雨が降ったら会いましょう。
雨が降ったら会いましょう
雨のせいだ、雨が降るから。
二日間降り続いている雨は、静かに池袋の街を浸している。そのとき臨也の目に彼が移りこんできたのは本当に偶然だったし、臨也が声をかけてみようと考えたのも、ほんのひらめきにすぎなかった。つまりこれは偶然が生み出した出会いであり、そしてだからこそ、運命のようなものだったのかもしれない。
「ねえ君さ、暇そうな顔してるよね」
臨也はそう言って、たまたま同じ店の軒下で同じように傘を広げようとしていた高校生に声をかけた。実験のようなものだった・・・と、思う。
知らない人間にいきなり親しげに話しかけられたら、この純朴そうな少年はどう反応するのだろうか、と思ったのだ。臨也にしては子供っぽい実験だったけれども、きょとんと目を見開いて臨也を振り返った少年を見たとき、時間を割く価値はあったなと判断できた。
「・・・僕、暇そうに見えましたか?」
少年は憮然と切り返した。無視されることも考えていただけに、返答があると心が躍る。臨也はにやりと笑って、うん、と答えた。さらに、すごく、と付け足す。
「・・・そうですか」
微妙な顔をして息をついた少年に、臨也は機嫌がよかったので誘いをかける。
「暇ならさあ、俺とご飯食べない?」
「はあ?」
「あ、べつにそっち系の人じゃないから安心してよ。ただ俺今すごくリッチで、さらに人に優しくしたい気分なんだよねー」
さすがに突然の誘いに眉をしかめた少年に、臨也は笑顔でそう告げた。嘘はついていない。なんと今日は一週間も手こずらされていた仕事がようやく片付いて報酬が入ったし、雨だからか、池袋に長い時間いると言うのに一度もあの天敵と出くわしていないのだ。これで機嫌が悪くなるはずがない。
まあ多分断られるだろうけど、もしOKするようならお寿司を食べさせてやろう、臨也はうきうきとそんなことを考えた。気まぐれであって、別に他意はない。ただ・・・本当にそういう気分だったのだ。
「・・・初対面の人間にご飯をおごるのが趣味なんですか?」
「うん、今はね」
「そういうの、やめといた方がいいですよ。相手からみると変な人にしか見えませんし。っていうかあなた無駄に顔がいいんだから、女の人に言えばいいのに」
「だって、ついてくるって分かってる人に声かけるなんて、つまんないでしょ?」
肩をすくめて質問に答えた臨也は、ますます心が弾むのを感じた。この少年の受け答えは好みだと思う。声も、テンポも、実に気持ち良く臨也の耳に馴染む。
「自意識過剰」
「事実ですからー。で、どう?」
首をかしげて返事を待つ。それに対して少年は、そっけなくため息をついて、それから音を立ててビニール傘を開く。
「残念ですけど、」
そこまできいて、おやフラれたかな、と臨也は思ったけれど。
「実は、思いっきり暇なんです。何食べますか?」
続いて笑顔で振り返ったその少年の言葉に。
これは掘り出し物だ、と素直に思って口笛を吹いた。こんな風に切り返されるとは思わなかった。予想外の返答に、顔がにんまりと笑うのを感じた。
「じゃ、大トロ食べに行こうか」
自分も傘を開いて、一歩先にいた少年に並ぶ。少年は、大トロ、という単語を聞いて目を輝かせた。が、直後に神妙な顔を作って、そんな高いものいいんですか?置いてったら一生怨みますよ?とつぶやくように言う。臨也は楽しくなって笑って、大丈夫大丈夫、なんなら先払いしてあげようか?と答えた。気分が、いい。雨の降り注ぐ空気は冷たいのに、心のどこかがじわりと暖かくなるような感じだ。
「その制服、来良だよね?俺卒業生なんだよー」
「先輩ですか?先輩って呼びましょうか?」
「二十歳すぎて高校生に先輩って呼ばせる大人ってどうなの」
「変人ですね。あなた変人だし、いいんじゃないでしょうか。先輩」
「だめだめ、知り合いに会ったら笑われちゃうよ、指差されるよ。どうせなら、そうだなあ・・・」
臨也は目を細めて、歩数にして二歩ほど離れている高校生を見つめた。可愛らしい生き物だ、と素直に思う。まるで犬や猫を可愛がる心情に似ているな、とも考えた。
「・・・甘楽」
本名は、隠したいと思った。
オリハライザヤという名前には、良くも悪くも評判が付きまとう。こと池袋では、あの喧嘩人形のせいで自分は目立ちまくりだ。それに裏方面の仕事のおかげで、自分にはかなり後ろ暗い噂が立っている。まあほとんど事実だけど、それでもなぜか、この目の前の少年にはそんなことを知ってほしくなかった。
だって、澄み渡る水のような目をしている。濁った濁流のような都会の闇を、その目に流し込みたくはない。
「甘楽って呼んでよ」
「かんら・・さん?」
「そう、可愛い名前でしょ」
