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「  」と番犬

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「帝人?どうした?」

自分の言葉の何が彼を傷つけた。わからない。混乱がピークに達し、静雄は何も考えられなくなった。ぎりりと拳を握り締める。もう大切な他人を傷つけずにすむと思ったのに。どうして自分はこんな顔しかさせられないのだろう。やるせなさで目の前が滲む。駄目だ。我慢しないといけない。だが、暴走する悲しみと怒りが抑えられない。

「え、ええ?静雄さん!?」

帝人の声にはっとした。変わらず視界は滲んだままだ。だが、暴れているのでも、何かを壊しているわけでもなかった。いつのまにか目に光を取り戻した帝人が、慌てた様子で傍に寄ってくる。心配げに顔をのぞき込まれると、その頬にぽたぽたと透明な雫が落ちた。

「どうして、泣いてるんですか?」

そう言われてようやく彼の顔を濡らす水滴が、自分の目からあふれたものだと気づく。

「なんだこれ?」

「涙ですよ。今、静雄さんは泣いてるんです」

「なんで…?」

「我慢できないときは、普通泣くんです。擦っちゃ駄目です。後で腫れちゃいますよ。無理に止めようとしないで。泣きたいときは泣いていていいんです」

歪む視界を元に戻そうと目元にやった静雄の手をやんわりと掴んで、次から次へと溢れる雫で濡れる精悍な顔を、暖かな手がそっと拭う。大の大人が高校生に宥められている有様は、あまりにも情けない。

「教えてくれ。俺は何を間違えた?」

「えっと、よく意味が…」

「俺のどの言葉がお前を傷つけた?」

「あなたのせいじゃありません。僕が勝手に」

「じゃあ、お前が何を思ったのか教えてくれ」

「僕は…」

揺れる瞳をじっと見つめる。その間もぽろぽろと零れ落ちていく涙を浴びて、ようやく帝人が顔を上げた。

「僕は、非日常が好きなんです」

「ああ」

「こないだの抗争の時、僕が何も考えず始めたことで、たくさんの人を傷つけ、大切なものを失いました。もう僕は、非日常が楽しいだけのものではないことも、面白がっていいものでもないことを知っています。なのに、僕はまだ、非日常を楽しんでいる。そして、その気持ちはどんどん大きくなっていくんです」

この真面目で臆病な少年は、非日常を人以上に楽しむ反面、自分の中で定められたルールや良識を捨てられない。そんな帝人の正論が彼自身を追い詰める。彼を絶望させるのは、傷つけるのは、彼自身だ。

「さっきも、僕は嬉しかった。力を手に入れたと思ったんです。そんな自分にぞっとしました。気持ち悪いでしょう?」

「そんなわけあるか」

自嘲する彼をそっと抱きしめた。力がコントロールできるようになったって、一番守りたいものも守れない。ずっと人との関係を諦めていた静雄には、こういう時になんと言えばいいのかすらわからない。だからせめて、帝人がどんなに自分を責めても、自己嫌悪に沈んでも、孤独感だけは感じさせないように、彼を大切に思っている心が少しでも伝わるように、全部一人で背負うこもうとする小さな身体を抱き込んだ。

「泣けよ」

「泣きません」

「なんでだよ?」

「もう弱いままでいたくないからです」

「泣くのは弱いからか」

今度は静雄が自嘲する。

「い、いえ、静雄さんは、やさしいから、だから僕なんかのために泣いてくれてるんでしょう?静雄さんは弱くなんかないです」

「俺は、別にやさしくねえし、お前は「なんか」じゃないだろ。あんな顔して笑うくらいなら、お前も我慢せずに泣けばいい」

「ありがとうございます。でも、僕は、大切なものを守れるようになるまでは、泣いちゃいけないんです」

そんな今にも泣きそうな顔で笑って見せないでくれ。

「ごめんなさい。心配かけて」

「謝るな。俺が勝手にやってることだろーが。お前を守りたいのに、だからこんなところに連れてきたのに、何もできねえ。心配くらい、させてくれ」

「そんなことないです。僕、こんなに一生懸命に守ってもらったの、初めてです。僕を心配して泣いてくれる人なんて、…静雄さんぐらいです」

そんなこと、あるはずがない。帝人を守るために刀を振るっていた少女もいた。きっと、セルティだって、帝人に何かあったら泣きたいくらいに悲しむだろう。あえてそれを言わないのは、狡いからだ。帝人が静雄だけを頼りに思ってくれるのなら、こんなに嬉しいことはない。

だけど、やはり、いくら暴力がふるえたって、何の役にも立たない。目の前の少年を傷つけているものから助けてやることもできない。何でもしたいのに。初めてセルティの家で会ったとき、少年は何の翳りもない目で見上げてきた。僅かに紅潮した頬で、本当に嬉しそうな笑顔を見せてくれた。もうあの顔は見られないのだろうか。

「静雄さん。傷つかないでください」

「傷ついてるのは、お前だ」

「そう、かもしれません。でも、誤解しないでください。あなたは僕を守ってくれてる。あなたは僕のヒーローなんです。でも、これは、僕自身の問題なんです」

手の静雄の涙でべたべたにして微笑む。だが、それは静雄にとっては何より手酷い拒絶だった。

「俺はお前のものになりたい」

そうすれば、帝人の問題に関わっても許されるだろうか。帝人の何になれば、もっともっと深く彼の中に入りこめるのだろう。家族には決してなれない。親友は、あの行方不明だという幼馴染に既に奪われている。残っている場所は、どこか。

「ああ、そうか。こうすりゃいいのか」

「は?」

突如不穏な響きで漏らされた言葉に、帝人は静雄の腕の中で上ずった声を上げた。






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何度か迷子になりかけましたが、これはヤンデレ静帝です。あと一つくらい続きます。
作品名:「  」と番犬 作家名:川野礼