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Una rosa amarilla

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スペインの頬が目に見えて痩けてきたのは初夏のことだった。空気清浄機の回転する会議室に似つかわしくない、埃のにおいのする段ボール箱を奴は三箱も抱えてやってきた。変に不器用なリズムで扉をノックされ、「開けてぇな」、と言われて扉を開けてやるとあらわれたのはスペインじゃなく、縦に積まれた三箱の段ボール箱そのものだったのだから、一瞬驚いて動きを止めてしまったのも頷ける。その段ボールを抱える汗ばんだ腕、肘までまくられてくたくたになったシャツ、黒い腕時計、かろうじて下の方に足が二本生えているのが見え、その足の履いている黒い革靴が扉をノックしたのだとわかった。そうして上から下までをなめるように見たあと、ようやく俺は段ボールへと向き直り、ビアンヴニュ、スペイン、と間の抜けた声で言うことができたのだった。
「前みえんし、手ふさがっててん、かんにんな」
 スペインはそう言うと、そのままよろよろと室内に踏み込んだ。足取りこそしっかりしているものの、視界が塞がっているせいでスペインの歩みはなんとも頼りなかった。箱の中身はそう重そうなものにも見えなかったけれど、そのせいでかえってバランスが取りにくいらしい。ほとんど気配によってそこに机の存在を感じ取ったらしいスペインは、注意深く箱を下ろして、息つく暇もなく梱包を解く。中からは緑色をしたテープに、銀色の針金、黄色くがさがさした合成樹脂の花びらの群れと名前も分からない工具類が出てきた。行儀よく分別されたそれらを、スペインの指先が新しく選り分けていく。
「内職?」
「せやなぁ」
「今日のお仕事は会議だぜ?」
「ここだと家でやるより捗るんや、なんでかわかる?」
 スペインは、開け放された扉を閉めてそのまま扉に寄りかかっていた俺のほうを見て問いかけた。ようやく段ボールじゃないスペインの顔を見ることができた。スペインの顔を。
 前に会ったのはいつだったか。ずいぶん久しぶりに見るような気もしたし、いまここではじめて出会ったのだとしてもおかしくないような気もした。俺はスペインの謎掛けに対して、『会議が退屈であればあるほど内職に精が出て捗る』『俺がおまえを手伝ってやるから捗る』というふたつの回答を用意し、スペインがそのうち後者のほうを俺の口から引き出したがっていることも分かっていたが、そんな言葉遊びはもうどうでもよかった。
 スペイン。
「それが今日のノルマなの?おにーさん情け深いから一応聞いてあげちゃう」
 笑って言ったのはスペインの顔を見たくなかったからだ。目を細めて笑い、見たくないものをごまかすのは得意だった。
 うっすら見える視界で、スペインが微笑んだらしいのを感じた。
 だめだ。
 目を細めていてもわかった。それくらいスペインの顔は疲れきっていて、だるそうに弛緩しているくせに、どこもかしこも緊張していた。スペインの口が笑顔を形作れば作るほど、その中身がもうどうしようもないくらいからっぽなことを白状していた。その自覚があるのかないのか、笑っている目はぞっとするほど温度がなかった。頬が痩けていた。顔色がよくなかった。長くは見ていられなかった。
 前に会ったのはいつだったか。本当にこいつはこんな顔の奴だったか。
 変わり果ててしまった友人は、俺が作業を手伝う気を起こしたらしいことを喜んで手をひらひらと振ってみせたあと、「まだあと車にふたはこ載せてきてん」、なんてことを悪びれなく言って笑った。


 スペインの作っているのは黄色いばらだった。
 結局会議のあいだスペインは話もそこそこにばらを組み上げ続け、俺は上司に目配せをして夜になるまで造花制作に加わった。黄色いはずの花びらが夕日で赤く見え始めたとき、ようやく俺は単純作業に没頭しているうちにずいぶん時間が過ぎてしまったことに気付いて、スペインの手からばらを引き剥がして空き箱に詰め、渋るスペイン自身も無理矢理車に詰め込んでやった。
 俺はスペインの車を運転してやり、そのあいだもスペインは後部座席で延々と花を作り続けた。暗くてよく見えないと言うスペインのために、車のメンテナンス用の工具箱からライトまで出してきて、うまい角度に取り付けてやった。そのライトと積み上げた段箱のおかげでおにいさんは後続車がよく見えないんだけど。と言うとスペインは、ひとこと、信頼してるでフランス、とぼそりと呟いた。俺はもう何も言えなくなって、ただできるだけ車体を揺らさないように、スペインの手元を狂わせないように、平坦な道を選んで注意深く進んだ。スペインは本当は暗いところで目が利くということを俺は知っていた。だけど、光がないと眠ってしまいそうだったのか、本当に暗くて見えなかったのか、それとも別の理由があったのか俺にはわからない。
 すべりこんだガレージには明かりが灯っていなかった。それどころか、エントランスにも庭にも、スペインの家のどこにも明かりはついていなかった。
 今度は俺が段ボールを運搬してやり、スペインが扉を開けた。
 久々に入ったスペインの家は以前と変わらないところがほとんどだったけれど、たとえば見慣れた靴が何足かなくなっていたり、階段の曲がり角に掛かっていた絵がなくなっていたり、リビングに限っては段ボールと花びらとが散乱してひどいありさまになっていたりした。ベッドルームが見たい、と俺は無性に思ってそう言ったけれど、スペインは
「まだ寝るには早いわぁ」
と言って適当にはぐらかしてしまった。しばらくベッドルームの扉を開けていないのかもしれない。リビングのソファに使い込まれた様子のブランケットを見つけてしまったけれど、見なかったふりをした。目の下に隈を作ったスペインをベッドまで引っ張っていくこともできなくはないけれど、それが誰のためにもならないことを、俺もスペインもよくわかっていた。 
「キッチン借りるな」
 後ろ手に髪をまとめながら、家に着くなり仕事を再開したスペインに向かって言うと、「ええけど、一人分でええで」という答えが返ってきた。いやに明るく作られた声色だった。その、一人、が、誰を指すのか分かってしまい、俺はスペインのその覚悟にすっかり両手を挙げて降参し、感服し、
「……と思ったけど、やっぱ帰る」
 としかもう、言えなかった。

作品名:Una rosa amarilla 作家名:iyd