本名とも偽名とも、ハンドルネームとも言わずにただそう告げれば、少年はただそうですね、と頷いてあっさりと提案を受け入れた。たぶん偽名だとは分かっているようなきがする。けれども、問い詰めることはなく。
「僕は・・・帝人です、竜ヶ峰帝人といいます」
そしてあっさりと自分も名乗る。余りの仰々しい名前に、臨也は瞬きをした。
「・・・エアコンみたいな名前だね」
「それ、よく言われるんですよね」
「え、本名?」
「ぱっと名乗れる偽名なんか持ってないです」
飄々と答える帝人の横顔を、臨也はあっけにとられたようにしばらくじっと見つめたけれど、やがてそっか、と頷いて、また頬を緩めた。
そっか、そっか。帝人君かあ、と。
「だめだよ、都会は怖いんだから、おいそれと個人情報漏らしたら痛い目見るよ?」
「そうですね、しかもあなたみたいな不審者に」
「ひっどーい、これから大トロおごってあげようっていう人間になんてことを」
大げさに傷ついたふりをして見せたなら、帝人は小さく笑った。
「まあこれでも一応人は見てますから。あなたは変人だけど、別に僕を騙す気じゃないってことくらい分かります」
だから大トロおごってくださいねちゃんと。付け足された言葉のほうが本音だったとしても、言われた台詞はなかなか臨也に訴えかけるものがあった。この俺を、無害だと言いきった人間は彼が初めてだ、と思う。それは彼が臨也について何も知らず、同時に臨也が本当に彼を騙すつもりがないからだとは思うけれど、それにしても貴重だ。
露西亜寿司へと案内して、一応念のため静雄が来たときの予防線で奥の座敷に通してもらった臨也は、運ばれてきた寿司に目を輝かせる帝人をまじまじと見つめて、ふにゃっと笑う。それはどこか気の抜けたような、普段の臨也ならば人前で絶対にしない類の笑顔だった。
「ねえ帝人君」
「はい?」
「食事の前に連絡先教えてよ、また時々遊ぼ?」
赤外線通信の画面を出して、はい、と携帯を差し出す臨也の顔を、帝人もまじまじと見つめて、それから呆れたように肩をすくめた。
「これって、ナンパだったんですか?」
「あははは!結果的にはそうかもねえ!」
「甘楽さん、顔はいいのに趣味変わってますね」
「何言ってるの、帝人君みたいな切り返しの鋭い子は貴重だよ?」
「僕、ツッコミには定評がありますから」
雨のせいだ、雨が降るから。
二日間降り続いている雨は、静かに池袋の街を浸している。そのとき臨也の目に彼が移りこんできたのは本当に偶然だったし、臨也が声をかけてみようと考えたのも、ほんのひらめきにすぎなかった。つまりこれは偶然が生み出した出会いであり、そしてだからこそ、運命のようなものだったのかもしれない。
「ねえ君さ、暇そうな顔してるよね」
臨也はそう言って、たまたま同じ店の軒下で同じように傘を広げようとしていた高校生に声をかけた。実験のようなものだった・・・と、思う。
知らない人間にいきなり親しげに話しかけられたら、この純朴そうな少年はどう反応するのだろうか、と思ったのだ。臨也にしては子供っぽい実験だったけれども、きょとんと目を見開いて臨也を振り返った少年を見たとき、時間を割く価値はあったなと判断できた。
「・・・僕、暇そうに見えましたか?」
少年は憮然と切り返した。無視されることも考えていただけに、返答があると心が躍る。臨也はにやりと笑って、うん、と答えた。さらに、すごく、と付け足す。
「・・・そうですか」
微妙な顔をして息をついた少年に、臨也は機嫌がよかったので誘いをかける。
「暇ならさあ、俺とご飯食べない?」
「はあ?」
「あ、べつにそっち系の人じゃないから安心してよ。ただ俺今すごくリッチで、さらに人に優しくしたい気分なんだよねー」
さすがに突然の誘いに眉をしかめた少年に、臨也は笑顔でそう告げた。嘘はついていない。なんと今日は一週間も手こずらされていた仕事がようやく片付いて報酬が入ったし、雨だからか、池袋に長い時間いると言うのに一度もあの天敵と出くわしていないのだ。これで機嫌が悪くなるはずがない。
まあ多分断られるだろうけど、もしOKするようならお寿司を食べさせてやろう、臨也はうきうきとそんなことを考えた。気まぐれであって、別に他意はない。ただ・・・本当にそういう気分だったのだ。
「・・・初対面の人間にご飯をおごるのが趣味なんですか?」
「うん、今はね」
「そういうの、やめといた方がいいですよ。相手からみると変な人にしか見えませんし。っていうかあなた無駄に顔がいいんだから、女の人に言えばいいのに」
「だって、ついてくるって分かってる人に声かけるなんて、つまんないでしょ?」
