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Una rosa amarilla

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 もともと食事をしたら大通りまで歩いてタクシーでも捕まえて、そのまま帰るつもりだったけれど、空腹のままスペインの家を出てしまったので、スペインとよく行く家の近くの料理店に寄って一人で食事をとった。ほかの客の誰もが酔っぱらって陽気に騒ぎ、いつものとおりの光景のようだったけれど、そこにスペインだけがいない。
 スペイン。
 俺はスペインのことを考える。薄暗いリビングで黄色いばらに囲まれているスペインのことを思い浮かべる。後ろ手にまとめた髪を後ろ手にまた解きながら、スペインのほうをじっと見ていた。
「死なんよ、ちょっとくらい食わんでも」
 スペインは一瞬だけ(本当の本当に一瞬だ)こちらを向いて、ぐしゃぐしゃに歪んだ顔で笑いながら言った。細めたまぶたの奥には光が届かない。
 無骨な指先にこびりついた白い接着剤が、よくわからないけれどたまらなくセクシーだった。
 ふいに、追加の酒はまだか、と叫ぶ男性の声で意識を引き戻された。
 騒がしい食器類の衝突音や笑い声、足音、手拍子、喉の上下やありふれたため息なんかの音がいっせいに耳に戻ってくる。ひとりでいると、考え事に没頭して音があまり聞こえなくなったり、逆に不必要なまでに何もかもが聞こえるようになったりする。スペインがいれば、スペインの声だけを聞けばいいけれど、やっぱりスペインはここにはいないのだった。
 従業員が慌ただしく通り過ぎていって、オーダーのとおりに酒を通した。
 店内の客も、従業員も、みんな疲れきっていた。身体の奥底にどうしようもない重い疲労のかたまりを抱えて、それでも手を叩いて笑っているのだった。今年のスペインは本当に苦しい、という話には、キャスターの声だったりペーパーの文字だったりで何度も触れていたけれど、直に触れるのはこれがはじめてだった。店を出る若者のがっくりと落ちた肩の角度、酒に潤んだ中年の深い目。視線を持て余しているせいで、表情のすみずみまでをよく見ることができる。何度も目線をぼんやりと漂わせたあと、最終的にはいつも、彼の不在の寂しさに行き着いてしまった。
 運ばれてきたトマト料理を身体におさめて、従業員のレディに笑顔を振りまいて店を出た。大通りまでを一人で歩く。スペインの家とは反対方向だ。
 俺にできることはなんだってしてやりたいけれど、だけど俺たちは国なのだった。俺にはさっき上司に目配せをして苦い顔で遅らせてもらったぶんの仕事が待ち受けているし(たぶん、朝までには片付けないとならないだろう)、事実食事を数回抜かしたところで、国である身体にはそう影響もなかった。睡眠もそうだ。スペインのとった方法は、一見死に向かっているようでいて、もっとも合理的で、貪欲に生きたがっている姿勢でもあった。

 スペインの手の中で形作られる、黄色いばらを思い出す。
 俺にできる最良の手段は、いつかスペインの作ったばらをどこかで見かけたときに、束にして包んでもらって持ち帰り、ベッドルームに飾ることだろう。
 そしてさらにいつか、スペインが俺のベッドルームを使うとき、サイドボードに置かれたばらを見つけて呆れたように脱力して笑ってくれれば、それでいい。見つけてくれないにしても、スペインがリビングを造花じゃなく本当の花で飾るための、ほんの少しの足しにはなるだろう。スペインがあの黄色いばらに関して、苦しいことばかりじゃなく、くだらない、どうでもいい、とるに足らないような楽しさを連想できるようになるのなら、それだけでよかった。

 タクシーはすぐにつかまった。俺はまっすぐに家に帰り、書斎に積まれているだろう書類のたぐいと向き合わないとならない。今日はスペインに付き合って何本ばらを作ったのだろう。すっかり技術を身につけてしまったせいで、車内で目を閉じても瞼のうらで手順が再生されてきて、フランスに着くまでちっとも眠れなかった。
 書類をちぎって花びらにすれば白いばらの花束ができるだろうなあ。
 それはスペインを楽しませることのできるアイデアに違いないと思った。けれど間違いなく上司を怒らせることのできるアイデアでもあったし、俺の首を絞めるアイデアでもあっただろう。想像すると軽く身震いがした。
 気付くと、初夏の夜道は風通しがよくてすこし肌寒かった。家に向かって歩き出す。
 俺はスペインの呟いた言葉を思い出す。「信頼してるで」。
 スペイン。
 俺もおまえを信頼してるよ。




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090713
作品名:Una rosa amarilla 作家名:iyd