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月の こども。

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 この世界は、腐敗している。そして、腐敗しながらも、奇妙にうつくしい。だがそのうつくしさは、しあわせだろうか? うつくしくあるべきなのと、うつくしくありたいというのは違う。同時に、うつくしくありたいというのとしあわせは同じでない。
 だからいつも、門田は問い掛けるのだ。そいつに向かって、お前はしあわせなのか、と。
 もっとも、その問い掛けはいつも例外なく心の内で問い掛けられるので、それをきいた人間は誰もいない。だから誰にも応えようがないし、また門田自身も、別に誰かに応えてもらいたいわけではなかった。ただその答えを、漠然とした理解として自身の内に宿しておくために、その問い掛けは常に発せられるべきものであったので、今日も門田は問い掛ける。
「俺はこの世界の支配者ではない」
「けれどだからこそ世界を愛せるんだ。人間を、ね」
 何とも大きな独り言をつぶやきながら楽しそうに、それはもう楽しそうに笑う同級生を、本棚越しに眺めて、門田は沈黙を守る。その見るものが不安を覚えるほどにしあわせそうなとろけそうな瞳を前にして、口を挟む余地があるとは思えなかった。そしてまた口を挟む必要も、感じなかった。
「俺は人間が好きだ。好きで、好きで好きで好きで堪らない・・!」
 裏表のないスチール製の本棚には壁の役割はほとんどなく、割と目隠しになる、という利点があるくらいだ。空気がゆるく動き出すより一瞬はやく、膝の上の文庫本へと視線を戻した門田の予想通り、本棚と本の向こう側で顔をあげた気配がした。
「ねえ、だから、人間も俺を愛さなきゃ」
 本棚の向こうから忍び笑いが聞こえる。聞こえたが、門田は無視を決め込んで薄い紙の上の文字列を追った。額のあたりに、灼けつくような瞳の熱を感じた。見られている。それでも文字を追うことに集中する。笑い声の奥にこもる薄暗さに興味を持つべきではない、と思う。いや、そもそも、興味を持っていないふりをするべきでこそない。知らないふりで、興味を持つ必要を感じないままで、いなくてはいけない。
 そうでなくては、呑まれてしまう。
「好き、だよ」
 ぽつりとおちた声に、門田は僅かに動きを止めた。止めてしまってから、しまった、と思ったが何事もなかったようにまた文字を追う行為を再開する。だが胸の内では、違う。なぜなら、そこに大きな矛盾を見つけてしまったからだ。それは何度目かもわからない違和感と、偽善的な憎しみと、絶望的な自由の連鎖反応、といってもよかった。
 違和感と憎しみと自由が、門田を引き裂こうとぶつかってくる。やめろ、と、言ってしまいそうになって門田は顎を引き唇を噛んだ。声を出してはいけない。今何か言えば世界が終わってしまうのではないか、と思えるほどの怖さが、衝動と同時に内在している。きつく噛んだ唇が、少しふるえた。
 言葉を縛りつけ、そうして何もなかったと言ってしまえれば、それは正しくなる。そこに感情や感傷、あるいは理論さえも必要なく。単純に人間はそうやって生きていくのだ。それが正しい。
 けれどこいつは──こいつは違う。そう、この時点よりも遥かに前に、むしろ初めて出会ったそのときに、門田は理解せざるをえなかった。この男は異端ですらない、という、ありのままの事実を。人間を愛するということは、人間ではないことの証明だと。
 人間に人間を愛することはできない──。自分に自分を、本当の意味で愛することができないのと、それは同じだ。もし愛するという意味を最善の道を選ぶことだと仮定するのなら。それはつまり──人間以外でなければ成しえないことだ。とどのつまり、彼は自分自身が最も愛する人間の中に入っていないことになる。どころか、自ら望んで人間をやめた、とさえ言える。


 彼は自ら──腐敗した。
 そして人生という一個の劇場に放り出された哀れな役者たちに、必然という名の運命を与えようとしている。
 彼は自ら腐敗し、腐敗して、世界になった。
 誰もが望まない最善の世界になるために腐敗した、と言ったほうが正しいのかもしれない。しかしそれはもしかしたら、彼自身にとってさえ望まぬ結末だったのではないだろうか。
 望むべきものと、望むものは違う。望むものとしあわせも、別物だ。あるいは、同じであれば、それが彼の場合ならよかったのかもしれない。けれど彼は、世界である前に、人間を愛する人間以外である前に、そもそも人間を愛するより前に。
 どうしようもなく個人で。
 どうしようもなくひとりの、人間、でしかなかったのだ──。
 


作品名:月の こども。 作家名:藤枝 鉄