なんだ」
カサリッ、と新聞をめくる小さな音が響く。まったく悟空のことなど見もしないで、三蔵がそっけなく呟いた。
慣れているのかそれを気にするような様子もなく、悟空は真っ直ぐに三蔵を見つめて先を続けた。
「三蔵って死ぬの?」
今度はピタリと三蔵の手も止まった。けれどすぐに言葉の意味を理解して、また何事もないかのように新聞に目を通しはじめる。
「生きてるからな。いつか死ぬだろうさ」
「そうじゃなくて、いつかじゃなくて……」
「今すぐ死ねって言いてーのか?」
「そ、そんなわけないだろ」
心外だとばかりに叫び、すぐに唸りだす。自分の聞きたいことが上手く言葉にできなくて歯痒いのだろう。
その姿を横目でチラリと見た三蔵があからさまに嫌そうな溜め息をついたあと、パンッと音をたてて新聞を閉じる。疲れを感じさせる動作で眼鏡を外し、それと新聞を机の上に置いてから煙草の箱に手をかけた。
「なんだ、いいたいことがあるなら聞いてやる」
「う……、うん、と」
言葉を捜すように一度俯いてから、悟空はなにかを決意したような固い表情で顔をあげた。
「俺って、三蔵より、長生き?」
「さあな、知らねぇよ。お前がいつ死ぬのかなんて」
「そ、そういうことじゃなくて」
「じゃあどういうことだ」
「それじゃあ、三蔵は俺より長生きするの?」
「……自分の寿命がどれくらいかなんて知らねえよ」
「そ、そういうことが、言いたいんじゃ……」
眉を寄せて口ごもる悟空を無表情で見つめていた三蔵が、はぁ、と大きく溜め息をついた。そんな三蔵の態度に、従順なほど顕著に悟空がビクリと身をすくめる。
「……茶、」
「え?」
「のどが渇いた。……淹れてこい」
「う、うん」
あわてて立ち上がり、悟空は給油室に走って行った。その後姿を見やり、完全に扉が閉まったのを確認してから目の前で煙草をふかしている悟浄に呆れたように言ってやる。
「意地が悪いですよ、悟浄」
小さな声だったけれど彼は正確にそれを拾ったようで、煙草に火をつける横顔がニッと笑う。
「なんで」
「なんでって……」
対象が三蔵のことになると悟空がやけに神経質になると知っていてあんなことを言ったのだから、意地悪だというのだ。
けれど彼はそんな八戒の言葉などモノともせず、悪びれなく呟いた。
「けど俺は、教えてやることも優しさだと思うわけよ」
「それは……、そうかも、しれないですが」
現に自分も、嘘をつける瞬間を見過ごした。身に覚えがないわけではないが、やはりそれにしても無責任だと思う。
「けどま、どっかのお坊さんは最後まではぐらかしたみたいだけど?」
「……」
「嘘つくことが優しさって? 泣かせるねー、お父さん」
「黙れ」
不機嫌そうに呟く三蔵とニヤニヤ笑いっぱなしの悟浄を順に見て、自分はこの場を離れることにした。いらぬ争いに巻き込まれるつもりはない。
決めてしまえばあとは行動に移すのみだ。さっさと席を立ち、四人分の飲み物を用意している悟空に手をかすべく、給湯室へと向かった。
「悟空、手伝います」
「あ、八戒。大丈夫だよ、あとはお湯が沸くの待つだけだから」
後ろから声をかけつつ給湯室の扉を閉める。こちらを向いていつものように笑う悟空に笑顔を返し、コンロの前で湯が沸くのを待っていた悟空の隣にならんだ。
カタカタと火にさらされたやかんが小さく音をたてる。そこにポツリと、小さな悟空の呟きが落ちた。
「一緒に、死ねたら。……それだけで俺は幸せなのに」
結局、優しい真実も彼を思ってつく嘘も、同じように彼を傷つけるだけだという。
たったそれだけの話。
『痛いなら痛いって言ってよ、わからないでしょう』titleby subtle titles