白い丘
終章 白い丘
打ち続く破壊の音。
微かな雨。
雨、海底神殿に降る雨は、海水。
天を支える柱が敗られ、天が崩れて雨になる。
牢の中で、カミュは静かに微笑した。
それは先刻、十二宮で自分と生死を分ける戦いをした弟子のコスモを、遠くながらもその海底神殿に感じたからだった。
───生きて、また戦っているか、氷河よ。
───信じるもののために…。
聖闘士は勝つ。
七つの天を支える柱を打ち、アテナの閉じ込められたメイン・ブレドヴィナを打ち。
アテナを救い、地上を救うだろう。
そして、この神殿の崩壊と共に、自分のかりそめの生も、終止符が打てる。
『お前が生きられるのは私の力の及ぶ世界の中だけだ。私に従え…』
ポセイドンは言った。
まだ、神になりきれぬ寂しい少年の心。
少年の心には従ってやれたかも知れぬ、しかし、そこに宿る神の意志には従えない。
人程も、無いかも知れない、自分の愛するという心。
この心を、自分は誰から貰ったのだろう?
父か、母か?
友か?
誰でも無い、ただ人から…。
名も忘れた人から。
───暖かい手と、優しい胸から渡されたのかもしれない。
雪を舞わす。羽根のように…。
そう、翼をもって、ここから飛び立てたらどんなに良いだろう。
ここは、空気が重すぎる。
───肉体と魂を、つなぐ空気が重すぎる。
* * *
ゴォゴォーオォォォ。オォォォー。
ヨルムンガンドの唸り。
小枝のように折れる、神殿の列柱。
支える柱をなくし、天は割れ崩れ落ち、地を打つ。
───勝ったな、ヨルムンガンド。
それは一度、あの北の海で勝った戦いだったが、カミュは知らなかった…。
ガラガラとのたうち、苦しげに崩壊して行く。
ヨルムンガンドの、断末魔。
「先生!」
「アイザック」
海水の流れ込む牢を破ったのは、クラーケンの海闘士。
額に血を流し、砕けひびの入った鱗衣。
「……氷河は、強くなった」
一つの瞳は、満足げに笑う。
「行きましょう、先生」
「アイザック?」
「神殿は崩壊している、あなたが逃げても、もう誰も…」
揺らめく体を支えてくれたのは、師だった。
「…私はいい、逃げろアイザック」
「いいえ、地上へお送りします」
昔のままに、教え子の瞳は輝いて自分を見る。
「クラーケンは、正しい人間を海に引き込んだりはしないのです」
「ああ」
ほほ笑んで、カミュの体が揺らぐ。
「では、出来るだけ早く、地上へ運んでくれるか? 私も、この神殿と同じように長くは無いのだよ」
「はい…」
小さく頷き、アイザックは師の体を抱き上げる。
「出来るだけ、早く…。先生を聖域へ…」
「ああ」
* * *
森を越えた。
海を越えた。
白い丘を越え、白い氷の大地を越えた。
アテナの呼ぶ声のまま。
人を愛さずにはいられない、人の心を持って。
地を蹴り、海を割り。
友よ、北の地は平和であるか?
海を割り。
友よ、聖域の丘は、光りに溢れているだろう。
* * *
限りないほどに、穏やかな魂よ。
穏やかな、微笑する魂よ。
カミュ…。
また、アテナが呼ぶときまで。
よく眠っているがいい…。
-END-