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いつき りゅう
いつき りゅう
novelistID. 4366
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コッペリアの午睡

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* コッペリアの午睡 *

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日が傾き、窓から吹き込む涼しげな夕風が、ぬくまった部屋の空気を動かし入れ替えていく。
そんな中、日中の陽気ですっかり乾いた洗濯物を選分けながら思い立つ。
ぼっちゃまが調べ物をなさる時用にと、書斎に備え付けていた膝掛けもキレイに乾いていることだし。
忘れぬうちにいつもの場所に戻しておこうと書斎へ足を運んだ私。


誰も居ないはずの書斎の少し薄暗い室内で、小さな影が見えた。
書斎の大きな椅子に隠れるようにすっぼり納まったそれ。

「ぼっちゃま…?」

背凭れに寄り掛かる態勢で、身の丈には不釣り合いな程大きい魔導書を開いたまま瞳を閉じている。
調べ物をなさっているうちに睡魔に襲われた、という所なのだろうけれど…珍しい事もあるものだ。
入れ込めば何日だって徹夜してしまうぼっちゃまが、うたた寝をしている上に
私が入って来た事にも気付かずに、こんな無防備な姿を晒しているなんて。

…どれだけお疲れなのだろうかと、その小さな体に蓄積しているであろう疲労の大きさを思い、溜息が漏れた。


普段のぼっちゃまは尊大で堂々としてらして、人に命令を下す事に慣れた指導者然としたその姿が私達に与える影響は、とても大きくて。
本来のこの方は、いまだあどけない小学二年生の子供なのだという事を忘れてしまいがちになる。

こうして静かに眠られていると、椅子の大きさも相俟って小柄な体が余計に小さく見えた。
目を閉じ椅子に腰掛けたまま微動だにしない身体。
寝返りも打たず、ただ黙ってそこにある様は生気というものを全く感じさせない。

まるで人形だ。

何となく思い浮かんだ喩えだというのに、不思議と納得している自分がいる。
「お人形さんのよう」と愛らしさや美しさへの褒め言葉としてはよく使われている言葉。
ぼっちゃまは少年で、容姿すら少女めいた美貌という訳でもない。
これほど不釣り合いな言葉もないというのに。

なのに、何故だろう。
人であるはずのこの方がもし人形であったとしても、今の私は受け入れてしまうかもしれないと、そんな愚かな考えが離れない。
人であって欲しいと願う、人であるこの方にそう望むことがそもそも愚かしい事だというのに。
何故だ?



…あぁ、そうか。この部屋が静か過ぎるのだ。
物言わぬ調度品と同じように、眠りに着いたこの方がそこにある様はこの場に満ちた静寂という調和を共有していて。
ここには、命のある者の気配が全く感じられないのだ。

この床が軋む音、この衣擦れの音。
息を吸い、吐くこの呼吸も脈打つ鼓動も、全て私が鳴らしている音だ。

この部屋において、生者の気配を垂れ流す私だけが異質な異分子。
調和を乱し、静寂を荒らす不躾な侵入者。

この空間は決して拒絶はしないが、沈黙をもって私に圧力をかけてくる。
立ち去るべきなのかもしれない。

頭の奥で警鐘が鳴る。
眠りという安らぎを湛え、静寂に満ちたこの空間を乱してはならない。
招かれざる侵入者は、今すぐ踵を返して引き返すべきなのだと。



そこにいるのがあの方でなければ、私もそれに従っただろう。


身動ぎすらしないぼっちゃまを見ていると不安になる。
魔術という不可視の業が飛び交う未知の領域に生きるぼっちゃまには、凡百の身の私には到底計り知れない事柄がたやすく起きる。
もしも、もし万が一、何者かの何らかの不思議の技でぼっちゃまが人形に変えられてしまったとしたら?
そんなことは常識ではありえない事だけれど、決して起こらないなどと否定することも出来ない。

決め手がないのだ。否定するにも、肯定するにも。

確認しなくてはならない。ここを立ち去る前に。

恐る恐る踏み出す足を、静かに床に降ろす。
この場を乱さぬよう、音を忍ばせ、ゆっくりと書斎の奥へと足を進ませる。
息を潜ませ、足に乗せる体重のかけ方に気を配りながら一歩ずつ近付くその動きは、自然とスローモーションになり、時の流れを酷く遅く感じさせた。

机越しにぼっちゃまの前に立ち、そぉっと手を伸ばし頬に触れてみる。

触れると言っても、指を押し付けるほどの勇気はなくて、触れるか触れないかの、指先をほんの少し沿わせる程度の接触だけ。
意外な事に、特に温かいとも、冷たいとも感じなかった。
それでも肌に触れた瞬間の陶磁器の様な滑らかな感触は指先から私に伝わって来て、
何故か心臓が一度だけ大きく拍動した。

息を吸い、心持ち屈んで顔を下げ寝顔を覗き込んで見ても、睫毛の一本も揺らがない。
目を凝らして見つめる内に、屈んだ角度の分だけ縮まっていたぼっちゃまの顔との距離が、さらに近くなっていた。
伏せた瞼はこれほど間近に立つ私を顧みる気配もなく。
そして、変わらず無音の室内。



時が、止まる。


何故動かないのだろう。
何故なにも言っては下さらないのだろう。

全く動きを見せない顔を、ほんの僅かな動きも見落とさないように見つめる。


…そういえば、呼吸はしているのだろうか?

触れていない小指と薬指を折り、顎の下に添えて、ゆっくりと肉付きの薄い唇へ親指を乗せて確認する。
僅かに開いた口の隙間近くに指を添えれば、微かな呼気でも感じ取れるだろう。


「…寝込みを襲っていいなどと許可を出した覚えはないぞ」

突然指を乗せたままで唇が動いたかと思うと、緞帳のようにずっと伏せられていた瞼が持ち上がって、現れた色素の薄い瞳が私を見返す。

先ほどの生気の無さが嘘の様に、生気に満ち溢れて輝く力強い目。

瞳の大きさに一瞬目を奪われ、次いで正面からぶつかる視線の近さに気付く。

机に肘を突いて身を乗り出した私とぼっちゃまの顔は吐息がかかるどころか、お互いの前髪が触れ合いそうなほどの至近距離。
頬に添えた手の形も、顔を上向かせようとしているようで。
目線だけ僅かに上げたぼっちゃまへ私がしているこの体勢は、自分でも覚えがある、口付けをねだる恋人にする仕種にとても酷似していた。

「え?へ、は、はいっ!失礼しましたっ!申し訳ありませんっ!!」

とっさに謝罪の言葉を並べ立てながら、慌てて手を放し飛び跳ねるように、体ごと後ろに下がって距離を空ける。

反射的にした急な動きと驚きで、激しく鳴り出す心音。
壁際近くで狼狽している私とは対照的に、当のぼっちゃまは姿勢を崩し足を寛げ落ち着き払った様子で私を眺めている。
私に向ける視線が呆れたような色を帯びているのは、多分私の気のせいでは、ない。

「あ、あの…ぼっちゃま…私…」

妙なプレッシャーを感じながら、心音が落ち着き始めたところでおずおずと用件を切り出そうとした私。
ところが、そんな私の様子に構うでもなく、ぼっちゃまは膝の上の魔導書へ目をやり、ページをめくり始めてしまった。

「あの…」

「何の用だ、佐藤」

「あっ、膝かけが乾きましたので、こちらに戻しに…」

決して読書中の貴方の邪魔をする気も、眠られている貴方の邪魔をする気もなかったのです。
ただ知らなかっただけなのです。
これは神賭けて本当です。