肩をすくめて質問に答えた臨也は、ますます心が弾むのを感じた。この少年の受け答えは好みだと思う。声も、テンポも、実に気持ち良く臨也の耳に馴染む。
「自意識過剰」
「事実ですからー。で、どう?」
首をかしげて返事を待つ。それに対して少年は、そっけなくため息をついて、それから音を立ててビニール傘を開く。
「残念ですけど、」
そこまできいて、おやフラれたかな、と臨也は思ったけれど。
「実は、思いっきり暇なんです。何食べますか?」
続いて笑顔で振り返ったその少年の言葉に。
これは掘り出し物だ、と素直に思って口笛を吹いた。こんな風に切り返されるとは思わなかった。予想外の返答に、顔がにんまりと笑うのを感じた。
「じゃ、大トロ食べに行こうか」
自分も傘を開いて、一歩先にいた少年に並ぶ。少年は、大トロ、という単語を聞いて目を輝かせた。が、直後に神妙な顔を作って、そんな高いものいいんですか?置いてったら一生怨みますよ?とつぶやくように言う。臨也は楽しくなって笑って、大丈夫大丈夫、なんなら先払いしてあげようか?と答えた。気分が、いい。雨の降り注ぐ空気は冷たいのに、心のどこかがじわりと暖かくなるような感じだ。
「その制服、来良だよね?俺卒業生なんだよー」
「先輩ですか?先輩って呼びましょうか?」
「二十歳すぎて高校生に先輩って呼ばせる大人ってどうなの」
「変人ですね。あなた変人だし、いいんじゃないでしょうか。先輩」
「だめだめ、知り合いに会ったら笑われちゃうよ、指差されるよ。どうせなら、そうだなあ・・・」
臨也は目を細めて、歩数にして二歩ほど離れている高校生を見つめた。可愛らしい生き物だ、と素直に思う。まるで犬や猫を可愛がる心情に似ているな、とも考えた。
「・・・甘楽」
本名は、隠したいと思った。
オリハライザヤという名前には、良くも悪くも評判が付きまとう。こと池袋では、あの喧嘩人形のせいで自分は目立ちまくりだ。それに裏方面の仕事のおかげで、自分にはかなり後ろ暗い噂が立っている。まあほとんど事実だけど、それでもなぜか、この目の前の少年にはそんなことを知ってほしくなかった。
だって、澄み渡る水のような目をしている。濁った濁流のような都会の闇を、その目に流し込みたくはない。
「甘楽って呼んでよ」
「かんら・・さん?」
「そう、可愛い名前でしょ」
本名とも偽名とも、ハンドルネームとも言わずにただそう告げれば、少年はただそうですね、と頷いてあっさりと提案を受け入れた。たぶん偽名だとは分かっているようなきがする。けれども、問い詰めることはなく。
「僕は・・・帝人です、竜ヶ峰帝人といいます」
そしてあっさりと自分も名乗る。余りの仰々しい名前に、臨也は瞬きをした。
「・・・エアコンみたいな名前だね」
「それ、よく言われるんですよね」
「え、本名?」
「ぱっと名乗れる偽名なんか持ってないです」
飄々と答える帝人の横顔を、臨也はあっけにとられたようにしばらくじっと見つめたけれど、やがてそっか、と頷いて、また頬を緩めた。
そっか、そっか。帝人君かあ、と。
「だめだよ、都会は怖いんだから、おいそれと個人情報漏らしたら痛い目見るよ?」
「そうですね、しかもあなたみたいな不審者に」
「ひっどーい、これから大トロおごってあげようっていう人間になんてことを」
大げさに傷ついたふりをして見せたなら、帝人は小さく笑った。
「まあこれでも一応人は見てますから。あなたは変人だけど、別に僕を騙す気じゃないってことくらい分かります」
だから大トロおごってくださいねちゃんと。付け足された言葉のほうが本音だったとしても、言われた台詞はなかなか臨也に訴えかけるものがあった。この俺を、無害だと言いきった人間は彼が初めてだ、と思う。それは彼が臨也について何も知らず、同時に臨也が本当に彼を騙すつもりがないからだとは思うけれど、それにしても貴重だ。
露西亜寿司へと案内して、一応念のため静雄が来たときの予防線で奥の座敷に通してもらった臨也は、運ばれてきた寿司に目を輝かせる帝人をまじまじと見つめて、ふにゃっと笑う。それはどこか気の抜けたような、普段の臨也ならば人前で絶対にしない類の笑顔だった。
「ねえ帝人君」
「はい?」
「食事の前に連絡先教えてよ、また時々遊ぼ?」
赤外線通信の画面を出して、はい、と携帯を差し出す臨也の顔を、帝人もまじまじと見つめて、それから呆れたように肩をすくめた。
「これって、ナンパだったんですか?」
「あははは!結果的にはそうかもねえ!」
「甘楽さん、顔はいいのに趣味変わってますね」
「何言ってるの、帝人君みたいな切り返しの鋭い子は貴重だよ?」
「僕、ツッコミには定評がありますから」
作品名:雨が降ったら会いましょう。 作家名:夏野