遠距離物語
朝目を覚まし、少し緊張しながら電源をつけるとそこには予想に反してなんのメッセージもなかった。俺は携帯を置き、部屋にあるパソコンをつけてメールをチェックする。けれど、そこにも広告以外のメールは何一つなかった。
重たい鈍器でガツンと頭を殴られた気分だ。
俺はのそのそと学校に行く仕度を始める。顔を洗って、服を着替えて、ご飯を食べて。部屋に置いてあった携帯はその間もウンともスンとも言わない。
どうやら俺は景吾に対して自惚れていたらしい。だって、あいつは俺がアメリカに行くときには引き止めてくれて、最高のダブルスパートナーで、対等な友達だって俺を認めてくれて……だから俺は景吾にとって自分が特別なんだって思ってたんだ。
なんで許してくれるなんて簡単に考えてたんだろう。景吾から連絡を取ってくれるなんて甘えてたんだろう。いくら友達だからって怒らないわけないのに、距離を取ろうって思う可能性も十分あるのに。
かっこ悪い自分に涙が出そうになった。
その日は一日集中力の欠ける日だった。勉強もテニスも、出来ることが出来なかったり、ボーっとして怒られたり散々だ。俺はテニスの練習を早々に切り上げて、家で大人しくしていることにした。連絡はいまだこない。
家に帰ってからも何もする気が起きなくて、自室のベッドに座る。景吾に電話をしようと思ったが、この時間じゃまだ日本は朝にもなっていない。そこで俺はようやく昨日の電話は景吾がわざわざ早起きをして電話してくれたのだと気づく。
「……ホントに」
跡部景吾という男は自分の懐に入れた人間に対して甘い。それを知っていた俺は無意識のうちに胡坐をかいて接してたのだろう。また朝のように泣いてしまいそうになった俺は慌ててパソコンのスイッチを入れる。
電話が出来ないのであれば、せめてメールを送ろう。グッスリ寝ているであろう景吾を起こすのは忍びないからパソコンのメールへ。もし、連絡が返ってこなくてもそれは仕方がないことだ。景吾に許してもらえるまできちんと謝ろう。それが俺にできる精一杯の誠意だと思った。
一文一文言葉を考えて打つと時間はかなりかかる。俺が30分ほどパソコンに向っていると昨日のように携帯が鳴り出した。景吾かと一瞬期待をしたが、昨日の今日でそれはないだろうと打ち消す。携帯を開けば、案の定違う電話番号だった。
『 090 - ○○□▲ - △□○□ 』
誰だ、これ。登録されてない電話番号に不信感を持つ。
間違え電話か、はたまたイタズラか。俺は少し遅れて電話を取った。
「Hello」
『ほう、お前もこっちではきちんと英語で答えるんだな』
てっきり英語が聞こえてくると思ったのに、電話から聞こえるのは何故か聞き覚えのエラそうな日本語。
どうして?
怒ってたんじゃないのか?
この番号は何?
疑問が頭を駆け巡って、言葉がなかなか出てこない。
「……けいご?」
『今、家か?』
「あ、ああ」
『なら、今すぐ外に出ろ』
その言葉に弾かれたように俺はダッシュで飛び出した。
まさか、ここにいるのか?
その口ぶりじゃ、どこかの映画や小説にあるように扉を開けたらあの自信満々な笑顔があるようじゃないか。そんな気障っぽくて恥ずかしいことも景吾だったら難なくこなしそうな気がした。
俺は勢いよく玄関の扉を開ける。
けれど、そこには誰の姿もなかった。
「……なんだよ、それ」
からかわれたのか。景吾は意地が悪い。
俺が怒れるような立場ではないけれど、意地悪だ。ひどい。期待したじゃないか、喜んでしまったじゃないか。
「……くそ、バカけいご」
もう途切れているだろう電話に向って罵る。涙声だろうが、知ったことか。
『誰が、バカだ。あーん?』
返って来る声に驚いて、耳に携帯を当てる。電話の向こうには景吾がまだ待っていた。
『おい、人の悪口を言ってる暇があったらさっさと外に出ろ』
「は!? もう出てる!」
『出てる……? お前、出てきてないぞ』
不振そうな声に俺も首を傾げる。だって、その口ぶりじゃ、やっぱり景吾はこっちにいて家の外で待っているみたいじゃないか。俺はかすかな期待を胸にゆっくりと家の前の通りに出た。そして左右を見渡す。
数十メートル先、俺の家から3件隣にある家の前に景吾は一人で立っていた。じっと玄関を見ているけれど、そこの家は俺の家じゃないんだから絶対に俺は出てこない。
「ばか景吾。その家は余所の家だ」
『あ?』
俺は携帯を離して腕を振り、全速力で景吾の元へと走る。バタバタとした音で景吾がこっちに気づくが俺はそのままの勢いで景吾に抱きついた。油断していたらしい景吾はあっさりと俺の体重に負ける。
「なにしやがるッ!」
「カッコつけるならきちんとカッコつけろ!」
景吾の上に圧し掛かる俺に怒鳴ってくるが、俺の反論にグウの音も出ないらしい。苦虫を噛み潰したような表情で俺から視線を外している。景吾は心底カッコつけたがりだから、自分の失態が恥ずかしくて仕方がないんだ。
そんな景吾がとても可愛いと思った。
「……おい、武蔵?」
景吾に顔を見られないよう俯いて、俺は景吾の体を思いっきり抱きしめた。
無理矢理剥がそうとしないあたり、きっと景吾はこの状況に困っているんだと思う。けれど、しばらくすると頭の上をゆっくり撫でられ、もう一本の腕で体を支えられた。
「お前の我侭くらい俺は聞けるんだよ」
「うん」
「出来ないことはしない。出来るか出来ないかは俺が決める。だが、お前に会いに来ることは俺様にとってはなんの支障もないことだ」
「いつでも?」
「馬鹿か。来れるときは、に決まってるだろうが。……だけどな、お前が会いたいって言うなら考えてやるよ」
時間を調整して会いに来てやる。
景吾のその言葉が嬉しくて、俺はさらに景吾の体を抱きしめた。
END