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運命論

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「お前ら、責任をとれ」
 天気の良い昼下がり、悟浄宅を訪れた三蔵が玄関の扉を開け放ちながら言ったその一言に、当然のように二人の妖怪は凍りついた。
 
 
 
 
 沈黙すること三十秒。ダイニングテーブルの上にコーヒーの入ったカップが落ちる音に反応して、先に我に返ったのは八戒だった。
 音のした方へと視線を向け、まだ固まったままの悟浄とテーブルの上に広がったコーヒーの海を一瞥して眉をひそめたあと、いつもの食えない笑みを浮かべながら困ったように首をかしげた。
「…とりあえず、中に入ってください、三蔵。詳しく話をしていただかないと、事情が飲み込めません」
 まあ、八戒の意見は最もだろう。
 コーヒーでも用意しますから座ってくださいという八戒の言葉に促されるままに室内に入り、すっかり自分の席として定着しはじめた椅子へと腰を落とす。と、やっと驚きから解放されたらしい悟浄が、倒れたカップを助け起こしながらぼんやりと呟く。
「なに、三蔵様。……妊娠でもしたか」
 そのセリフに、ふっと横顔だけで笑って見せた。だがあまりにも面白くない冗談だ。ひどく気分を害したので袂に隠してある拳銃に手を伸ばす。
「……死ね」
「じょ、冗談だろッ! マジになんなよ!」
 慌てたように両手で頭をカバーしながら悟浄が叫んだ。もともと撃つ気などなかったので、あっさりと拳銃を探っていた手を止めると、今度は鬼畜だの生臭だのとブツブツ文句を言い始める。五月蝿いしうっとおしい。
 これは黙らすためにも脳天に風穴を開けてやろうかと本気で考え始めたころ、右手にコーヒー、左手に台拭きを持った八戒がキッチンから帰ってきた。カップを三蔵の前に置き、台拭きを悟浄に渡した彼は静かな動作で椅子に腰掛け、さてと呟きながら話を切り出す。
「で、どういうことです?」
「……このあいだからサルの様子がおかしい」
「……悟空、ですか?」
 まさか悟空のことだとは思いもしなかったのか、八戒と悟浄は同じような顔をして唖然と三蔵を見つめてくる。その視線を受けながら、ゆっくりと頷いて見せた。
「どーいうことよ? っていうか、あの子ザルの様子がおかしいのと俺たちと、どんな関係があるって言うんだ?」
「……お前らがこのあいだ寺院に来ただろ。あの日からだ」
「え?」
「あの日から様子がおかしい」
 思い当たる節があったのか、ふたりは途端に大人しくなって眉をひそめる。その態度に、三蔵はやはりコイツらが原因かと苦々しい気持ちを噛み砕いて、重い溜め息をついた。
 
 
 悟空はもともと、臆病なところがある子供だった。
 拾ってきた当初は片時も三蔵の傍を離れようとはせず、ひどく手を焼いたものだ。しかも悟空は他の誰がいなくなろうと平然とした顔で見過ごすクセに、相手が三蔵となればちょっと姿が見えなくなっただけで表情をこわばらせ、世界の終わりのような顔をして後を追いかけてきた。
 けれどまあ、途方もなく長い時間を、たったひとりで過ごしたのだからそれも仕方ないことだろう。しかもそこから連れ出したのが三蔵だったのだから、彼が異様なまでに自分に懐くことも不思議ではない。
 バカで短絡思考だから傷つかないわけではないのだ。三蔵が傍にいないと怖いというのなら、拾ってきた手前、冷たく突き放すこともしなかった。
 それも最近はすっかり落ち着いていたというのに、あの日以来、また悟空は三蔵の傍を離れようとしないのだ。
「なにかアイツに言ったのか」
 もう考えられるのは、あの日、悟空が三蔵におかしなことを聞いてきたアレが原因としか思えない。
 その結論はやはり正しかったようで、八戒と悟浄は神妙なほど表情を硬くし、背筋を正して椅子に座りなおした。
「あー……、アレか、俺が言ったアレが原因かもしれねぇ」
「なにを言ったんだ」
「『三蔵は悟空よりも先に死ぬ』と言ったんですよ、悟浄は」
 だから言ったのに、というようなあからさまな怒りを言葉の中に織り交ぜて八戒が呟けば、悟浄は大きな溜め息と共に頭を抱えた。
「ちーっと、子ザルには早すぎたかぁ」
「馬鹿が」
「ほんと、馬鹿ですよ」
 二人同時に責められ悟浄が怯えたように肩をすくめる。それを横目で一瞥し、ふんと鼻であしらうだけにとどめた。見るからに反省して自分の言ったことに後悔している彼をなじっても仕方のないことだろう。
 それよりも、問題はそこではない。
「で、責任をとれ、とはどういう意味ですか? 三蔵」
「あのとき言ったことは嘘だって言えばいいのか?」
「いや、そうじゃねぇよ」
 今さら悟浄があれは嘘だと取り繕っても、無意味だということは解りきっている。悟空はバカだが、愚かではない。きっと、悟浄の言葉が嘘ではないことを知っているのはずだ。
「じゃあどうすりゃいいんだ」
「……明日から一週間、ここでアイツを預かってくれ」
「は?」
 それは構いませんけど……、と八戒が呟くその瞬間を待っていたかのようなタイミングで、玄関の扉が破滅音を響かせながら開いた。
 誰が現れたのかは見なくてもわかった。悟空だ。
「さ、三蔵ッ! いたッ!」
「……ちゃんと書置きしておいただろ、ここに来てると」
「起こしてくれればいいじゃんかッ!」
 どうやら昼寝から目覚めてすぐに書置きを発見し、ここまで直行してきたらしい。寝癖のついた髪と寝崩れた服をそのままに悟空は泣き出しそうな顔で息を乱していた。
 やはり、重症だ。
 拾った当初ならまだしも、ここ最近でここまで彼の後追いがひどいときはなかった。
 はあ、と溜め息をつきながら立ち上がる。椅子に座っていた二人はつられるように三蔵を見上げ、もう帰るのか聞いてきた。もともと長居をするつもりはなかったので、それに頷いて答えてから玄関に向かって歩き出す。
「明日、また連れてくる」
「……はい」
「はいよー」
 ひらりと手を振る二人を一瞥し、悟空に帰るぞと短く告げて外にでた。後ろを着いてこようとした悟空を、悟浄が引き止める。
「悟空、」
「……ん?」
「なにがそんなに怖いんだよ」
 どこまでも冗談ぽく呟かれた確信をつく一言に、悟空はひそりと笑うだけだった。


『ふと目を離したらそれだけであなたは居なくなりそうに思えて』titleby subtle titles


作品名:運命論 作家名:ことは